■読者の一人としての感想に徹したいのでHNは1002でいきます。よろしく。
■1002あてに感想希望の意思表示をしてくれた作品への感想となります、希望されるかたがいればどうぞ。
■「短編」掲示板へは平日のみの投稿となります。返信は遅くなるかもしれません。
■私の基本姿勢は→http://tanpen.jp/bbs/nbbs.cgi/temp/1032 に書いてます
●作品2、13、16、19、20感想
○
作品2「ボクカノ」
保守派議員への報復として、テログループが孫に刺客を送りこむ。それは孫が金で買った美女で、彼女は孫の理想的なおもちゃを演じたあと、自爆する――という話だと読んだ。
読後の感想としては、まず、この話の構想を頭のなかで練って、それを形にするのは結構大変だったろうなあ、と思った。話の展開や構成はとても洗練されているし、意味もわかる。
話のつくりかたとして、最初から最後まで読んで冒頭に戻れば、話の余韻が深くなるというつくりかたも上手だと思う。
だが、うまいとは思うものの入り込めなかった。その理由を自分なりに考えてみると、「若い男が金で女を買ってエロいことをする」というところが、冒頭に要約したこの話の内容のなかで必要以上に執拗に描かれている点がまず一点。つぎに、「射精」「興奮」「勃起」という単語が、露骨だと思った。
それで全体の印象が、すぐれた文章と構成なのにもかかわらず「ほらほら、あんたエロい話すきだろ? うちはあんたのツボをおさえたエロ話満載でっせ」と、風俗店の呼び込みに声をかけられたような気分になってしまったのだ。
たしかにこの話の中で作者にとっては「若者が女を買ってエロいことする」という場面は作品の流れのうえで重要であり、また読者にとっても気になる場面ではあるけれども、この露骨なエロでは、この作品を誤解してしまう。私が誤解してしまった一人でもある。
……たとえば、中盤の「お前みたいな豚がいるから奴隷制度がなくならないんだ」という箇所をもっと活かすために、中盤の主人公を「僕」にするのではなく、このテロリストの女の視点で語っていけば印象もかわったのでは。
次期も楽しみにしています。
○
作品13「夏の魔物。」
作品の感想を具体的に書くまえに、少し全体の印象のようなところから書いてみたい。
たしか掲示板に金武さんだったか、「サブカルチャーとメインカルチャーの違い」のようなことを書いていて、はっきりわからなかったけれども「正統性に対して異質を武器にすることの効果」について書いているのだと思った。
みうらさんも同じようなことを書いていて、正確に引用しないので申し訳ないが、わざとつまらない話を書く、みたいなことだったと思う。
私はそういう理屈がよくわからない。オセロにたとえてみると、黒ばっかりの盤面がなんだか偉そうで気に食わないから、腹をたてて、全部ひっくりかえして白にしてやった……としても、今度は白が権威になってしまう。なにかに対して全否定すると、次は自分が否定していたあるものになってしまう。
つまり、サブカルチャーの強みをいかすべく金武さんのように、メチャクチャな文章を才能だけで組み立てて相手を認めさせていく筆法は、今期の作品のように才能が際立っていればいいけれども、いつしか「金武文体」という決った形(他と異質なものは必ず目立っていくと、次第に○○さん文体と独自であるがゆえの力を持っていく)に寄りかかってしまうことになりかねない。それは皮肉でもある。
同様に「わざとつまらなくする」という発想は、「読者に寄り添ってとにかくおもしろいといってさえもらえればいい」ということの単純な裏返しにすぎず、グレた学生みたいな感じがする。
本当に革命的であるスタイルというのは、いかにも<普通>で<ありつづける>ことだと私は思うのだが……。普通にみえるなかに、そうときづかせない面白さやそうときづかせない伏線をねじこみ、にも関わらず全体として普通である、という作品が読みたいな、と私は思う。
それで、「夏の魔物。」の感想を書くと、実は、この話、おもしろいとは思うのだが、さすがに何期もつづけて作者の作風を読んでいると、そのサブカル的文体が、サブカル的ゆえの奇抜さが目新しくなくなってきて、
「改行のポイントがめちゃくちゃだとか、……のうちかたが統一されてないとか、四コママンガ的な展開そのものはわるくないけど、それって、正統的なものが書けたうえでのハズシのテクニックであって、まともな書き方ができないのをひらきなおってめちゃくちゃに書いているだけならば、さすがに飽きてくるなあ」
ということを思った。
これってヒドい感想ですか? でも、私はもし「のい」さんが、いわゆる一般的に普通の小説や物語の文体で、この話を書いていたら、もっと話の仕掛けが生きてきておもしろくなると思ったんんですが。
<大人達よ…デザートは大切だ!この前テレビでおっさんが「今の子供が勉強出来ないのは3時のおやつ(デザート)が無いからだ!」と熱弁していた。>
というところの、奇抜な一文なんてすごく好きなんですが、この一文を活かすためにはやはり「なんのてらいのない普通の文章」を書く必要があると思う。
しかし、これが私の文体なんだ、と強く決心しているならば、まあこれはこれでおもしろいのかな、と思うという、微妙なところにあるのだが、今期は具体的な感想を持つよりそんなことばかり思いました。
次期も楽しみにしています。
○
作品16「コント「ブランコと僕」」
深い作品です。投票したので感想省略します。
ところで10月末にある某文学賞への投稿予定はありますか? もしまだだったら、前記の書き直し作品やこの作品を強引につなげてぜひとも応募しましょう。私も投稿しますよ。
「短編」は私にとっては、進学塾の知人、といった印象です。みな志望校はばらばらで、とくに学校生活のようにざっくばらんに私生活を話すことはないけれども、なんとなくゆるやかなつながりと、同じ目的がある同士といったような。かけひきなしに作品の長所短所を言い合って、結果的にうまくなって世の中にでたいですね。
ちなみに、かの有名なナボコフの「ロリータ」は今でこそジャンルわけ不可能な複雑な味わいの小説ですけれども、書かれた当時は文芸誌に掲載拒否されて、エロ小説としてマニアにのみ知られた作品だったらしいですよ。
次期作も楽しみにしています。
○
作品19「恋心談議」
男が友人(男)から恋の相談をされるが、実は好きなのは君のことなんだよ、と男の友人から告白される話だと読みました。
この話のヤマ場に作者が選んでいるのは「男と男」の組み合わせなんだと思うんですが、「実はおれ、お前のことが好きなんだ!」の一文に、この作品のすべてを背負わせているように思えて、仕掛けがそれだけではちょっと物足りなかったです。まあ作者としては「責任を取ってお前が人工呼吸しろよな、薄れゆく意識の中で俺は強くそう念じた」というラストに大どんでん返しをしのばせたんでしょうが……。
つまり、「実はおれ……ホモだったんです」という設定も「そうか、おれも!」という返し(作品ではさりげなく表現してますが)そのものが、もうタブーでもなんでもなくなってきた時代だ、という実感も読み手のこっちにありますね。
次期も楽しみにしています。
○
作品20『幻獣料亭』
今期投票したので感想省略します。
しばらく執筆活動をやめるということをブログで読みましたが、毎回投票したかどうかは別として、いつも作品を楽しみにしているので、読み手の一人としては投稿を続けていただきたいです。
「なぜ書くか、理由がわからなくなってきた」ということは私にも他人事ではない問題なので、勝手ながらこの機会に考えてみたいと思いました。ただ、客観的にいえることは、書くのは陸上みたいなもので、長距離ランナーも短距離ランナーもどっちのタイプでも、走ることをやめると記録はおちる、ということです。そして執筆はどんなライバルがいようと、時代の流行がどこにあろうとも、自分相手に書くというのが基本だと思います。受ける受けないは、自分を満足させたそのあとについてくるもので、まず最初の読者である自分を納得させるところから普遍性というのは生まれるのとだと思う。
石川さんの今の筆力は、それがどれくらい凄いのかの検証は別として、今『幻獣料亭』のレベルを書けるのは書き続けてきているからで、数ヶ月書かなかったら、もうこのレベルの筆力はかけなくなる、ということは確かだと思います。努力で補えることはたいてい知的な作業ではない、といった才人もいますが、たしかに創作の一番大事なひらめきは書かなくても維持されることはあっても、デッサン力、描写の力のほうはピアニストの指と同じです。
まあ、「偉そうに書くな」と言われても仕方ありませんが、こういうメッセージが届く相手だろう、と思って書きます。届かなかったらこちらの判断ミスですね。
1000字小説でなくとも、なんらかの形でかくことを続け、また復活したさいには「短編」投稿を期待してます。もっといえば、「短編」投稿は毎月の定例会参加のようなものと考えて、目標としては高橋さんへの感想にも書きましたが、ジャンルはどうあれより大きな場所への投稿だと思います。ぜひとも「短編」を種まきのように考え、種切れにしないように続けていただきたい。
次期作も楽しみにしてます(いやみではなく)。
作品13「夏の魔物。」
〉
〉
〉 作品の感想を具体的に書くまえに、少し全体の印象のようなところから書いてみたい。
〉
〉 たしか掲示板に金武さんだったか、「サブカルチャーとメインカルチャーの違い」のようなことを書いていて、はっきりわからなかったけれども「正統性に対して異質を武器にすることの効果」について書いているのだと思った。
〉
〉みうらさんも同じようなことを書いていて、正確に引用しないので申し訳ないが、わざとつまらない話を書く、みたいなことだったと思う。
〉
〉私はそういう理屈がよくわからない。オセロにたとえてみると、黒ばっかりの盤面がなんだか偉そうで気に食わないから、腹をたてて、全部ひっくりかえして白にしてやった……としても、今度は白が権威になってしまう。なにかに対して全否定すると、次は自分が否定していたあるものになってしまう。
〉
〉つまり、サブカルチャーの強みをいかすべく金武さんのように、メチャクチャな文章を才能だけで組み立てて相手を認めさせていく筆法は、今期の作品のように才能が際立っていればいいけれども、いつしか「金武文体」という決った形(他と異質なものは必ず目立っていくと、次第に○○さん文体と独自であるがゆえの力を持っていく)に寄りかかってしまうことになりかねない。それは皮肉でもある。
〉
〉同様に「わざとつまらなくする」という発想は、「読者に寄り添ってとにかくおもしろいといってさえもらえればいい」ということの単純な裏返しにすぎず、グレた学生みたいな感じがする。
〉
〉本当に革命的であるスタイルというのは、いかにも<普通>で<ありつづける>ことだと私は思うのだが……。普通にみえるなかに、そうときづかせない面白さやそうときづかせない伏線をねじこみ、にも関わらず全体として普通である、という作品が読みたいな、と私は思う。
〉
〉それで、「夏の魔物。」の感想を書くと、実は、この話、おもしろいとは思うのだが、さすがに何期もつづけて作者の作風を読んでいると、そのサブカル的文体が、サブカル的ゆえの奇抜さが目新しくなくなってきて、
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〉「改行のポイントがめちゃくちゃだとか、……のうちかたが統一されてないとか、四コママンガ的な展開そのものはわるくないけど、それって、正統的なものが書けたうえでのハズシのテクニックであって、まともな書き方ができないのをひらきなおってめちゃくちゃに書いているだけならば、さすがに飽きてくるなあ」
〉
〉ということを思った。
〉
〉これってヒドい感想ですか? でも、私はもし「のい」さんが、いわゆる一般的に普通の小説や物語の文体で、この話を書いていたら、もっと話の仕掛けが生きてきておもしろくなると思ったんんですが。
〉
〉<大人達よ…デザートは大切だ!この前テレビでおっさんが「今の子供が勉強出来ないのは3時のおやつ(デザート)が無いからだ!」と熱弁していた。>
〉
〉というところの、奇抜な一文なんてすごく好きなんですが、この一文を活かすためにはやはり「なんのてらいのない普通の文章」を書く必要があると思う。
〉
〉しかし、これが私の文体なんだ、と強く決心しているならば、まあこれはこれでおもしろいのかな、と思うという、微妙なところにあるのだが、今期は具体的な感想を持つよりそんなことばかり思いました。
〉
〉次期も楽しみにしています。
すいません、前半はよく分からなかったです。
えーと、1番初めの頃から、私の作品の感想には文章の書き方がなってない。題材は面白そうなのに活かせていない。あの一文は良かったが……。などが毎回のようにでます、目茶苦茶な文章で、しかもここに書いている小説は大半がその場の思い付きです、それが大きな要因であることは自分でも気付いてはいますが、今までの癖なのか、考えれば考えるほどにおかしくなり、納得がいくどころか作品に不満しか抱けないという状態になったりしてしまい、二度とこの場には顔を出せなくなるとおもいます。
えー話がおかしくなりましたが、次回についてはもう少し一般的な文体に近づけるようにしたいと思っています。
感想有難うございました。次回も私の作品を見つけましたらよろしくお願いします。
感想どうもです。
票くれたのは1002さんだったんですか。
全部暴かれた上に、手まで差し伸べられてしまったので、画面の前で赤面してしまいましたよ。
「ロリータ」は図書館で借りて、成熟した女性ばかりでふてくされた主人公が浜辺(だったかな?)に佇む幼女を見てテンションが上がったところまで読んで、買ってじっくり読もうと決めたので、まだ読みきってません。
主人公がおもしろいので、たぶん近いうちに読むと思います。
「短編」の印象は、僕も1002さんとほぼ同意見ですね。
ただ、僕の書く話はネガティブな要素が多いためか受け入れ辛そうなので、アウトorセーフの境界を探していますが、それが悩みといえば悩みです。
ところで、前期書き直しと今期をつなげたものとなるとかなり嫌な話になりそうですが、1002さんだったらどんな風につなげますか?
〉○
〉
〉作品16「コント「ブランコと僕」」
〉
〉
〉深い作品です。投票したので感想省略します。
〉
〉ところで10月末にある某文学賞への投稿予定はありますか? もしまだだったら、前記の書き直し作品やこの作品を強引につなげてぜひとも応募しましょう。私も投稿しますよ。
〉
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〉「短編」は私にとっては、進学塾の知人、といった印象です。みな志望校はばらばらで、とくに学校生活のようにざっくばらんに私生活を話すことはないけれども、なんとなくゆるやかなつながりと、同じ目的がある同士といったような。かけひきなしに作品の長所短所を言い合って、結果的にうまくなって世の中にでたいですね。
〉
〉ちなみに、かの有名なナボコフの「ロリータ」は今でこそジャンルわけ不可能な複雑な味わいの小説ですけれども、書かれた当時は文芸誌に掲載拒否されて、エロ小説としてマニアにのみ知られた作品だったらしいですよ。
〉
〉次期作も楽しみにしています。
○kumaさん
返信ありがとうございます。
どうも私の文章力のつたないせいなのか、私が本当に伝えたいことは何度書いてもkumaさんには伝わらないようで、もどかしいです。これまで何度かやりとりしていただいたのですが、いただくコメントは私の思いがまったく伝わっていないものばかりで、ついイライラして、私のコメントもどんどん攻撃的になっていったようです。
今回のコメントについても、書いてしまうと以前書いたことの再掲になるので省略しますが、別にあなたが感想書くのはやめろ、というわけではありませんし、感想の勝負というのは、あなたの思う「おれのほうが上だろ、へへへ」的な発想にもとづくことではありません。上とか下とか、そういう決着のつけかたではなく、作品の内容をより深めていくことで盛り上げるという意味です。あなたの感想を読んだ限りでは、まだ作品を評価する以前に作品がわかっていないのでは、と思ったからです。「感想」に「感想の感想」を書くのだってかまわないと思いました。
これ以上書くとまた誤解を招きますので、もう何も意見しないことにします。(とくにこのコメントへの返信を希望してません)いろいろとあなたにとってわかりにくい話ばかりして申しわけありません。
○のいさん
返信ありがとうございます。がんばってください。
ちなみに、私の内容について返信してくださるときに、冒頭に全文引用されるのは理由があるんですか? もし、特になければ、以後冒頭ではなく一番最後にしてくれると、ありがたいです。自分の文章を(しかも長文)再読したくありません。それとも、全文引用することでなにかメッセージがあるのですか? 長文で書くな、とか?
〉すいません、前半はよく分からなかったです。
〉えーと、1番初めの頃から、私の作品の感想には文章の書き方がなってない。題材は面白そうなのに活かせていない。あの一文は良かったが……。などが毎回のようにでます、目茶苦茶な文章で、しかもここに書いている小説は大半がその場の思い付きです、それが大きな要因であることは自分でも気付いてはいますが、今までの癖なのか、考えれば考えるほどにおかしくなり、納得がいくどころか作品に不満しか抱けないという状態になったりしてしまい、二度とこの場には顔を出せなくなるとおもいます。
〉
〉えー話がおかしくなりましたが、次回についてはもう少し一般的な文体に近づけるようにしたいと思っています。
〉
〉感想有難うございました。次回も私の作品を見つけましたらよろしくお願いします。
■読者の一人としての感想に徹したいのでHNは1002でいきます。よろしく。
■1002あてに感想希望の意思表示をしてくれた作品への感想となります、希望されるかたがいればどうぞ。
■「短編」掲示板へは平日のみの投稿となります。返信は遅くなるかもしれません。
■「この作品をどうしたらいいか自分はこう考える」というやりとりについては、どなたでも加わっていただければ、と思います。。
○高橋さん
こんにちは。コメントありがとうございます。高橋さんはコミュニケーションの距離のとりかたが上手ですね。
〉ところで、前期書き直しと今期をつなげたものとなるとかなり嫌な話になりそうですが、1002さんだったらどんな風につなげますか?
……さて、81期作品39「ある晴れた夕暮れに」82期作品26「腹の中」83期「ブランコと僕」にこれまで感想を書いたわけですが、
「もしこの3作(かってに3作にしました)の題材から長編をかけ」
と私がテーマを与えられたとしたらどうするか。
○
まず、三つをつなげることよりも「ブランコと僕」を長い話にするところから始めるだろう。
これは投票理由に書いたように1000字のなかで描かれたエロ思想小説として稀にみる大傑作であるが、長い話にするとしたら、「コント」というくくりを、私はとらない。なので、浜田・松本・東野というところの部分をやめて、素直に「僕」に告白させてしまうと思う。
そのテーマにするのは
「なにかを圧倒的に破壊しつくしたい欲望というものはどうしても存在する」
というものだろうか。「僕」は高校生で、誰からも好かれている。優等生でも不良でもないが、かっこいいので女にはモテ、ガリ勉でもなければチクったりすることもないのでヤンキーの友人も多い。勉強はよくできる。
そういう「僕」の秘密基地が、丘のうえのブランコで、料理も得意な「僕」は、サンドイッチをつくって持っていっては一人で食べて空想にふけっている。ちなみに母親は他界し、父親は単身赴任と称して愛人と別宅に住んでいるので事実上は高校生の「僕」一人暮らしである。
僕は風にふかれてサンドイッチを食べながら、自分のなかに修羅のように狂ってしまいたい狂気の欲望があることを知る。それは高校生の、健康的な性欲を満たしたい程度のものではなく、もっとすさまじいもので、Sと名づけるくらいでは軽すぎるほど、何かを破壊しつくしたい欲望というものだった。「僕」はブランコに乗りながら、その欲望について、素直に告白する……こういう設定をかんがえる。
ただここで女を縛り上げレイプする、という描写を書くかどうかは迷います。そこを書いてしまうと、そのシーンばかりが目立ってしまって、全体がその話だけになってしまいそうな気がするから。
しかしもしも書くとするならば、まず「僕」は左手にサドの著作を持っているほうがいい。そうして空想に入るのだが、ここは暴行の描写は露骨にはかかない。たとえば、今期の作品では
二人はげらげらと笑い転げる
「きたねえ、あはは」
といった表現があったが、このことばの卑猥なイメージの連想「げらげら」「きたねえ、あはは」をつかってしまうと、もともと暴行しているだけではやくも話全体のバランスが崩れかかってきているので、このシーンはむしろ暴行そのものを描かず、暴行している男たちのスケッチ、あるいは森の様子を「僕」の視点で描くというのはどうだろう。「僕」は残虐シーンを空想し、それを求めていながらも実生活では完璧な高校生であり、欲望と正反対の強い理性をもっている。
なので、「僕」は自分の妄想のなかでも「欲望」に対して「理性」が冷たい注文をつける。
<森のなかで四人の男が女を取り囲んでいるのを僕はみていた。どうしてこんな男たちはみんな同じ目をしているのだろう。髪型も服装もばらばらなのに、目が細い。その瞳は森のなかにさしこむ光も届かないほど深い灰色なのだ。彼らはさっきからお互いをオイとしか呼ばない。名前なんて彼らはどうせ必要としないんだろう。僕はこいつらをオイA、オイB、オイC、オイDと呼んでやることにした。オイCだけが頭にバンダナを巻いている。他はみんな原色でそろえた無個性な恰好なのに、オイCのバンダナだけ、とても人間的にみえる。オイCのつけているバンダナは、そういえば絵里が僕にくれた柄にそっくりだ。絵里……左目から唇の脇にかけて縦に一筋の傷痕をつけた女。僕はオイ達に囲まれている女をみる。絵里だった。顔にキズがないころの綺麗な絵里だった。だが僕は顔に傷がある絵里が好きなんだ。オイたちが寄ってたかって絵里にあつまり、縄をかける。バンダナをまいたオイCがナイフを取り出して、絵里の顔につきつける。絵里は泣いている。絵里よ、泣かなくていいんだよ。僕はその傷が好きなんだから。ナイフの刃がゆっくりのスピードで肌の内側に入り込むと、まもなく真っ赤な血が刃をとおしてオイ達にとびかかる。僕は彼らの目がもう灰色でなくなったことを知る。そろそろ僕も森を出なければならない>
……ちょっと改行せずに書いてみたんですが、もちろんそうなると「僕」は作品「腹の中」の伊藤君ということになります。絵里もそうですね。あのヒロインです。
つまり、長編化する場合、冒頭に絵里たちの物語がでてくる→そこで伊藤君をめぐる話(彼がどれだけイイ男であるか、とか、彼をめぐる親友同士のとりあいの話)がでてくる。この冒頭部分は、とても現実的な視点で、いまっぽく書かれる。
その次の章に、「僕」の人称で伊藤君の生活、彼の秘密基地、そして妄想のなかで絵里の肌に傷をつけるシーン(もちろん実際はアノ傷は親友がつけたもの)、妄想をおえてゆっくりと丘をおりる
では最後の章は……ということで、81期「ある晴れた夕暮れに」のアイツが登場するというのはどうでしょうか。かわいい妻がいながら自殺しようとする会社員の手帳をみたアイツが「こんな美人妻がいるのに自殺なんて贅沢だ、だったら俺がこの美人妻を犯してやる」というアイツです。
その設定をちょっとかえてしまって、ここでは拾った手帳は高校生の「僕」伊藤君の日記であり、日記には、理性と欲望に悩む伊藤君の切実な内容が書いてある。絵里の写真も入っている。絵里の傷がうつらないように撮られていた写真である。伊藤君はいろいろ悩んだあげく、やはり理性的に「病気の自分は生きている価値がない」と思い自殺を考えている。アイツはそれをゼイタクだと思い、絵里を犯しに行こうとしている。
そんなところで、伊藤君が前方から日記を探して戻ってくる。アイツは伊藤君の顔は知らないからまさか彼が日記の書き手だとは知らない。だが、伊藤君はアイツを見た瞬間に凍りついた表情になる。なぜならば伊藤君が妄想のなかでいつも登場させるオイCの顔がアイツと同じであったからだ。
伊藤君は我を忘れ、まさに発狂寸前にオイCに撲りかかり、不意打ちされて撲られたオイCの手から、伊藤君は自分の日記をみつけ、ますます動揺する。
そんなときに、ファミレスから出た絵里と友人が撲りかかっている伊藤君をみつける……というところで、この三人をカメラが遠くに映しだすかたちでおわる……
とか、考えてみました。これをより具体的に書け、となると、それは私の作品になってしまいますのでこれ以上は遠慮しますが、まあ長編にできるのではないかな、と。
参考にしたのは壱倉さんのサイトにあった「群像劇効果」という考えかたですね。無理にオチやこたえをつけない(壱倉さん、こちらの記事読んでくれたみたいでありがとうございました)。
もしよければ、ここにアドレスかきませんけど、読めると思うので探して読んでみてください。あれはかなりひさしぶりに「短編」で刺戟を受けた創作についての考え方でした。おすすめです。
さっそくの返信ありがとうございます。
無茶なお願いをしてしまったなと思っていたので、返信の速さに驚きました。
文学賞へのお誘いを受けて自分なりに考えてみたんですが、どうも送るべきでない内容になりそうだったので、1002さんのアイディアを聞いてよかったです。
〉■「この作品をどうしたらいいか自分はこう考える」というやりとりについては、どなたでも加わっていただければ、と思います。。
という項目が増えましたね。僕としても賛成です。
---
僕の場合は「腹の中」と「ブランコと僕」で作ると思い込んでいたので、その二つがベースになっていました。
両者を混ぜたとき「暴力と治癒・再生」というテーマが浮かびました。
登場人物は、恵梨(松本)、絵里(僕)、伊藤(浜田)です。
それぞれに理由をつけて恵梨をいたぶるような内容にしようかと考えて、まだ全然まとまってなかったりします。
同じような材料なのに全然違ってて面白いですね。
こういった作り方の違いというのも興味深いです。
1002さんのアイディア内で「ブランコで妄想する僕」や、「ある晴れた〜」に展開していくさまには驚きました。
それに、最後に放り投げましたね。
画面の前で「ええええ!」と声を上げてしまいましたよ。
これ盗みたいなあ。でも難しいなあ。
実は「群像劇効果」は読ませてもらっていたのですが、まだ理解しきれていないんですよね。
ただ、今回の1002さんのを見ると、僕の考え方は「群像劇効果」とは逆なのかなあと思いました。
全文引用するのは、こういうことを言われた返信です。という意味ですが、冒頭にあるのは私が書き終えた後に言われた内容と合っているか確認をしやすいように、というだけですので次回からは最後にします。
〉
〉
〉
〉○のいさん
〉
〉返信ありがとうございます。がんばってください。
〉ちなみに、私の内容について返信してくださるときに、冒頭に全文引用されるのは理由があるんですか? もし、特になければ、以後冒頭ではなく一番最後にしてくれると、ありがたいです。自分の文章を(しかも長文)再読したくありません。それとも、全文引用することでなにかメッセージがあるのですか? 長文で書くな、とか?
高橋さんあての返信です。
こんにちは。
〉両者を混ぜたとき「暴力と治癒・再生」というテーマが浮かびました。
〉登場人物は、恵梨(松本)、絵里(僕)、伊藤(浜田)です。
〉それぞれに理由をつけて恵梨をいたぶるような内容にしようかと考えて、まだ全然まとまってなかったりします。
なるほどー、やはり高橋さんとしては「いたぶる」という箇所は書かずにいられないところなんですね。興味深いです。
〉1002さんのアイディア内で「ブランコで妄想する僕」や、「ある晴れた〜」に展開していくさまには驚きました。
〉それに、最後に放り投げましたね。
〉画面の前で「ええええ!」と声を上げてしまいましたよ。
〉これ盗みたいなあ。でも難しいなあ。
私が提案してみたのは、世間話をしていくうちに空想の企画ができあがった……みたいなノリなので、盗むなどという物騒な表現などつかわず、どーぞ使えるアイデアはつかってください。
〉実は「群像劇効果」は読ませてもらっていたのですが、まだ理解しきれていないんですよね。
〉ただ、今回の1002さんのを見ると、僕の考え方は「群像劇効果」とは逆なのかなあと思いました。
なるほど。私の印象としては、高橋さんは小説を書きたいという動機がたぶんはっきりしてるんですね。たとえば「仁侠映画をとりたい」「アダルトをとりたい」「ファンタジーをつくりたい」みたいな、はっきりしたやりたいテーマ(それがたとえ暴力描写であっても)
がある。それは物書きにとってとても武器になることですね、たぶん。なによりも「なぜ(こんなに儲けないのに)書いてるのだ」という悩みにおそわれやすい稼業ではとても大事なことだと思う。
ただ、「これを書きたい」という作者の思いが強すぎると、「それは読みたくない」という読者は必然的に離れていくのは当然であって、まあ、その覚悟はあるのか、ということと、いや、書きたいテーマは決っているけど読み手を自分から選ぶのではなく選ばれる側になりたい、というのであれば、そういうときに「群像劇効果」というのが効果的になると思うんですよ。
私の理解した範囲では、群像劇というのは、作者がこれを書きたい、と最初につくってしまわずにひとまず登場人物たちのデッサンから始めることで、物語が登場人物たちの勝手な行動によって動き出す、とでも言えばいいんだろうか。作者だってある程度展開をきめていても、人物たちの動き次第ではどうなるかわからない。読者はもっとどうなっていくのかわからないから、ジャンルわけ不能になるし、ラストがすっきりしないまま終るかもしれない。
でも、それがよくできた群像劇であった場合、きっと読者は自分もその小説の中の一員になったような、小説を体験した気分になるかもしれないし、その一方で「ホラー」「SF」とジャンルが明確で筋も「おきまり」な小説を読むと、期待通りに読み終える一方で、読者は「これは本の話」と読書と自分の生活を完全に割り切ってしまうだろう。よくハヤカワのハードボイルド探偵小説なんか読むと、私なんかすごくのめりこむのにすぐその本の内容をまるっきり忘れてしまう。それに比べればいわゆるドストエフスキーやらディケンズやらバルザック、谷崎といった文豪といわれる作家たちの長編は、登場人物がいっぱいでてきて、何をやっているのかよくわからないままに話がどんどん盛り上がっていって、読み終えてしまうのだが、読後数年たったころに、ふと小説のワンシーンがなぜか思い出されたり(ドストエフスキーのカラマーゾフで登場人物が少年に石をなげられるところとか、今うかびました)することがあります。まあ神は細部に宿るというやつですね。深みとか味わいともいいかえられるでしょう。
壱倉さんの「群像劇効果」の話がおもしろかったのは、群像劇がいいことばかりでなくて、キャラクターをつくりすぎて、キャラクターばかりが目だってしまうと、それもまたつまらない、という考察が入っていることや、やはり、バランスをとることが書かれていることに私は感心しました。群像劇になりすぎても、というのはありますね。
しかしそれにしても……そこまで「残虐性」を追求する高橋さんには興味がわきますねえ。何か手本にしているような本や映画などあったら、教えてください。本当はそもそもなぜ「残虐性」を追い求めるのか、ということをききたいですが、それは野暮な質問でしょうね。
次期の作品も楽しみにしてます(誤読するかもしれませんが)。また、文学賞については、「短編」とおなじでいきなり「優勝」を狙うと書けなくなるので、気楽に投稿してみる――しかし、投稿はつづけていく、ことがいいのでは(←まあ私のことなんですが)と思っています。こんなとこでライバルだ、ああだこーだとケチなこと言ってると余計ダメになると思ってるんで、私は「短編」参加者からもっと長編投稿について、あるいは作品をつくっていく過程についての意見がきけたらいいなあ、どういう書き方をするのか、とか文芸サイトにしては「文学オタク」「文字職人」が少ないのでは、と思っていたので、こういうやりとりに感謝します。ぜひ投稿しましょう。あまり参考にならなかったかもしれませんが、では。
〉「いたぶる」という箇所は書かずにいられないところ
これはちょっと言葉を省きすぎましたね。
僕も初めに大まかなテーマを決めて、いつもなら使えそうなネタをあてがったりするんですが、今回は人物がある程度きまっていたので、どうやってテーマに沿った絡み方をさせようかと考えたんですよ。
そうなると傷ついて再生するのは恵梨ですし、残りの二人は必然的に加害者になりますね。
いくつか設定を足して恵梨を攻撃するのが当然の状況にしたり、そこから立ち直らせたり、また落としたりしようと考えたので、結局「いたぶる」ことになると思いました。
〉盗むなどという物騒な表現
〉誤読するかもしれません
「ある晴れた〜」でも感じたことなんですが、誤読ってなんでしょうね。
書いて出した以上、作者には著作権くらいしかないというのが持論ですが、今回このような形になって改めて、書いた側の意図なんて小さなことだと思いました。
1002さんの解釈や新たな展開案は、僕には絶対想像できないものなので、まず何も考えずに盗んで、いつか自分のものにできたらいいなと思っています。
要するに、アイディアはありがたく頂いちゃいます。
〉ただ、「これを書きたい」〜効果的になると思うんですよ。
この部分、常日頃から考えていることなので突き刺さりました。
覚悟はできていますし、もちろん選ばれたい気持ちはありますが、なんの配慮もないものを「短編」に晒すのは違うと思うんですよ。
なるべくなら緊張を強いることなく、かつ書きたいものをと考えてはいますが、浮かぶのはひどい話ばかりなので、当たってしまわない距離を模索しているところなんです。
そんな感じでしたので、
〉私の理解した範囲では、〜ラストがすっきりしないまま終るかもしれない。
の的確さに驚きました。
今回の長編化に当たって僕の考えたプランは、
「テーマを考える → キャラクターを設定する → テーマとキャラクターに合わせて、話のはじまり〜だいたいの終わりを決める → キャラクターが生きるような(結末に向けてある程度の志向を持った)イベントを配置する」
というもので、はっきりとした結末を決めていませんでした。まあ思いつかなかったんですが。
〉「残虐性」
残虐でしょうか。
自分では、怖いから理解したいというのが動機の一つと理解していますが、まったく同じ質問を知人にぶつけてみたところ、「だいたいの人はダメージから立ち上がれないけど、きみは大丈夫だからじゃないかな」だそうです。
好きなことに理由なんかないというお決まりのアレなのかもしれませんね。
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長編投稿に当たっての書き方を、ということなので、僕が考えた内容は大まかにこんな感じでした……、という旨の文章を書いていたのですが、ちょっと余りにも凄惨な感じになってしまったので、「この掲示板に」書いていいものか迷います。
ところで、僕の考えた伊藤の設定が1002さんとかなり被っていてビビりました。
いまのところ原稿用紙150枚を目安にしていますが、長編ってそのくらいですよね。
高橋さんへの返信ですが、「短編」投稿作品を材料に長編へ投稿していこう、とりあえず10月末までに一本投稿しよう――という試みをすすめています。誰でも話に参加可能ですが、ひとまず短編81期ー83期の該当作品を読んでからお願いします。
ちなみに私も長編については投稿するので立場的には同じです。偉そうにみえたらそれはこちらの不徳です。さきに謝っておきます。
○
こんにちは。
二人のエリついて、ちょっと名前をかんちがいしていたところがありました(すいません)。整理しておくと、頬にキズがないほうが絵里でしたね、まちがえてました。
どっちのエリも、個性がありますね。私は以前にも書いたかもしれませんが、短編82期開催のときに読んだ印象は、正直なところそれほど良い印象を覚えなかったんですよ。追加版を読み、こうして再読していくうちに、二人のエリが自分の知っている人みたいに思えます。
「胃に落ちた肉は溶かされる。絞りかすは腸に蓄積されてやがて排泄される。絵里は性器と化したその穴から糞をひり出す」
たぶん、こういう表現が「1000字小説」のなかでは私には、「過剰に不快感を増している」と思えてしまったんでしょう。初読のときは「うーん、1000字のなかにこの表現をいれる必要性は……」と首をひねってしまったわけです。たった1000字の場においては、すべてのことばに意味を読み取ろうとしてしまうので、上記のような表現がでてくると、作者が語りたいテーマが、極端にいえば「糞をひり出す話」とさえ決めつけてしまうこともあるわけですよ。
ところが、作者がそんな単純な不快感の描写がしたいわけではなくて、きちんと構成や人物設定を考えたうえでの効果としての描写だったということが、こうしたやりとりを通して読み返してみるうちに気づいてくると、その引用した箇所を今読んでみて、とくに違和感がない……むしろある意味で、高橋文体としての効果さえ感じる。高橋さんの長所は1000字より長編でその文章が活きてくるのでは、と思ったのはそういうところからです。(もちろん1000字もがんばってください。ただ、やはり83期も長編的な話だ、とおもいました。けっこう皆さんテーマを誤解していたと思う、でもそれはたぶん文章表現が1000字的ではなかった、というところもあると思う)
こういう読書体験(初読から印象がどんどんかわっていく物語)というのは私には経験がなかったことなので、ありがたいです。
ちなみに私が今書いたこと(読者の「感想」は読者の状況次第でまったくちがったものになりうるということ。それは「感想」が作者にとって有効か無効かはともかく、「感想」に正しい答えはないということ)を「短編」参加者では朝野十字さんが「小説の書き方を目指して424」で書いているので良かったら探して読んでみてください。これは保坂和志の小説論なみに論理がしっかりしていて、ユーモアがあって勉強になりますよ。
あと個人的には「短編」参加者の彼岸堂さんのウェブサイトでかかれている仮面ライダーのシナリオの考察が、以前話題にのぼった「群像劇効果」を考えるうえで、私はとても刺激されてます。私は仮面ライダーの世界にとくに興味あるわけでもなく、よく知らないのでシンケンとか個人名もわからないのですが、キャラクターづくりの秘密がここに書かれているような気がして暗号解読の気分で読みつづけてます。
「敵をたおすヒーロー」という本命のテーマをずーっと維持しつづけながら、キャラクターとちょっとした伏線で話をもりあげていくところなど。
とくに平成ライダーと昭和ライダーをからめた最近の考察は冴えてますね。高橋さんもよかったら探して読んでみてください。あと笹帽子さんの長編化にあたり、24分割で考えるというのは独自で(24は8を3つ、6を4つ、4を6つと、分類ができるんですね……天才かと思ったよ。笹帽子さんの、こういう閃きはすごいね。この人は2ちゃんねる的文体の世界から足をあらって、というか、世界文学・昭和文学のみに没頭していただいて、文学オタク、文字職人たちの世界に入ってほしい、くらい思いますね、才能ありそうだから。文豪を2ちゃんねる世界観で判断するのではなく、現代を文豪たちの世界観で判断するような思考の逆転をするようになったら、彼はある意味で本物の書き手になるだろうと私は思ってますが……)
……というわけで、伏線をひくように「短編」と絡めた返信となっているはずなので、ひきつづきこの掲示板にてやりとりさせていただきましょう。
〉長編投稿に当たっての書き方を、ということなので、僕が考えた内容は大まかにこんな感じでした……、という旨の文章を書いていたのですが、ちょっと余りにも凄惨な感じになってしまったので、「この掲示板に」書いていいものか迷います。
おそらくは数百人といるはずの、今では長編がメインになっているかつての「短編」参加者たちがあたたかい視線でみまもってくれているはずです(と「誤解」しておきましょう)。
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〉ところで、僕の考えた伊藤の設定が1002さんとかなり被っていてビビりました。
私としては、二人のエリが今っぽいので、やはり伊藤君にはどこか別の世界の住人を感じさせるような透明感(それゆえの狂気を内在させている)がほしい、と思ってました。
〉そうなると傷ついて再生するのは恵梨ですし、残りの二人は必然的に加害者になりますね。
私はなんとなく、エリの「傷→再生」だけでは、物足りなく感じられていて、まあ現代っぽいといえば現代っぽい見方ですが、作者はある意味で「みんな病んでいる健康的な一般人」である登場人物すべての闇と光を、解決させるのではなく、どちらも浮かび上がらせることに挑む……みたいなのが(すごく曖昧だけど)、興味あります。
森でエリをどうするか、については、それは高橋さんの料理の腕にかかってますね。
もし、そのいたぶるシーンを伊藤君の妄想ではなく、実際にやってしまうのだとしたら……それはどういう展開からそうなっていくのか、むしろ私が知りたいですよ。でもそれがたんなるイジメの光景ではなくて、「傷を癒すためにもう一度好きな人から傷をつけなおしてもらう」みたいな。独自感を期待したい……。この小説を読むことで、自分も顔にキズがあるが、むしろそのうえにもう一度好きな人からキズをつけてもらうことがかっこいいんだ(刺青みたいな)、と新しい流れをつくるとか。たんにSMだったらちょっとなあ。
えーと、ちなみに今の考えもかりものの言葉でかけば
「人間の価値は、その人物が提供する有益な労働によってではなく、他の者たちをエネルギー、歓び、生命の自由な消尽へと駆り立てることができるためにその人物が持ち得る伝染力によって決定されるべきだ」
と、バタイユ「聖なる陰謀」(ちくま学芸文庫)にあったんですが、この「人間の価値とは」というところをちょっと書き換えて
「小説とは、その作者が提供するりっぱな文体、知的な構成によってではなく、読者たちをエネルギー、歓び、生命の自由な消尽へと駆り立てることができるためにその物語が持ち得る伝染力によって決定されるべきだ」
と、書き換えてみると、私にとっての「良い小説とは」の答えになるような気がします。キーワードは伝染力ですかね。読んだらなにかしたくなる・したような気分になる、みたいな。
さいごに、私は幸せな誤読をしてしまっているみたいですが、あの81期にでてくる主人公の男の存在や、82期の二人のエリ、83期の伊藤君(←と勝手にきめている)という4人の登場人物たちは、読み手である私の頭のなかでハッキリと動いていて、81期がどんな話なのかを忘れることがあっても、あのアイツの存在は私の中で根をおろしています。不思議ですね、存在しないはずの人間の顔がみえてくるってのは。
〉要するに、アイディアはありがたく頂いちゃいます。
いや、こちらこそ。長編化のプロセスについて書いてくださってありがとうございます。あと、「残虐性について」のところで、「同じ質問を知人にぶつけてみたところ」というのは、とてもうらやましいかぎりです。
〉「だいたいの人はダメージから立ち上がれないけど、きみは大丈夫だからじゃないかな」
このセリフはなんらかの形で高橋さんの長編にいれたらいいと思いますよ。脈絡なく無理やりにでもどちらかのエリからでも伊藤君にいってあげましょう。多分、あとですべての話を忘れても、ここだけ残るって読者がでてくるんじゃないかな。
枚数はとりあえず規定さえクリアして出せばいいんじゃないでしょうか、ひとまず。では、なんかいろいろ詰め込んだ長文で失礼しました。
どうも、こんばんは。
ちょっと長文が続いているので、ここらで短めに。
〉ひとまず短編81期ー83期の該当作品を読んでからお願いします。
僕は作者なので論外ですが、1002さんのように好意的な印象を持たれていないとかなり厳しいと思いますよ。
いっそ雑談でもいいんじゃないんですかね。
高橋さんへの返信です。(間接的に非政治的手法で笹帽子さんへの返信でもあります)
○
こんばんは。私は平日に「短編投稿の作品をめぐる話」についてのみ「短編掲示板」でやりとりすると決めてます。応用効かなくてすいません。なので私は雑談には興味ないのですが、高橋さんが気になるならば
〉ひとまず短編81期ー83期の該当作品を読んでからお願いします。
にはこだわりませんよ。ただ、できれば高橋さん独自で話題をたちあげるか、あるいはチャットなどで話されてはいかが、と。私は別に自分が興味ないから他人にも自分の意見を押し付けるつもりはありません。ちょっと掲示板で遠慮されてるみたいに思えたので。
私としては今回は高橋さんの「作品」を相手にしてますが、才能ある相手ならば誰とでも、作品についてのみの地味なやりとりをしたいんですよ。「どうしてこの作品ばかり、もう次期に入ってるのにやりとりつづけるんだ」みたいに思われる人も多いと思うんですが、こういうやりとり結構読み手としても勉強になると思うんで。ご理解ください。
また長編でも中編でも「短編投稿作品をめぐる」ものであって、この掲示板においてのやりとりにおいて私の意見でも参考としてくれるならば、いつでも書き込んでいただければ、私としてもうれしく思い、ない頭をつかって文学的対話を試みたいと思います。そのときはよろしく。
次期の作品発表ももうすぐですね、またこちらに感想書かせてもらいます。
(というわけで政治的ではないのですよ、いってみれば、戦前の一高生に憧れてギンブラしてる田舎書生くらいには気取ってますけど……笹帽子さん。)
〉どうも、こんばんは。
〉ちょっと長文が続いているので、ここらで短めに。
〉
〉
〉〉ひとまず短編81期ー83期の該当作品を読んでからお願いします。
〉
〉僕は作者なので論外ですが、1002さんのように好意的な印象を持たれていないとかなり厳しいと思いますよ。
〉いっそ雑談でもいいんじゃないんですかね。
1002さんにはこちらの意図をばっちり汲み取っていただけるので助かります。
少し補足しますと、僕の話はけっこうネガティブなので、それを三つくっつけるというさらに嫌な長編についての話題には触れなくても構いませんよ、ということです。
もちろん1002さんの言うとおり、「短編投稿の作品をめぐる話」についての雑談ですよ。
〉遠慮
これ以上の深い話をとなると、僕の書いたものをより具体的にさらす方向になるかと思います。
それは掲示板で堂々とおこなっていいやり取りになるとは思えないんですよ。
ですので、遠慮というよりは自粛ですね。
いちおう書いてみました。こんな感じです。