第14期決勝時の、#28アルジェリア(林徳鎬)への投票です(5票)。
「アルジェリア」と「鴉の駅長」で心底迷いました。優勝して欲しいという意味では「鴉の駅長」なんですが。
「アルジェリア」は圧力がすごい。ただ落ちるだけを書いた、話ですらないある意味異端のもの。でも惹きつけられてしまったのだから仕方ない。話で引っ張るのではなく文章で引っ張る。それを成功させる手腕は、羨ましい。
ただ、言われてみればではあるんですが、予選票にあった『「論理的に。」「美しく。」はいらない。』という意見には、私も賛成です。あくまで言われてみればですが。
「鴉の駅長」について少し。タイトルも内容も書き手の名前も、おそらく忘れてしまうでしょう。が、ただふとしたときに、乗車券を咥えた鴉の姿が浮かんだりする。そういうかたちのものだと思います。投票はしませんでしたが、優勝して欲しいと思っています。
参照用リンク: #date20031022-212154
予選時から、この作品だけが異彩を放っていた。起きている出来事は、落ちている、ということだけで、それ以外にはなにも分からないが、何度読んでも、何だかわからない魅力があった。
とても高い所から、おそらくスカイダイビングするように「私」が落ちていく様を、現在形と体言止めを使って描いているが、文章に速度があり、それが小説の内容と一致していて、臨場感にあふれていた。
太陽と大地の存在感も大きい。太陽は遠くで見守り、大地をあたため、大地はそのぬくもりを持って、まるで両手を拡げるように、「私」が落ちてくるのを待っている。
「私」に待ち受けている運命は死以外考えられないが、この太陽と大地の存在のために、その死が甘美なもののように思えてくる。
考えてみれば、この小説の「私」と同様、落ち続ける存在である。我々もまた生まれ落ちた瞬間を知らない。気がついてみれば、すでに人生は始まっていて、歳を経るごとに時間の流れは速くなっていく。その流れに逆らうことはできず、幼い頃、若い頃の情熱は徐々に冷えていく。
この小説は、実は我々の人生をたった千字に押し込め、描いたものだといえるのではないだろうか。
落ち続ける「私」が目を開き、太陽と空と大地を見いだす。そこには、落ち続けている我々に、救いと慰めと生きる希望を与えてくれるような気がする。この小説の魅力とは、おそらくそういうことだろうと、思う。
参照用リンク: #date20031022-134422
かなり接戦であった。
「街」まず800字である事は少しマイナスでしょう。その必然性がない。次に細かな所で不満がある。【肉屋のクセに動物が好きで】なら【住まわせていて、自分の夫がそのうち】ではなく【住まわせていたが、自分の夫がそのうち】だろう(呼応)。【魚屋の向かいにある花屋の二階には、売れない女優が住んでいていて】は、親父は、奥さんは、と来たので例えば「二階の女優’は’」だろう。そうすることで次節の【宿屋には、女優に恋をする詩人志望の青年がいて】で、こう、(それまでは単調な羅列式にしておけばスポットライトが当るイメージで、あるいはズームアップのイメージで)「青年がいて」を含む一文が引き立つと思う。落語で言えばマクラが終わって本題に入るあの一瞬のイメージである。そのあたりですかねえ、敗因は。企図は寧ろ他より良い方に感じます。完成度の問題です。しかし叙事詩的でGOODです。
「鴉の駅長」
うーん。鴉だから敢えて「啼く」にしたのか?鳥なら普通に「鳴く」だろう。それはどうでもいいが、ちょっと狭い感じがした。最初の2行で折角いい雰囲気を出しているのに、鴉の性格(というかまあ態度というか我の強さ)と「私」の【使用済みの乗車券など、どうしようと勝手だ】というような性格が似通っていてあまりにベストマッチって感じで、この一文以降、「鴉対私」の構図が強すぎハレーション、他が飛んだ。例えば折角植物学者なんだからピーナッツではなく「珍しい木の実」とか。「鴉の意思 対 私の意思」に意識が行き過ぎ(メインストーリー)小説的な遊び部分がちょっと弱かった。或いは具体的な部分。
「死なずの鳥」
前述2作に比べればスジだけでなく読者の意識の引っ張りまわし方は上回る。あとは詩的レトリックというか「印象に残る言葉」というかそういうインパクトというか魅力。今の状態では全体的に同じレベルの叙述で、ちょっと抑揚に欠ける。
「無限ループの愛に」
逆に読むこと自体が面白いレベルの文章。この作品については他でも述べたのでここでは追加としてこの点を追記したに留める。
「アルジェリア」
結局これでした。いまだに良く解らないが、今回投票に際して再読して全然苦にならなかった。なぜか解らない。瑕瑾では分析不能。しかし良い。
参照用リンク: #date20031016-201917