第221期 #6

僕とりんごの暮らし

そういえば君はりんごが嫌いだ。

銀色の小さなシンクには茶碗やコップが積み上げられていて、押し合いへし合いしている。いくら星が綺麗な夜もこのシンクが目に入ればあっという間に枯れ果てた気分になってしまうだろう。ペットボトルでパンパンになったゴミ袋とテーブルに並べられた空き缶はいつ頃からあるのかわからない。この光景だからこそあり得るお似合いのオブジェ(よーく言えば)と化していた。部屋は床に散らばった服やゴミで和室なのか洋室なのか判別できない。

実家から届けられたのは一箱のりんごだった。「りんごを送る」とだけ伝える電話がかかってきたのは5日前。まさか一人暮らしの男子学生の元にまるまる一箱送られてくるとは思うはずもない、お歳暮じゃないんだから。まあでも百歩譲ってよくよく考えてみると、うちの母親がやりそうなことではある。段ボールは2層になっており、うちのアパートの住人全員に配り歩ける量のりんごが敷き詰められていた。

皮をむいて食べるというような高等技術は持ち合わせていないので、運良くワックスがかけられていないその皮ごとかぶりつくことにした。
こんな部屋の中でもほのかに香るりんごの香りが宙を舞うと、酸っぱくてジューシーな甘みが僕を癒やした。うまいものは誰かと共有したくなる。誰かいないかと頭に思い浮かんだのはあの子だった。

あの子はりんごが嫌いだと言った。トマトでもピーマンでもなくりんごを嫌いだという人を僕は初めて見たので、そのことは鮮明に思い出すことができる。りんごが嫌いなあの子を思い出してしまったが、少なくとも僕の方はあの子を強烈に覚えているということだ。つまりそういうこと。

教室に行けば、きっと話す機会ぐらいあるだろうが、僕はイケメンにはほど遠いし、勉強だって中の下、なんてったって汚部屋の住人だ。そんな不潔な人間が大嫌いなりんごを抱えて現れたら、もはや罰ゲームでしかないだろう。
賢明な人は僕に「自信を持て」と言うかもしれないが、この自分自身に貼ったレッテルはアロンアルファを引き剥がすよりも困難だ。もし、上手くいったとしてもこんな部屋に女の子を呼ぼうだなんて、掃きだめに鶴とは慣用句的にも視覚的にもその通りでよく言ったものだと思う。いやらしいことをできそうなスペースもない。

りんごを一個食べ終えると僕は正気に戻った。
思わず漏れたため息に苦笑いして、「部屋でも片づけるか…」とゴミの隙間で呟いた。



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