第241期予選時の投票状況です。7人より17票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
4 | 君に、胸キュン | euReka | 5 |
6 | 蝦夷小車 | 霧野楢人 | 3 |
7 | Buying God Buys | テックスロー | 3 |
3 | ちいさな愛のものがたり | 吟硝子 | 2 |
8 | 外野 | わがまま娘 | 2 |
5 | 畏怖太郎 | 朝飯抜太郎 | 1 |
- | なし | 1 |
ありがちな話だからだと思うが、少女の言動からはなんとなく孤独や寂しさを感じた。家庭に問題でもあるんだろうか。言うことを聞いてくれる語り手に甘え、放火という後戻りのできない行為にもついて来ようとしてくれた語り手に、たぶん彼女はかなり救われたのではないか。最後のセリフは薄っぺらさを装っているが、案外彼女なりの思いがこもっているように読んだ。
あと個人的な話だが、この程度の関係に胸糞悪さを感じる方がいてちょっと安堵している。(この票の参照用リンク)
既存のアニメや漫画のイメージをふんだんに散りばめた作品と読んだ。他の人の感想にある糞虫からの悪の華や、シンジという名前からくるエヴァや、自分は放火というところと、糞虫というワードから映画の「害虫」を思い出した。
あとは伊藤桃花さんの傲慢さと危うさからは涼宮ハルヒっぽさを感じたり、、、
タイトルを見た時にYMOのその曲が頭の中を流れる中読み進めたが、その違和感がすごかった。色々な媒体のキャラクターをぶつけ合わせて勝手に物語を進行させていくような目論みを感じた。
#3は「スカイ・クロラ」みを感じたが、これは多分わざとではないと思う。(この票の参照用リンク)
ものすごく嫌な話。胸が悪い気分で読み進めると、待っていたエンディングが最上級に
気持ちの悪い嫌さの極致エピソードだった。小中学校時代に体験した意味のわからない
「好意」の記憶が増幅されて閉じ込めたものがえぐり出される感覚がすごくて印象が強い。(この票の参照用リンク)
胸糞悪くなる現実の描写が続いた後、ラストのデートでひっくり返された。いかにも薄っぺらい「デート」の単語だけがフィクションで、祈りで、美しいと思う。(この票の参照用リンク)
素直になれない少女と抗えないまま少女に惹かれてしまっている少年が…。クラスメートや先生の対応も現代的で最後にどうなるのか、はらはらしてしまいました。同じ作者の『警官と少女』を思い出して再読しました。そのシュールさが良いですね。(この票の参照用リンク)
さわやかな出会い。しかし、わざわざレベルの高い大学にわざわざ行くほどの想い。それだけ魅力的に感じたんだろうな。彼女がなぜ、照れくさそうにわらったのだろうか。
なんかこう、心がはしゃいでしまう気持ちがすごくわかる。少し遠い場所で、ヒトデと、蝦夷小車を見て、なんかきれいな女の人と、うわー! それで、なんか人生決めてしまったりして。
若さ!(この票の参照用リンク)
花の名前を知らなかったので検索するとなるほど、タンポポよりひまわりだなとおもった。青森県に生息するとも書いてあって、青森には行ったことないけど、なんとなく涼しげな夏を想像してそれがこの作品の雰囲気にぴったりだと思った。彼女はとても魅力的に描かれているけど、全体的にどことなく憂いを感じる。
「あなたの痕跡に、いちいちあの花を想った。」
カッコつけた言い方が、カッコついている。(この票の参照用リンク)
エゾオグルマは北海道から青森の海岸の砂浜に生育する、ヒメジオンの花弁がもっと幅広くなったような花なのですね。確かに”小さなヒマワリ”との説明も見受けました。少年がやや年上の少女に出会い、その憧れを胸に旅をする姿がとても爽やかで、心地よかったです。(この票の参照用リンク)
最初、見た時は、いや何でと思った。事前知識が必要だろうが、感じるだけでいいのかもしれない。
マザーグースのような詩の雰囲気を出すにはこの英語の形式がいいのかもしれない。Buing Got buys.語呂がよいとか考えておけばいいのか。
祈りだけが消費されるが、祈りは尽きることがない。
かっこよすぎる。
消費主義と宗教の親和性ががっちり組み合っている。(この票の参照用リンク)
それが何でも、見る先がひとところになると、そこにあるのは盲信という名の信仰だなと
思わされた。繰り返しに近い気持ちのよいリズムにのって読み進めた分も、fictions に
含められ abondoned されてしまう印象。この世の話がそのまま降りかかる話だなと。(この票の参照用リンク)
購買神とでも訳せばいいのかな。宗教の前に資本主義を持ってくる発想が面白かった。
英語力ゼロなのでGoogle先生頼りでしたが、これが英語で書かれているのは日本語の「神」と英語のGODのニュアンスの差のため? 日本語で書かれていたら八百万の神として簡単に受け入れられてしまいそう。
#2 『ヒトになる』と悩んだ。絵的には『ヒト』のほうが好みだし、かつてのヒトの形に戻ることが懐古的価値観を持つところは面白い。
ただ、どうしてもかつての「ヒト」の形をしていないもの=「ヒトではない」と読めてしまって受け入れられなかった。途中までは「ヒトの形」的な表記がされているので、タイトルと終盤だろうか。「ヒトになる」ということは、それ以前はヒトではなく、じゃあ何がヒトをヒトたらしめているのか?というと、本作では形を挙げられている。しかしヒトの形は現在においてすら千差万別なわけで。
正直本作の主題と思われるところ(形を変えたヒトが仮想的に?過去のヒトの形をとる、その行為が懐古的意味をもつ点)とはややズレるし、単なる揚げ足取りな気もする。それでも「何がヒトなのか?」は繊細な部分を孕む問題なので、もう少し配慮が必要ではないかと思う。(自戒をこめつつ)(この票の参照用リンク)
深刻な背景とバカップルのギャップに変な現実味を感じた。どんな状況でもバカップルはバカップルだし、バカップルだって深刻な背景を持つことはある。
でも結局そのうち勢いで最後まで行ってしまうんだろうな。行儀よく理性を保てるバカップルはたぶんそうそういない。(この票の参照用リンク)
視点切り替えが巧み。いちゃいちゃが「ほしがりません、勝つまでは」で景色が変わる。
呼応する「産めよふやせよ、兵力を」。未成年が性行為から遠ざけられる荒唐無稽さの
「そんなデータ取ってる余裕あったんだ。ふーん」の嫌な現実味。ざらりとした感がよい。(この票の参照用リンク)
話の筋を頭に入れてから読むと、会話や情景がすっと頭に入った気がする。
初読時は誰がどのセリフをしゃべってんのかよくわからなくなるが、それが完璧にはまると、にやにやするような、おそらく作者の書きたい情景を見れたのではと思った。
うむ。こう、幸せ感が半端ないな。(この票の参照用リンク)
付き合っている男女に対して、周囲の方がやきもきしている様がいかにも高校生の青春っぽくて良かったです。引っ張って引っ張って、最後の一文で「そうきたか」、内容を読み取れきれない部分もありましたが、読者の勝手な解釈で構わない作品なのでしょう。
『Buying God Buys』は一通り読み、読解に自信がない部分はGoogle先生にお願いしたりもしましたが、結局なんだったのかがどうにもよく分からず、残念でした。Good Bye とかけているようにも思いましたが…。
『畏怖太郎』は最近よく見るタイムリープものですね。最後が消化不良で残念に感じたので、前半をもう少し端折って後半に字数を廻していただければ、と思いました。
『ちいさな愛のものがたり』は、「その設定で年齢が倍の人もいるけど、その場合の戦闘力はどうなるの?」などと思ってしまいました。禁止令違反より戦闘の方が生命の危険度が高いと思うのですが。500字にこだわらず、1000字をきっちり使った方が背景をもっと書き込めて良いように思います。
『あの店』は、サイゼリヤが中国にも進出していることは知りませんでした。サイゼリ”ア”ではないんですね。ウィキペディアの記事も読みましたが、勉強になりました。
『ヒトになる』は、チャン&エン・ブンカー兄弟やアビゲイル&ブリタニー・ヘンゼル姉妹などについても検討していただけたら、と思いました。そこは本作の主題ではないかもしれませんが、どうにも納得がいく読後感が得られませんでした。(この票の参照用リンク)
#1 あの店
先輩のジョークで話のオチがついている。オチよりもサイゼリヤが中国に展開していることの方が印象に残った。
#2 ヒトになる
気持ち悪さもあるが、ヒトの境界を扱っているところで妙な説得力があり、印象に残った。
#3 ちいさな愛の物語
前半と後半で印象を変える仕掛けがあるが、その仕掛けを作ることが作品の目的になっている。
#4 君に、胸キュン
「彼女」伊藤桃花さんの魅力(?)を書けているし、こういう関係性もあるだろう。デレが早いのも、胸キュン→デート落ちにするのも、ちょっと不満。あとキャラ設定で漫画の『悪の華』がちらついてしまう。
#5 畏怖太郎
桃太郎や浦島太郎のくだりが必要かどうか。瀬戸内の小島みたいな舞台はいい感じがしたが、ゲーム風の死に戻りが面白いかどうか。嫁の強そうなキャラクターは良さそうな気がしたが、嫁が死ぬたびに巻き戻して嫁との時間を喜んでいる畏怖太郎。畏怖太郎が恐れるのは妻との死別、それが面白いか、わからない…。
#6 蝦夷小車
この書き手は山について書くと山感がすごくあるが、それに比べるとこの海ものは海感が少ない。この女性を蝦夷小車の花に重ねるのは大変感心します。ちょうどいいと思う。
#7 Buying God Buys
この神は虚しい。神が購入したものが廃棄される描写は薄寒い。祈りだけが消費され、祈りは尽きることがない。このフレーズはかっこいいし奥行きがある気がする。大量生産・大量消費の拡大を祈る私たちの資本主義のことを書いているのかな。アルファベット千字だと日本語千字より情報量が少ない。英語で書く意味は、キリスト教と資本主義の摩擦を睨んでたり、異国語で物語を書く書き手の存在に影響されていたりするのだろうか?それとも音の響きのため?
#8 外野
帰る方向が違うから一緒に帰らない高校生カップル。一緒に帰らないことに気を揉む友人たち、いいじゃないですか。でもその友人たちが実は好き合っててのちのち結婚したとかはどうでもいい。(この票の参照用リンク)
畏怖って、ifか! ノベルゲーを思わせる物語の分岐がツボで、読みながら本当にこれ千字? と驚いた。ラストシーンに幾度となく繰り返されたであろう人生が透けて見えるのがよい。しかし本当にエンドレスであれば、きれいなところを切り取って終わらせたなという気もする。(この票の参照用リンク)