第178期 #7
「二流は一流の下ではなくて、三流の上ってのはどうでしょう」
なるほど、そう言われると少しは楽になる。
松本は年下のシェフを尊敬したい衝動にかられた。
店内はオレンジ色の薄暗い照明で、アンティークの濃い木目のテーブルに椅子が向かい合って二脚、テーブルの中央には赤黒いバラが一輪、ガレの花瓶が妖艶である。
「十七歳六ヶ月の女子高生のモモの肉になります」
適度な脂肪に包まれたモモは筋繊維が細く、口の中でふっくらとはじけるような食感になります。加工の一週間前からは果物のみ与え、腸内洗浄をおこないます。月経周期に沿った血抜き処理、徹底したもみ洗いで臭みもほとんどありません。過度のダイエットは肉質に悪影響を与えます。最近は良質の食材を集めるのにも苦労しますからね。
一呼吸おいて、シェフはさらに続けた。
昔から絵が好きだったようです。しかし、デッサンに悩んでいて、どうしても上手く描けなかった。
「下であろうが上であろうが、二番目は二番目よ」
わたしの説得にそう言ってましたよ。美大へ進めば絵が上手くなるなんて保証はありません。だから、彼女が悩んでいたことも理解はできます。でも、やはり、十代の悩みっていうのは、みっともないですよ。ちっぽけで、みっともなくて、それだけに縛られてしまう。人は経緯がどうであれ、死んだ時点で肯定されます。特に学生はその傾向が強い。それでも、楽になってはいけない。悩んで生きていかなければならないはずです。
「最後に顔をご覧ください」
食べ終えた松本の前に出された、銀の皿の上の少女の顔。皿を持つシェフの指。蜘蛛の脚。血の抜けた顔は粘土で作られた仏像のようである。造形として美しい両性の整った顔立ち。おでこから鼻筋にかけての端麗なライン。欲情を奪う顔にも見える。
「今、観音を見ました」
無垢な言葉を発した松本は、宗教のような信仰心を抱いた。悟りをひらいた仏、悟りを求めつづけている菩薩。菩薩を食した俺は悟ったことになるのか。松本はその矛盾を心の中でひとり笑った。
日本では毎年、千人以上が行方不明のままにある。交番前の捜索願いのビラ。しかし、他人の失踪事件などすぐに忘れ去られる。
時計のない部屋。二重ロック。防音壁。首輪。手錠。猿ぐつわ。監視カメラ。狂気と静寂は交互にやってくる。今は宿主を失った静寂の時間である。新しい狂気を拾うまで闇に閉ざされた部屋の空気は凍りついている。