第241期 #6

蝦夷小車

 海を見ていた。
「君、ここの人?」
 道から外れよたよたと歩いてきたその女性は、小柄な身体に不釣り合いな大きさのザックを背負っていた。第一村人に思い切って話しかけてみた、という感じの顔をしていた。
「じいちゃん家なんです」
 僕は後ろの家屋を指差した。夏休み中、受験勉強のために滞在していたのだ。行き詰まると浜の近くまで出て、遠くを眺めるのが習慣になっていた。
「ここ、ちょっと置いてもいいかな」
 その人はオーバーサイズのTシャツを揺らして重そうなザックを下ろした。
「乗り継ぎ待ちですか」
 近所の駅は列車の接続が悪いらしく、旅客がよくカメラなんかを手に徘徊していた。
「そうだよ」
 一人旅の途中だという。聞けば学生で、大学のレベルは僕の目標より上だった。その人も僕の隣に立って手を後ろに組み、水平線を眺めた。
「海、綺麗だね」
 僕は同意した。斜め下にある胸元が目に入りそうで緊張した。これは逆ナンか? なんて思ったところで、
「あっ見て見て、ヒトデがいる」
 と彼女は走り出し、浜に降りていった。慌てて追うと本当にヒトデがいた。それまでは空と海と浜しかないと思っていたのに、波打ち際には赤や青や黄色の原色的なヒトデが驚くほどいた。
 面白くなり、彼女と僕は浜辺を探索した。巻き貝を被ったヤドカリ、色ガラスの空瓶、誰かに置き忘れられた白いテディベア。発見した物全てが真新しくて、次の瞬間には無性に懐かしかった。
「オバケたんぽぽ!」
 岩陰を見て彼女が言う。黄色い花が太い茎にいくつも咲いていた。こんな所に花なんてあると思わなかったから、確かに一見すると異様だった。しかし花の雰囲気はたんぽぽと少し違う。どちらかといえばーー
「ひまわりみたいじゃないですか」
 淡黄の小さな日輪たちが顔を寄せて静かに笑っている。彼女は「えーそうかな」と何故か照れ臭そうに言いながら観察していたが、おもむろに花のひとつをもぎ取ると、頭に添えてこちらを向いた。

 今年も花が咲いた。
 彼女のいた大学に入り、教わったサークルを訪ねたが、二年になるはずの彼女は既に退学していた。同期だった先輩でも連絡がつかないらしく、得た情報は地元の場所だけだった。
 夏が来るのが待ち遠しかった。あなたの痕跡に、いちいちあの花を想った。僕の大学生活は花だらけだ。もし会えたなら文句を言ってやろう。
 今日が出発日、ここが出発点だ。列車の時間を待ちながら、僕は海を見ていた。



Copyright © 2022 霧野楢人 / 編集: 短編