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高橋さんへの返信ですが、「短編」投稿作品を材料に長編へ投稿していこう、とりあえず10月末までに一本投稿しよう――という試みをすすめています。誰でも話に参加可能ですが、ひとまず短編81期ー83期の該当作品を読んでからお願いします。

ちなみに私も長編については投稿するので立場的には同じです。偉そうにみえたらそれはこちらの不徳です。さきに謝っておきます。




こんにちは。

二人のエリついて、ちょっと名前をかんちがいしていたところがありました(すいません)。整理しておくと、頬にキズがないほうが絵里でしたね、まちがえてました。

どっちのエリも、個性がありますね。私は以前にも書いたかもしれませんが、短編82期開催のときに読んだ印象は、正直なところそれほど良い印象を覚えなかったんですよ。追加版を読み、こうして再読していくうちに、二人のエリが自分の知っている人みたいに思えます。

「胃に落ちた肉は溶かされる。絞りかすは腸に蓄積されてやがて排泄される。絵里は性器と化したその穴から糞をひり出す」

たぶん、こういう表現が「1000字小説」のなかでは私には、「過剰に不快感を増している」と思えてしまったんでしょう。初読のときは「うーん、1000字のなかにこの表現をいれる必要性は……」と首をひねってしまったわけです。たった1000字の場においては、すべてのことばに意味を読み取ろうとしてしまうので、上記のような表現がでてくると、作者が語りたいテーマが、極端にいえば「糞をひり出す話」とさえ決めつけてしまうこともあるわけですよ。

ところが、作者がそんな単純な不快感の描写がしたいわけではなくて、きちんと構成や人物設定を考えたうえでの効果としての描写だったということが、こうしたやりとりを通して読み返してみるうちに気づいてくると、その引用した箇所を今読んでみて、とくに違和感がない……むしろある意味で、高橋文体としての効果さえ感じる。高橋さんの長所は1000字より長編でその文章が活きてくるのでは、と思ったのはそういうところからです。(もちろん1000字もがんばってください。ただ、やはり83期も長編的な話だ、とおもいました。けっこう皆さんテーマを誤解していたと思う、でもそれはたぶん文章表現が1000字的ではなかった、というところもあると思う)

こういう読書体験(初読から印象がどんどんかわっていく物語)というのは私には経験がなかったことなので、ありがたいです。

ちなみに私が今書いたこと(読者の「感想」は読者の状況次第でまったくちがったものになりうるということ。それは「感想」が作者にとって有効か無効かはともかく、「感想」に正しい答えはないということ)を「短編」参加者では朝野十字さんが「小説の書き方を目指して424」で書いているので良かったら探して読んでみてください。これは保坂和志の小説論なみに論理がしっかりしていて、ユーモアがあって勉強になりますよ。

あと個人的には「短編」参加者の彼岸堂さんのウェブサイトでかかれている仮面ライダーのシナリオの考察が、以前話題にのぼった「群像劇効果」を考えるうえで、私はとても刺激されてます。私は仮面ライダーの世界にとくに興味あるわけでもなく、よく知らないのでシンケンとか個人名もわからないのですが、キャラクターづくりの秘密がここに書かれているような気がして暗号解読の気分で読みつづけてます。

「敵をたおすヒーロー」という本命のテーマをずーっと維持しつづけながら、キャラクターとちょっとした伏線で話をもりあげていくところなど。
とくに平成ライダーと昭和ライダーをからめた最近の考察は冴えてますね。高橋さんもよかったら探して読んでみてください。あと笹帽子さんの長編化にあたり、24分割で考えるというのは独自で(24は8を3つ、6を4つ、4を6つと、分類ができるんですね……天才かと思ったよ。笹帽子さんの、こういう閃きはすごいね。この人は2ちゃんねる的文体の世界から足をあらって、というか、世界文学・昭和文学のみに没頭していただいて、文学オタク、文字職人たちの世界に入ってほしい、くらい思いますね、才能ありそうだから。文豪を2ちゃんねる世界観で判断するのではなく、現代を文豪たちの世界観で判断するような思考の逆転をするようになったら、彼はある意味で本物の書き手になるだろうと私は思ってますが……)

……というわけで、伏線をひくように「短編」と絡めた返信となっているはずなので、ひきつづきこの掲示板にてやりとりさせていただきましょう。

〉長編投稿に当たっての書き方を、ということなので、僕が考えた内容は大まかにこんな感じでした……、という旨の文章を書いていたのですが、ちょっと余りにも凄惨な感じになってしまったので、「この掲示板に」書いていいものか迷います。


おそらくは数百人といるはずの、今では長編がメインになっているかつての「短編」参加者たちがあたたかい視線でみまもってくれているはずです(と「誤解」しておきましょう)。



〉ところで、僕の考えた伊藤の設定が1002さんとかなり被っていてビビりました。

私としては、二人のエリが今っぽいので、やはり伊藤君にはどこか別の世界の住人を感じさせるような透明感(それゆえの狂気を内在させている)がほしい、と思ってました。

〉そうなると傷ついて再生するのは恵梨ですし、残りの二人は必然的に加害者になりますね。

私はなんとなく、エリの「傷→再生」だけでは、物足りなく感じられていて、まあ現代っぽいといえば現代っぽい見方ですが、作者はある意味で「みんな病んでいる健康的な一般人」である登場人物すべての闇と光を、解決させるのではなく、どちらも浮かび上がらせることに挑む……みたいなのが(すごく曖昧だけど)、興味あります。

森でエリをどうするか、については、それは高橋さんの料理の腕にかかってますね。

もし、そのいたぶるシーンを伊藤君の妄想ではなく、実際にやってしまうのだとしたら……それはどういう展開からそうなっていくのか、むしろ私が知りたいですよ。でもそれがたんなるイジメの光景ではなくて、「傷を癒すためにもう一度好きな人から傷をつけなおしてもらう」みたいな。独自感を期待したい……。この小説を読むことで、自分も顔にキズがあるが、むしろそのうえにもう一度好きな人からキズをつけてもらうことがかっこいいんだ(刺青みたいな)、と新しい流れをつくるとか。たんにSMだったらちょっとなあ。

えーと、ちなみに今の考えもかりものの言葉でかけば

「人間の価値は、その人物が提供する有益な労働によってではなく、他の者たちをエネルギー、歓び、生命の自由な消尽へと駆り立てることができるためにその人物が持ち得る伝染力によって決定されるべきだ」

と、バタイユ「聖なる陰謀」(ちくま学芸文庫)にあったんですが、この「人間の価値とは」というところをちょっと書き換えて

「小説とは、その作者が提供するりっぱな文体、知的な構成によってではなく、読者たちをエネルギー、歓び、生命の自由な消尽へと駆り立てることができるためにその物語が持ち得る伝染力によって決定されるべきだ」

と、書き換えてみると、私にとっての「良い小説とは」の答えになるような気がします。キーワードは伝染力ですかね。読んだらなにかしたくなる・したような気分になる、みたいな。

さいごに、私は幸せな誤読をしてしまっているみたいですが、あの81期にでてくる主人公の男の存在や、82期の二人のエリ、83期の伊藤君(←と勝手にきめている)という4人の登場人物たちは、読み手である私の頭のなかでハッキリと動いていて、81期がどんな話なのかを忘れることがあっても、あのアイツの存在は私の中で根をおろしています。不思議ですね、存在しないはずの人間の顔がみえてくるってのは。

〉要するに、アイディアはありがたく頂いちゃいます。

いや、こちらこそ。長編化のプロセスについて書いてくださってありがとうございます。あと、「残虐性について」のところで、「同じ質問を知人にぶつけてみたところ」というのは、とてもうらやましいかぎりです。

〉「だいたいの人はダメージから立ち上がれないけど、きみは大丈夫だからじゃないかな」

このセリフはなんらかの形で高橋さんの長編にいれたらいいと思いますよ。脈絡なく無理やりにでもどちらかのエリからでも伊藤君にいってあげましょう。多分、あとですべての話を忘れても、ここだけ残るって読者がでてくるんじゃないかな。

枚数はとりあえず規定さえクリアして出せばいいんじゃないでしょうか、ひとまず。では、なんかいろいろ詰め込んだ長文で失礼しました。

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