第178期予選時の投票状況です。6人より17票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
9 | 1992年の伊勢丹ロックウェル | 宇加谷 研一郎 | 4 |
2 | W.W. | 三浦 | 3 |
3 | 緊急事態と私 | テックスロー | 2 |
5 | ニンゲンという暮らし方 | たなかなつみ | 2 |
7 | ガレのある料理店 | 岩西 健治 | 2 |
10 | 幽霊と映画と手帳 | euReka | 2 |
4 | 性癖 | 世論以明日文句 | 1 |
8 | 宴のアト | わがまま娘 | 1 |
『かえるくん、東京を救う』を思い出しました。
ちなみに1992年2月20日〜3月31日まで、
新宿の伊勢丹美術館でノーマン・ロックウェルの展覧会があったようです。
そしてスターバックスの日本1号店は、1996年8月2日に銀座でオープンしたようです。(この票の参照用リンク)
カエルが好きなので、推すことにしました、と言っても過言ではないのですが。
それだけではなく、テンポのいい文章と展開が好きです。
カエルは主人公を導いてくれているのか単なる混乱なのか。何度読んでも楽しく感じます。(この票の参照用リンク)
最後のダジャレのオチが少し分かりづらいし、弱い気もする。しかし、自分の中にカエルが棲んでいて、自分もたまにカエルになるという発想がとても独特で魅力がある。それに何よりも、全体的に力が抜けてていい。真面目に論評するのが恥ずかしくなる。ただ読んで楽しめばいい作品だと思う。(euReka)(この票の参照用リンク)
ちゃんと書こうとしていない姿勢(手を抜くという意味ではなくて、構成よりも感覚を主体とした書き方)がいい。(この票の参照用リンク)
いつもすごいなと思うのですが、今回もすごかったです。
読み始めの、すごく私的な話になるのかなという期待を破って、ぐいぐいと話が展開していく。
しかも主軸はまったくぶれずに。展開の妙にやられます。(この票の参照用リンク)
迷子になれる。最終段落の「私たち」は、私と町だろうか。目的も筋道もよくわからないが、わからなくても楽しい。(この票の参照用リンク)
ちょっと頭をひねらないと分からない書き方には、行きつ戻りつ読ませる効果が含まれている。この小説は内容よりも、読む際に発生する、どろどろした感覚が面白いと思う。(この票の参照用リンク)
音感を大事にしていて素敵でした。(この票の参照用リンク)
意図的とも思える文章の奔放さが存在しながらも、其れらが登場人物の女子高生と共存している空気感がじわじわと伝わる。読む程に味が出た。(この票の参照用リンク)
好みでした。コミカル。名前がないとたくさんの名前で呼ばれるというのはおかしな話ですね。(この票の参照用リンク)
作者固有の血の通わない書き方というのがあって、一種、アッケラカンとしている文体は感情移入を強制させないので、その分、逆に「ニンゲン」というモノを考えさせられる。(この票の参照用リンク)
人肉を食うという残酷な話ではあるが、その残酷さを記号として(痛みを伴わないものとして)処理することなく(記号化が悪いわけではないが)、どこまでも残酷に描こうとしている点が素晴らしいと思う。
ただ、昔からよくあるような文学っぽい雰囲気が漂っていて、それが少しひっかかるが。(euReka)(この票の参照用リンク)
世界観の安定性と其れらを想像させやすい文章表現で自然と話に入り込めた。
冒頭の台詞が良い役割をしている。(この票の参照用リンク)
主人公は文字どおりの「幽霊」ではなく、現実にいるものと思いながら読みました。
全体的に少し弱いかなと思ったのですが、自身の存在に対する違和感のようなもの、
書き文字に寄せて自身の存在をたぐり寄せようとするエピソードがよかったです。(この票の参照用リンク)
一見簡素に見えやすい創りだが、個人的に見えた表現からはこの作品での作者のこだわりを感じられた気がした。タイトルと掛け合わせて全体で表現している作品だと思う。(この票の参照用リンク)
セロニアス・モンク!(この票の参照用リンク)
前作に出てきた「姐さん」側の話ということか。
今作もやはり「臭い」がキーワードになっていて、それをめぐる話になっている。「臭い」というのはとても現実感があって、それを表現するためには必然的に現実を表現しなければならなくなる。この作品は、とりたてて「現実」を表現しようとしているわけではないと思うが、言葉の間からじわじわと染み出してくる現実感のようなものがあるような気がする。そしてその現実感が、洗濯されたカーテンのようにとても心地よく感じられるという魅力がある。(euReka)(この票の参照用リンク)