第221期予選時の投票状況です。7人より18票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
9 | SUNRISE BRAVE(歌:日輪ルル) | 志菩龍彦 | 5 |
5 | 世にしたがへば、身くるし。 | shichuan | 4 |
3 | むぎちょこ | F六 | 2 |
10 | 名告り | たなかなつみ | 2 |
2 | 彼女いない同盟の君と | 糸井翼 | 1 |
4 | 企業天使 | テックスロー | 1 |
6 | 僕とりんごの暮らし | 千春 | 1 |
7 | ナイショだよ? | kyoko | 1 |
8 | 守る勢力と、殺す勢力 | euReka | 1 |
「それ(政府によるプロパガンダ)を真に受ける程に国民は馬鹿だった」というのは、後になって気づくことであり、プロパガンダされている最中には分からないものかもしれない。
だからこういうことは、常に警鐘を鳴らすべきだし、当然、小説や文学の分野でも訴えるべきことだと思う。(この票の参照用リンク)
正直すごく怖いです。アイドルを使った洗脳。非現実的のように思いたいですが、例えばSNSとかで偏った思想が拡散されたり、与えられる情報がコントロールされればいつでもどこでもこういうことは起こりうると思ってしまいます。(この票の参照用リンク)
文章は読みにくかったのですが、主張が強く伝わってきたので推したいと思いました。現代でありがちな状況だと思います。ただ、そこまでのアイドルは生まれにくくもなりました。この頃は情報が行き届きすぎて、興味も嗜好も分散したことを感じます。(この票の参照用リンク)
分かりやすくてよかった。「かくいう僕も」からの劇的な終幕に向けての流れがとても良い。
『世にしたがへば、身くるし。』を頭に置きながら読んだ。主人公は苦しくなかったのだろうね。
あと、投票はできなかったけど、いいなと思った作品に少し。
『走れ、ケンジとなっちゃん』
明るくていい話。結構今回暗めの話に投票したので、ハッピーエンドにはすごく惹かれた。なっちゃんはコンビニにチョコバニラのアイスを買いに行ったのだと思うけど、走るこたないだろ、と思った。そうしないとケンジが走ったのと対にならないからだと思うけど、でも走らなくてもいいなと思った。
『彼女いない同盟の君と』
自虐的な、ネタのようなチョコのやり取りと思いきや、失恋の話で、最後もほろ苦く決まってますね。素敵だと思いました。
『ナイショだよ?』
現実感を打ち込むような舌ピアス。「彼女」の所作や、容貌の描写に文字数が割かれ、全く内面に触れていない分、そのピアスの銀色が綺麗ですね。(この票の参照用リンク)
小説家になろう<私も投稿したい。 先輩にエール。
1割8分打者と、感じる。 プロ野球二軍かな? 見掛けは立派。(この票の参照用リンク)
まずこれでしょうね。(この票の参照用リンク)
表題および締めの文は『方丈記』のものなのですね。相対する言葉は「衣食足りて礼節を知る」なのでしょうか?余裕があれば人目を気にすることも減るのでしょう。世の侘しさを感じさせられました。
『企業天使』はその融資がどのようなものかが説明し切れていなかったように感じます。プロットは良かったと思うだけに残念です。
『ナイショだよ?』は、金属による心の防御を晒すことすらできないまま”いい子”を演じている友達を哀れに感じました。いえ、そういう人が演じる“完璧さ”には脆さが垣間見えるものなのですが…。彼女の腕を“私”が掴んだその先をこそ読みたかったです。
『守る勢力と、殺す勢力』は前半盛り上がっただけに、オチの落差を生み出した“理由”が今ひとつだったのが残念でした。
『むぎちょこ』はSFっぽくて面白かったので、もう一段掘り下げた話が読みたいと思いました。
『走れ、ケンジとなっちゃん』は前半の切迫感がスカされた感じがしました。死を覚悟したときにげらげら笑える女性の強さをもっと深く描いて欲しかったと思いました。(この票の参照用リンク)
「老婆の幼子への無関心は、正しく他の乗客と同じであった」の一文にはっとした。人が社会的動物なんていうのは、嘘ではないかという気持ちにさせられた。机上の論理や、助け合いなどといった言葉をかき消すような尿の臭いと、娘のぐずり。
最後の父親の小さなため息は、苦しむ「身」のうめき。老婆の思い出と、記憶と、目の前の炊き出しと見舞金への時間的焦りは、老婆がまだ狂っていない証拠で、それだけ包み込む「世」の大きさを感じる。やるせない話だけど、悲壮感を感じないのは、読者である自分が世にすでに従ってしまっているということだろうか。(この票の参照用リンク)
なかみなし。空袋だけ、、、この小説
ふくろはいいかな?(この票の参照用リンク)
麦チョコを食べようとすると、消える(感覚がしない)という単純な発想だけど、実際に想像してみるととても不思議な感覚になる。
なぜそんなことが起こったのかを、全く説明しない、突き放した感じもいい。(この票の参照用リンク)
なんか最後まで読んでしまった。中身があって、姿が、、、袋が、
ない。
面白い。記憶に残りそう。・・・かたちがナイので、、、(この票の参照用リンク)
アニメや漫画の中では、名(真名)によってその人を縛るという話がよくある。
この作品も、そいういうものから着想を得たのだろうと思うが、名をちょっと間違えただけで大変なことになるという発想には、作者のオリジナリティを感じるし、面白いと思った。(この票の参照用リンク)
こういう友達がいるのは羨ましくもありますが、立場が変わったときの喪失感も心に響いてしまうものかもしれません。青春を感じさせる作品ですね。ちなみに、女子に「チョコをあげる相手がいないのも寂しいものだよ」と言われたことがあります。バレンタインデーを寂しがるのは性別に無関係かもしれません。(この票の参照用リンク)
「日々小さくなるファイルサイズ」ここが集中線の中心となるような構成が見事。(この票の参照用リンク)
人生の転機は、ほんの些細なことで訪れる。
汚部屋という積もり積もった日常に、りんごが綺麗なアクセントとなって、ちょっとだけ人生を動かす。うまくまとまっていて面白かった。(この票の参照用リンク)
「そう言って踵を返した彼女の腕を、気づけば私は掴んでいた。」最後の意味するところだけよくわからなかったのですが、
すごくお話としてきれいだと思いました。変わるきっかけをくれた一見完璧な茶道部の子の内緒を知って、主人公は自分と同じだと思えたのでしょうか。ならば主人公も正しく美しくありつつも、自分を持ち続けられるに違いないと思います。(この票の参照用リンク)
誕生会は、本来何のためにするものなのか、とこの作品を読み終わったあと、考えた。記憶にある自分の、もしくはほかの人たちの誕生会は、例えば年を重ねた主役が、ことさらに生を祝福するというようなこともなかったし、父母への感謝を長々と述べるということはなかった。場所にもこだわりなく、本来なら生まれた病院で誕生日会を開けばいいと思うが、そういうのでもないんだな。
お誕生日おめでとう、ハッピーバースデートゥーユー、なので、生まれてラッキーだったね、今年も一年生き延びたねって、そういうことをお祝いするものなのだろうか。誕生会に参加したことがあるが、ハッピーバースデーを歌って、あとはプレゼントをあげて、ご飯を食べて終わった。結局当たり前のように生きとるやんけ、ということが分かったので、作品の中の「殺す勢力」は解散したのかなと思った。(この票の参照用リンク)