第14期決勝時の、#20(削除されました)(-)への投票です(2票)。
完成度と好みから『街』とで考えた。が、再読して魅力があせないのは『死なずの鳥』だった。まあ『街』は(決して悪い意味ではなく)どうでもいい話なんで、『死なずの鳥』のあながいがたい宿命の世界はやはりパワフルである。五作品のなかでももっとも話が「大きい」と感じる。大きけりゃいいというものでもないが、ぜいたくではあろう。
おそらくこの「死なずの鳥」なる鳥は、フェニックスが炎にみずからを焼くのと同じく、再生によって不死を維持している。再生には手段が必要だが、それが「埋葬されること」なのではないかと思った。彼らは、死の影が濃い人間の前でいったん死に、埋葬されることによってその者と関係を得、その者が死ぬことにより再生する。たまたまかけられたネックレスのおかげで、あたかも「生」が少女から鳥に継承されているように見えるが、しかしこの「死なずの鳥」がなにせ骸骨だから生きているのかどうかあやしいもので、もともと死んでいるから死なないんじゃないかという気もし、むしろ「死」を継承している感がある。まあでも、そのあたり確たるところはだれにもわからないのだろう。こう解釈にひっかかりがのこるのも、伝説のリアリティである。
参照用リンク: #date20031022-085112
予選では投票しなかったが、改めて読みかつ考えてみると、この作品は面白い。不死鳥・火の鳥というような存在はつまり古代の人間たちが抱いていた不可思議=神の領域への畏敬や何かだったと推察されるわけで、その辺を掘り下げてみるとさらに面白そう。作品中で掘り下げる意味はあまりなくて、つまり、私が小説に期待するのは何事かを与えてくれる、何事かを考えさせてくれる、そういう刺激となる「何か」である。この作品にはそれがあった。火の鳥から火葬を連想するなら、「死なずの鳥」からは土葬を連想する。そういうところから世界の埋葬様式を調べていけば、おそらくたいそう興味深いことだろう。骨だけの鳥が飛べるか、という疑問も確かに一面からは成り立つが、要は「骨だけで飛ぶとしたらどういう可能性があるか」を考えた方が楽しい。「羽毛も肉もなく、骨しか見えない」、保護色のように羽毛や肉が透明(逢澤氏ではない)なのか、はたまた眼には見えない霊魂のようなものが骨を飛んでいるように見せているのか、あるいは超上的な力が我々の脳に働きかけて、視覚を狂わせているのか。それは物語を受けて我々が様々に考えて良い部分だと思う。もちろんそれはデコレーション的な部分で、この作品の核は、夭折の少女を永遠者が慰撫するという、ロマンティックな所にあるのではないか、と思うのである。「死なずの鳥」が来たから人が死に村が滅びるのではなく、人が死に村が滅びる場所へ「死なずの鳥」が来る、ということだ。原因と結果の逆転である。「坊主は辛気臭い」というのと一緒(?)である。坊主が辛気臭いのではなく、死の身近にいる者はいやでも死を連想させる、死が辛気臭いので坊主を辛気臭く感じる、ということだ。それは坊主のせいではない。口承文学の味を持った作品である。
参照用リンク: #date20031016-025647