第178期 #6

本音誘発剤

 ある日の夕方、エフ医師のもとをひとりの少女が訪れた。
「本音誘発剤を一錠、処方していただきたいのですが」
 ひかえめな口調で、少女は言った。
「どのような事情で、ご入り用になったのですか」
 本音誘発剤は、本来カウンセリング目的で開発された薬で、これを服用すると一定時間、心の奥底に溜まった本音を何の抵抗もなく打ち明けることができる。
「実は私、父とまともに話したことがないんです」
「ほう、お父さんと」
「嫌いなわけではないんです。ただ、いざ面と向かって話そうとすると何だか緊張してしまって、うまく言葉が出てこないのです」
「お父さんは、厳しい方なのですか」
「いえ、そういうわけではありません。むしろ、優しい父だと思います。家ではいつも無口で、めったに冗談も言いませんが、母との仲も良く、声を荒げるところを見たこともありません」
「円満な家庭でお育ちになったのですね」
「毎日不満も言わずに働いてくれる父に、一度きちんとお礼を言いたいのです」
「けれど、いつものように緊張すると困るから薬の力を借りたい、と」
「そういうことです」
 安心したように、少女はうなずいた。
「わかりました。では、余裕をもって三錠ほど処方しておきましょう」
 と、エフ医師は言った。
「お父さんと会話をする直前に、この錠剤を服用してください。一錠あたりおよそ三十分程度の効果があります」
「ありがとうございます」
 薬を受け取り、少女は部屋を出ていった。

 家に帰る途中、少女の胸は高揚感で満たされていた。
 この薬のおかげで、父親に本音を伝えられる。この薬があれば、これまでの親子関係を変えられるかもしれない。そして、いつかは薬に頼らずに父と話せるようになって……。
 しかし、少女の期待はあっけなく裏切られた。
 家のリビングに、腹部から血を流した父親が倒れていたのである。そのすぐ横には、血のついた包丁を握りしめた母親が立っている。
「お父さん!」
 少女は悲鳴とともに駆け寄ったが、父はすでに絶命していた。
 どす黒い血の海には、ところどころに、カプセル状の白い錠剤が浮かんでいた。
「どうしてこうなっちゃったのよ」
 厳しく問い詰める少女に、母親は動顛した様子でこたえた。
「この人がいけないのよ。ヘンな薬を飲んだと思ったら、いきなり(お前は世界一ブスで無能な女だ!)なんて怒鳴りちらすから……」



Copyright © 2017 夏川龍治 / 編集: 短編