第173期 #11

DODO'S BACK

ヘッドフォンを耳にかぶせて、dodo marmarosaの弾くメロウムードを聴いているときにオレはオレ自身に戻った気がするのだが、そういう自分になる儀式を誰でも何かしらもっているみたいで、昔の恋人はシャワーで自分の足を洗うことだった。渋谷の人混みのなかでも一瞬で彼女の姿をみつけられるほど彼女は太っていて、オレの3倍くらいふくらんだ大きな足をもっていた。彼女と外を歩いていると、次第に表情が蒼ざめていくのがわかって、それは彼女は足を洗いたいからだった。もちろん、長時間足を洗わなかったからといって、泣き叫んだり刃物を振りまわしだすわけではない。せいぜい不機嫌な顔で機嫌が悪くなるだけだ。オレは足を洗って浴室からでたときの元恋人の表情をよく覚えている。

先日その元恋人を東京駅でみかけた。人混みのなかで、やっぱりオレは彼女を見つけることができたのだが、なぜだろう、彼女はとても痩せていて、綺麗になっていた。ひょっとすると太っているから目立っていたのではなくて、なにか特別なオーラなようなものが元々備わっていたのかもしれない。オレたちは一瞬、ほんの一瞬目があっただけで、とくに会釈もすることはなかった。なぜならば彼女は子供と夫を連れていたからだ。彼女は今でも浴室で足を洗うことで自分を取り戻しているのだろうか。いやもしかしたら、もうあれほどまで徹底的に洗っていないかもしれない。それじゃ、オレの知っている彼女じゃないな。オレはそう思うと、人間というのが変化する生き物だということがちょっとわかった。

dodo marmarosaをこれだけ愛聴しているとはいっても、オレは別に音楽オタクなわけではないし、実はもっと有名で人気のある他のアーティストのことは知らない。今から20年以上前、友達のか、彼女のか、兄貴のか、なぜかCDがオレの部屋にあって、それ以来聴き続けているだけだ。

さて、今日オレはリッツ・カールトンに泊まっている。34階の、とても眺めのよい部屋に1人。色恋沙汰もないし、ハードボイルドな冒険が起こりそうにもない。安月給には苦しいホテル代でもある。だがオレはさきほどコンシェルジュにCDプレイヤーを持ってきてもらった。これからdodo marmarosaをここで聴いて過ごすつもりである。変わるもの、変わらないもの。今まで状況だけが変わるだけで人は変わらないと思っていた。でも、人は変わっていくのだ。



Copyright © 2017 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編