第173期予選時の投票状況です。5人より11票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
6 | めぐるめぐすり | なゆら | 3 |
8 | 騎士団長殺し | 三浦 | 2 |
11 | DODO'S BACK | 宇加谷 研一郎 | 2 |
13 | そして夜は俄に輝きを増して | 伊吹ようめい | 2 |
9 | ドリンク | 岩西 健治 | 1 |
12 | ヤドカリ | わがまま娘 | 1 |
予想外の広がりかた。(この票の参照用リンク)
貫き通すことは大切で、それがハマれば爆発はすごい。だんだんと体温が上がり、読む速度が速くなっていくのが体感できる数少ない作者のひとりである。(この票の参照用リンク)
かしこまった感想は書けそうにないのですが、なんだか好きだったので。
「なりふり構わずSEXするのはいけないと学校で習った。」いいですね。(この票の参照用リンク)
一文一文が短くて、とてもシンプルな文章のせいか、読んでいると紙芝居を見ているような気分になる。
物語の内容は、人や小鬼や竜などをやたらと殺すというもので、昔話や伝説によくあるように、生や死まで記号化されている。この記号化とは、いわば、人間の感情を持たない「神の視点」で語ることであり、表面的には残酷さを感じさせないような効果がある。しかし、それ故にどこか気持ち悪いものが残るという感覚があり、その「気持ち悪さ」こそがこの作品の狙いなのかなと思う。(euReka)(この票の参照用リンク)
前作の流れを組む語り口。
私と彼ではなく、彼と私というところに彼主体の想いがあるように感じた。そこには、独立した私があり、独立した騎士団長がある。私は彼に寄り添うことで彼と生きていく決意をする。彼が死に、以降、私たちという表現に変わった。ここは騎士団長と私ではなく、私と騎士団長である。
「私たちをおぼえているかと私たちは言った」
これは私の発言である。騎士団長の発言ならば「私たちをおぼえているかと騎士団長は言った」となる。
一歩間違えば陳腐な小説となってしまうが、踏みとどまっているところに好感が持てる。(この票の参照用リンク)
愛すべきマンネリズム。(この票の参照用リンク)
女の自分を取り戻す儀式が、足を洗うというのが良かった。(この票の参照用リンク)
ターニングポイントと、ましていく高揚感。(この票の参照用リンク)
前半の靄に隠れた助走から、後半の開け放たれる感情の持って行き方はドラマチック。
「あまりにもオリオン座」「バカみたいに明るい月」など、悲しさとの対比で表現される言葉群が心地良かった。こういう傾向の小説はどうしても暗くなりがちだが、それがなく、明日(今日)が見えてくる。これは重要なことで、明るい気持ちを誘う小説はやはりいい。ただ、こういった何気ない日常を切り取った小説は往々にして推進力に欠ける。この静けさを良しとするか、物足りなさを感じるかで票が分かれるところだ。(この票の参照用リンク)
同じ動作を繰り返すことそれ自体に意味はないと思うが、文章として、改めて、「繰り返される動作」というものを突きつけられると、不思議と何か意味があるような気がしてくる。あるいは、意味が有るものと無いものとの境界というものを、「繰り返される動作」によって表現しているようにも思える。なかなか面白い作品。(euReka)(この票の参照用リンク)
文字数が足りなくなったのか、それとも内容をまとめきれなくなったのか理由は分からないが、あともう一歩のところで物語が終わっているような気がする。
ただ内容は悪くない。
ヤドカリの背負っている貝は、人の住む住宅であると同時に、人生の理想のようなものを表しているのだろう。人生における理想というのは、それ追いかけているうちは楽しいのだが、いざ現実を突きつけられると、裸のヤドカリのように惨めなものである。(euReka)(この票の参照用リンク)