第221期 #10
そもそも自分には名がなかった。呼ばれるときは「おい」や「ちょっと」で、手招きだけのこともあった。特に不便を感じたことはなかったし、他の人たちから区別される必要があるなどと考えたこともなかった。
名が必要になったのは、ずっと暮らしていた場所が閉鎖されることになり、外界とわたしたちが呼んでいたところへ移り住む必要が生じたからだ。何が書かれているのか皆目わからない「書類」と呼ばれる紙の束を渡され、名を記せと言われる。わたしはその意味することがわからないまま困り果てた挙げ句、自身の知る数少ない文字らしきものに音をのせて自分の名というものをひねり出した。
いったん名というものが生じると、愛着もわくし、それを自身と同一のものだと思い始める。わたしは人の見えない建物の陰にしゃがみ、口のなかで何度も自身の名を繰り返し、嬉しさに頬を火照らせた。
違う名で呼ばれ始めたのは、それからしばらくのちのこと。きっかけになった当初は単なる言い間違いだということはわかっていた。わざわざ指摘して波風を立てねばならないものだとは思わなかったし、そもそも「書類」にきちんと記した自身の名はその時点から正式なものであり、周囲の皆がそれと認めてくれたものなのだから、その一瞬の判断ミスで、それから自身の呼び名が変わるなどとは、思いもよらないことだった。
外界では名が重要だと、それは最初に口を酸っぱくして教えられたこと。わたしもそのことはもうわかっているつもりだった。だからわたしは間違えない。大事にする。それでいいと思っていた。
違った。
名には付随する意味がある。それは、わたしが考えているような、単なる文字と音との組み合わせではない。ほんの少しのアクセントの違いで、ほんの少しの抑揚の違いで、その名はクラスを明らかにし、属性を表明する。住むべき地域を示し、上下関係を決定する。ましてや、たった一音のことでも、発音が異なる呼び名になってしまっては。
知らぬ間に自分の名は嘲りになり、拒絶の意味になった。その名のもとで虐げられることは当然のこととなり、わたし自身の言葉は遮られ、他者によってわたしの性格も技能も決定された。
わたしの名はそれではありません。何度訴えてももう届かない。上書きされてしまうともう取り戻せない。自分だけは忘れないようにと何度も口のなかで繰り返す。誰の耳にも聞こえないところで繰り返し名告り続ける。