■読者の一人としての感想に徹したいのでHNは1002でいきます。よろしく。
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●作品2、13、16、19、20感想
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作品2「ボクカノ」
保守派議員への報復として、テログループが孫に刺客を送りこむ。それは孫が金で買った美女で、彼女は孫の理想的なおもちゃを演じたあと、自爆する――という話だと読んだ。
読後の感想としては、まず、この話の構想を頭のなかで練って、それを形にするのは結構大変だったろうなあ、と思った。話の展開や構成はとても洗練されているし、意味もわかる。
話のつくりかたとして、最初から最後まで読んで冒頭に戻れば、話の余韻が深くなるというつくりかたも上手だと思う。
だが、うまいとは思うものの入り込めなかった。その理由を自分なりに考えてみると、「若い男が金で女を買ってエロいことをする」というところが、冒頭に要約したこの話の内容のなかで必要以上に執拗に描かれている点がまず一点。つぎに、「射精」「興奮」「勃起」という単語が、露骨だと思った。
それで全体の印象が、すぐれた文章と構成なのにもかかわらず「ほらほら、あんたエロい話すきだろ? うちはあんたのツボをおさえたエロ話満載でっせ」と、風俗店の呼び込みに声をかけられたような気分になってしまったのだ。
たしかにこの話の中で作者にとっては「若者が女を買ってエロいことする」という場面は作品の流れのうえで重要であり、また読者にとっても気になる場面ではあるけれども、この露骨なエロでは、この作品を誤解してしまう。私が誤解してしまった一人でもある。
……たとえば、中盤の「お前みたいな豚がいるから奴隷制度がなくならないんだ」という箇所をもっと活かすために、中盤の主人公を「僕」にするのではなく、このテロリストの女の視点で語っていけば印象もかわったのでは。
次期も楽しみにしています。
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作品13「夏の魔物。」
作品の感想を具体的に書くまえに、少し全体の印象のようなところから書いてみたい。
たしか掲示板に金武さんだったか、「サブカルチャーとメインカルチャーの違い」のようなことを書いていて、はっきりわからなかったけれども「正統性に対して異質を武器にすることの効果」について書いているのだと思った。
みうらさんも同じようなことを書いていて、正確に引用しないので申し訳ないが、わざとつまらない話を書く、みたいなことだったと思う。
私はそういう理屈がよくわからない。オセロにたとえてみると、黒ばっかりの盤面がなんだか偉そうで気に食わないから、腹をたてて、全部ひっくりかえして白にしてやった……としても、今度は白が権威になってしまう。なにかに対して全否定すると、次は自分が否定していたあるものになってしまう。
つまり、サブカルチャーの強みをいかすべく金武さんのように、メチャクチャな文章を才能だけで組み立てて相手を認めさせていく筆法は、今期の作品のように才能が際立っていればいいけれども、いつしか「金武文体」という決った形(他と異質なものは必ず目立っていくと、次第に○○さん文体と独自であるがゆえの力を持っていく)に寄りかかってしまうことになりかねない。それは皮肉でもある。
同様に「わざとつまらなくする」という発想は、「読者に寄り添ってとにかくおもしろいといってさえもらえればいい」ということの単純な裏返しにすぎず、グレた学生みたいな感じがする。
本当に革命的であるスタイルというのは、いかにも<普通>で<ありつづける>ことだと私は思うのだが……。普通にみえるなかに、そうときづかせない面白さやそうときづかせない伏線をねじこみ、にも関わらず全体として普通である、という作品が読みたいな、と私は思う。
それで、「夏の魔物。」の感想を書くと、実は、この話、おもしろいとは思うのだが、さすがに何期もつづけて作者の作風を読んでいると、そのサブカル的文体が、サブカル的ゆえの奇抜さが目新しくなくなってきて、
「改行のポイントがめちゃくちゃだとか、……のうちかたが統一されてないとか、四コママンガ的な展開そのものはわるくないけど、それって、正統的なものが書けたうえでのハズシのテクニックであって、まともな書き方ができないのをひらきなおってめちゃくちゃに書いているだけならば、さすがに飽きてくるなあ」
ということを思った。
これってヒドい感想ですか? でも、私はもし「のい」さんが、いわゆる一般的に普通の小説や物語の文体で、この話を書いていたら、もっと話の仕掛けが生きてきておもしろくなると思ったんんですが。
<大人達よ…デザートは大切だ!この前テレビでおっさんが「今の子供が勉強出来ないのは3時のおやつ(デザート)が無いからだ!」と熱弁していた。>
というところの、奇抜な一文なんてすごく好きなんですが、この一文を活かすためにはやはり「なんのてらいのない普通の文章」を書く必要があると思う。
しかし、これが私の文体なんだ、と強く決心しているならば、まあこれはこれでおもしろいのかな、と思うという、微妙なところにあるのだが、今期は具体的な感想を持つよりそんなことばかり思いました。
次期も楽しみにしています。
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作品16「コント「ブランコと僕」」
深い作品です。投票したので感想省略します。
ところで10月末にある某文学賞への投稿予定はありますか? もしまだだったら、前記の書き直し作品やこの作品を強引につなげてぜひとも応募しましょう。私も投稿しますよ。
「短編」は私にとっては、進学塾の知人、といった印象です。みな志望校はばらばらで、とくに学校生活のようにざっくばらんに私生活を話すことはないけれども、なんとなくゆるやかなつながりと、同じ目的がある同士といったような。かけひきなしに作品の長所短所を言い合って、結果的にうまくなって世の中にでたいですね。
ちなみに、かの有名なナボコフの「ロリータ」は今でこそジャンルわけ不可能な複雑な味わいの小説ですけれども、書かれた当時は文芸誌に掲載拒否されて、エロ小説としてマニアにのみ知られた作品だったらしいですよ。
次期作も楽しみにしています。
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作品19「恋心談議」
男が友人(男)から恋の相談をされるが、実は好きなのは君のことなんだよ、と男の友人から告白される話だと読みました。
この話のヤマ場に作者が選んでいるのは「男と男」の組み合わせなんだと思うんですが、「実はおれ、お前のことが好きなんだ!」の一文に、この作品のすべてを背負わせているように思えて、仕掛けがそれだけではちょっと物足りなかったです。まあ作者としては「責任を取ってお前が人工呼吸しろよな、薄れゆく意識の中で俺は強くそう念じた」というラストに大どんでん返しをしのばせたんでしょうが……。
つまり、「実はおれ……ホモだったんです」という設定も「そうか、おれも!」という返し(作品ではさりげなく表現してますが)そのものが、もうタブーでもなんでもなくなってきた時代だ、という実感も読み手のこっちにありますね。
次期も楽しみにしています。
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作品20『幻獣料亭』
今期投票したので感想省略します。
しばらく執筆活動をやめるということをブログで読みましたが、毎回投票したかどうかは別として、いつも作品を楽しみにしているので、読み手の一人としては投稿を続けていただきたいです。
「なぜ書くか、理由がわからなくなってきた」ということは私にも他人事ではない問題なので、勝手ながらこの機会に考えてみたいと思いました。ただ、客観的にいえることは、書くのは陸上みたいなもので、長距離ランナーも短距離ランナーもどっちのタイプでも、走ることをやめると記録はおちる、ということです。そして執筆はどんなライバルがいようと、時代の流行がどこにあろうとも、自分相手に書くというのが基本だと思います。受ける受けないは、自分を満足させたそのあとについてくるもので、まず最初の読者である自分を納得させるところから普遍性というのは生まれるのとだと思う。
石川さんの今の筆力は、それがどれくらい凄いのかの検証は別として、今『幻獣料亭』のレベルを書けるのは書き続けてきているからで、数ヶ月書かなかったら、もうこのレベルの筆力はかけなくなる、ということは確かだと思います。努力で補えることはたいてい知的な作業ではない、といった才人もいますが、たしかに創作の一番大事なひらめきは書かなくても維持されることはあっても、デッサン力、描写の力のほうはピアニストの指と同じです。
まあ、「偉そうに書くな」と言われても仕方ありませんが、こういうメッセージが届く相手だろう、と思って書きます。届かなかったらこちらの判断ミスですね。
1000字小説でなくとも、なんらかの形でかくことを続け、また復活したさいには「短編」投稿を期待してます。もっといえば、「短編」投稿は毎月の定例会参加のようなものと考えて、目標としては高橋さんへの感想にも書きましたが、ジャンルはどうあれより大きな場所への投稿だと思います。ぜひとも「短編」を種まきのように考え、種切れにしないように続けていただきたい。
次期作も楽しみにしてます(いやみではなく)。