第14期決勝時の投票状況です。19票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
26 | 鴉の駅長 | ワラビー | 5 |
28 | アルジェリア | 林徳鎬 | 5 |
19 | 街 | 曠野反次郎 | 3 |
27 | 無限ループの愛に | 逢澤透明 | 3 |
20 | (削除されました) | - | 2 |
- | なし | 1 |
予選に同じ。今期で一番よいし、決勝のなかでも当然一番(この票の参照用リンク)
「死なずの鳥」と「鴉の駅長」とどちらにしようか迷った。
どちらも好きなのだが、人が死なないのでこっち。
迷ったら死人の出てないほうが後味が良さそうだから。(この票の参照用リンク)
鴉です。鴉。
この主人公が羨ましい。私もこういう目にあってみたい。
鴉の真面目な勤務態度が良い。
主人公の植物学者という面がもっと出て欲しかったな。(この票の参照用リンク)
「街」か「鴉の駅長」かで、こっち。
一つの作品というのは、言い換えれば一つの切り口であると思う。今期最も鋭い切り口であるように感じられたのはこの作品だった。切れりゃいいってもんじゃないだろ、とか、その切り方じゃまずい場合もあるだろ、というのは、また別の問題ではないだろうか。(この票の参照用リンク)
まあいいのでは?雰囲気が。(この票の参照用リンク)
「アルジェリア」と「鴉の駅長」で心底迷いました。優勝して欲しいという意味では「鴉の駅長」なんですが。
「アルジェリア」は圧力がすごい。ただ落ちるだけを書いた、話ですらないある意味異端のもの。でも惹きつけられてしまったのだから仕方ない。話で引っ張るのではなく文章で引っ張る。それを成功させる手腕は、羨ましい。
ただ、言われてみればではあるんですが、予選票にあった『「論理的に。」「美しく。」はいらない。』という意見には、私も賛成です。あくまで言われてみればですが。
「鴉の駅長」について少し。タイトルも内容も書き手の名前も、おそらく忘れてしまうでしょう。が、ただふとしたときに、乗車券を咥えた鴉の姿が浮かんだりする。そういうかたちのものだと思います。投票はしませんでしたが、優勝して欲しいと思っています。(この票の参照用リンク)
この作者の文章でもっと物語性のあるものを読みたいです。注文つきの一票。(この票の参照用リンク)
予選時から、この作品だけが異彩を放っていた。起きている出来事は、落ちている、ということだけで、それ以外にはなにも分からないが、何度読んでも、何だかわからない魅力があった。
とても高い所から、おそらくスカイダイビングするように「私」が落ちていく様を、現在形と体言止めを使って描いているが、文章に速度があり、それが小説の内容と一致していて、臨場感にあふれていた。
太陽と大地の存在感も大きい。太陽は遠くで見守り、大地をあたため、大地はそのぬくもりを持って、まるで両手を拡げるように、「私」が落ちてくるのを待っている。
「私」に待ち受けている運命は死以外考えられないが、この太陽と大地の存在のために、その死が甘美なもののように思えてくる。
考えてみれば、この小説の「私」と同様、落ち続ける存在である。我々もまた生まれ落ちた瞬間を知らない。気がついてみれば、すでに人生は始まっていて、歳を経るごとに時間の流れは速くなっていく。その流れに逆らうことはできず、幼い頃、若い頃の情熱は徐々に冷えていく。
この小説は、実は我々の人生をたった千字に押し込め、描いたものだといえるのではないだろうか。
落ち続ける「私」が目を開き、太陽と空と大地を見いだす。そこには、落ち続けている我々に、救いと慰めと生きる希望を与えてくれるような気がする。この小説の魅力とは、おそらくそういうことだろうと、思う。(この票の参照用リンク)
かなり接戦であった。
「街」まず800字である事は少しマイナスでしょう。その必然性がない。次に細かな所で不満がある。【肉屋のクセに動物が好きで】なら【住まわせていて、自分の夫がそのうち】ではなく【住まわせていたが、自分の夫がそのうち】だろう(呼応)。【魚屋の向かいにある花屋の二階には、売れない女優が住んでいていて】は、親父は、奥さんは、と来たので例えば「二階の女優’は’」だろう。そうすることで次節の【宿屋には、女優に恋をする詩人志望の青年がいて】で、こう、(それまでは単調な羅列式にしておけばスポットライトが当るイメージで、あるいはズームアップのイメージで)「青年がいて」を含む一文が引き立つと思う。落語で言えばマクラが終わって本題に入るあの一瞬のイメージである。そのあたりですかねえ、敗因は。企図は寧ろ他より良い方に感じます。完成度の問題です。しかし叙事詩的でGOODです。
「鴉の駅長」
うーん。鴉だから敢えて「啼く」にしたのか?鳥なら普通に「鳴く」だろう。それはどうでもいいが、ちょっと狭い感じがした。最初の2行で折角いい雰囲気を出しているのに、鴉の性格(というかまあ態度というか我の強さ)と「私」の【使用済みの乗車券など、どうしようと勝手だ】というような性格が似通っていてあまりにベストマッチって感じで、この一文以降、「鴉対私」の構図が強すぎハレーション、他が飛んだ。例えば折角植物学者なんだからピーナッツではなく「珍しい木の実」とか。「鴉の意思 対 私の意思」に意識が行き過ぎ(メインストーリー)小説的な遊び部分がちょっと弱かった。或いは具体的な部分。
「死なずの鳥」
前述2作に比べればスジだけでなく読者の意識の引っ張りまわし方は上回る。あとは詩的レトリックというか「印象に残る言葉」というかそういうインパクトというか魅力。今の状態では全体的に同じレベルの叙述で、ちょっと抑揚に欠ける。
「無限ループの愛に」
逆に読むこと自体が面白いレベルの文章。この作品については他でも述べたのでここでは追加としてこの点を追記したに留める。
「アルジェリア」
結局これでした。いまだに良く解らないが、今回投票に際して再読して全然苦にならなかった。なぜか解らない。瑕瑾では分析不能。しかし良い。(この票の参照用リンク)
描写が最も秀でていたので。墜落を自分の事のように感じられました。(この票の参照用リンク)
街 まあ普通にこれだろう。ただし私が普通にこれだろうと思った作品が過去優勝したことはほとんどない。(この票の参照用リンク)
1「街」 『クセ』や『悪ガキ』といった妙なカタカナ使いに引っかかった。コップの中の嵐、の世界は鮮やか。最後の一文は「どっとはらい」だ、という評を予選の時に読んでなるほどと思ったが、夢オチと同じ危険もある。
3「死なずの鳥」 文章表現が内容に比べ見劣りする。
5「鴉の駅長」 緻密ということの他に、私の心に響くものがなかった。こうした作品は「うまいですね」と言われ続けるかもしれない。うまい、と感動、の差分は、『目標は、オセマラテ草の北限を調べることにある。これでも私は、植物学者ということになっている。』この二文を考え直して話に絡ませれば得られるのかもしれない。このままではあまりに、もっともらしさを思いつきで埋めただけの二文のよう。
2「無限ループの愛に」 作者がどんな作品から影響を受けてきたのかまるわかりの作品だし、厳密には二次創作なので規定外だろう。
『赤い50ccバイクに二人乗りして、国道を飛ばした。
道半ばのところで、やっぱり赤い50ccのバイクとすれ違った。
そこでは、もうひとりの僕が運転をしていて白ヤギを後ろに乗せていた。』この鮮やかさと、ヤギは目をつぶっていたという小技と、せりふがだいたい(前半はマンガだったが)よかった。
もう一匹のヤギにもう一人の僕がついていることがポイント。
4「アルジェリア」 緻密な描写ということのほかに響くものがなかった。その緻密な寒さや風の描写が、リアルさを与えるということのほかに、テーマに絡めば読んでいて満足すると思うが、今のままだとめんどうくさいこみいった描写を、慣用句を取り混ぜて新鮮味もなく読まされた印象。(この票の参照用リンク)
予選通過作品を読み返してみたものの、結論はやはり変わらず。
悪ガキに潰されてしまったけれど、そこに『街』が確かにあったのだ。(この票の参照用リンク)
今回は五作品とも好みで、仮に明日もう一度投票できるとしたら、全く別の作品に投票してしまいそうだが、今日のところはこれを選ぶ。
<それで、僕たちは出かけることにした。
<赤い50ccバイクに二人乗りして、国道を飛ばした。
<道半ばのところで、やっぱり赤い50ccのバイクとすれ違った。
のとこが妙に具体的でいいなあ。構図を想像したら凄く微笑ましい気分になりました。
そして、
<「愛してる、か。いいね。それ、いいね。なんで思いつかなかったんだろう」
<黒ヤギはうれしそうに、くるりとひとまわりした。
が最高です。(赤珠)(この票の参照用リンク)
Mr.Allahnoの"街"はよい小説だ。私はそこにFranceを感じる。
Mr.Hayeahsyの"アルジェリア"もまたよい。私はそこにAlgeriaを感じる。
しかし、私はMr.Oh-sowerの"無限ループの愛に"に票を投じる。地の文と会話文の美しいHarmony。It's stylish。
J.F(この票の参照用リンク)
〆切までに公表されていた票感想の中で、
「もう一匹のヤギにもう一人の僕がついていることがポイント。」
という指摘を見て、そんな事が書いてあったかなあ、と不思議に思って、もう一度読み直したらちゃんと書いてあった。予選で推した時はどこを読んでいたのだか、自分ながら呆れた。確かにその通りであると思う。元々気に入っていた作品だから、教えられていなくてもおそらく推していたろうが、読むべき所を見逃さずに済んで良かった。
『街』と『アルジェリア』は、予選では目をつけていなかった。改めて読み返してみたが、いずれも私にとっては二度は読む必要のない作品であったと言わざるを得ない。『街』は語られる物語が最後にご破算になり、『アルジェリア』は落ちているという状況が明らかになる。途中のすべてはそこに収斂して行くばかりと見えないだろうか。ただし『アルジェリア』の、スカイダイビングでもしない限りそう簡単には体験できない生々しい皮膚感覚を感じ取らせる描写は、力業と思えたけれども。(この票の参照用リンク)
完成度と好みから『街』とで考えた。が、再読して魅力があせないのは『死なずの鳥』だった。まあ『街』は(決して悪い意味ではなく)どうでもいい話なんで、『死なずの鳥』のあながいがたい宿命の世界はやはりパワフルである。五作品のなかでももっとも話が「大きい」と感じる。大きけりゃいいというものでもないが、ぜいたくではあろう。
おそらくこの「死なずの鳥」なる鳥は、フェニックスが炎にみずからを焼くのと同じく、再生によって不死を維持している。再生には手段が必要だが、それが「埋葬されること」なのではないかと思った。彼らは、死の影が濃い人間の前でいったん死に、埋葬されることによってその者と関係を得、その者が死ぬことにより再生する。たまたまかけられたネックレスのおかげで、あたかも「生」が少女から鳥に継承されているように見えるが、しかしこの「死なずの鳥」がなにせ骸骨だから生きているのかどうかあやしいもので、もともと死んでいるから死なないんじゃないかという気もし、むしろ「死」を継承している感がある。まあでも、そのあたり確たるところはだれにもわからないのだろう。こう解釈にひっかかりがのこるのも、伝説のリアリティである。(この票の参照用リンク)
予選では投票しなかったが、改めて読みかつ考えてみると、この作品は面白い。不死鳥・火の鳥というような存在はつまり古代の人間たちが抱いていた不可思議=神の領域への畏敬や何かだったと推察されるわけで、その辺を掘り下げてみるとさらに面白そう。作品中で掘り下げる意味はあまりなくて、つまり、私が小説に期待するのは何事かを与えてくれる、何事かを考えさせてくれる、そういう刺激となる「何か」である。この作品にはそれがあった。火の鳥から火葬を連想するなら、「死なずの鳥」からは土葬を連想する。そういうところから世界の埋葬様式を調べていけば、おそらくたいそう興味深いことだろう。骨だけの鳥が飛べるか、という疑問も確かに一面からは成り立つが、要は「骨だけで飛ぶとしたらどういう可能性があるか」を考えた方が楽しい。「羽毛も肉もなく、骨しか見えない」、保護色のように羽毛や肉が透明(逢澤氏ではない)なのか、はたまた眼には見えない霊魂のようなものが骨を飛んでいるように見せているのか、あるいは超上的な力が我々の脳に働きかけて、視覚を狂わせているのか。それは物語を受けて我々が様々に考えて良い部分だと思う。もちろんそれはデコレーション的な部分で、この作品の核は、夭折の少女を永遠者が慰撫するという、ロマンティックな所にあるのではないか、と思うのである。「死なずの鳥」が来たから人が死に村が滅びるのではなく、人が死に村が滅びる場所へ「死なずの鳥」が来る、ということだ。原因と結果の逆転である。「坊主は辛気臭い」というのと一緒(?)である。坊主が辛気臭いのではなく、死の身近にいる者はいやでも死を連想させる、死が辛気臭いので坊主を辛気臭く感じる、ということだ。それは坊主のせいではない。口承文学の味を持った作品である。(この票の参照用リンク)
予選通過作品に欠点があるから推薦作品を選出しないのではなく、魅力がないから選出しない。五作品もあるというのに突出して魅力ある作品がないというのも不幸な話だとは思うが私以外の人には魅力ある作品があるかもしれないので他の人の票/評を楽しみにしていよう。(この票の参照用リンク)