第41期決勝時の投票状況です。16票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
25 | 原っぱの決斗 キツネ対メカダヌキ | ヒモロギ | 9 |
7 | ポケット | 真央りりこ | 6 |
20 | 祖先は朝に招く | 紺詠志 | 1 |
#7「ポケット」
読み終えた印象としてはエロというよりも淫靡。ウツボカズラのような食虫植物的な感じはするけれど、正直なところよく分からない。
というのも、「そうなのよ」以下最後の3行がとても印象的なのにその情景が想像できないからかもしれない。「ママ」はぽっけに入っていないのに口紅を残した。「あなた」はぽっけに入って何かを残す。ぽっけに残る条件がわからない。
#20「祖先は朝に招く」
初読で脳内ツッコミマシーンが「んなの一晩かけて誰かが(木製の)電柱を彫ったに決まってるやん」とか「(アメリカの)トーテムポールが立っているトコにも犬はいるだろうし、絶対電柱代わりに使ってるよな」とか言いはじめた。
こうなるともうダメ。とても良いところを探せるようにはならない。いや、申し訳ない。
#25「原っぱの決斗 キツネ対メカダヌキ」
荒唐無稽で面白い。
荒唐無稽である分、大概のツッコミを躱せるし、裏テーマなんてのも探さずに読むことが出来る。これはもう、読んでみて「面白い」と感じるか「面白くない」と感じるかの二者択一のものだと思う。
そーゆーわけで、私は素直に「面白い」と感じた#25に一票。(この票の参照用リンク)
通過作品をもう一度読み返してみたが、自分が予選で推した三作のうち唯一通ったこの作品に、再び票を投ずることにした。それでなくても世評は高いようで、いまさら私がさらに推す必要はないかという気もする。さらには例のP氏が激賞しているのもつまらないと思うのだが、それは作品評価とは関係ないことである。
『ポケット』は、書き流した話体のようでいて、文章の流れには細かく神経が行きわたっていると思われ、渋滞せずに読めた。ただ最後近くの「ママ」についての記述は何か大切なことを象徴しているようで、しかしそれが私にはよくわからず、躊躇せざるを得なかった。
『祖先は朝に招く』もまた、よく読んでみるとわからない所がある、と言うより、明晰かつ晴朗な記述の裏に何か不気味なものが隠れているかのように思われる。結局この物体は「電柱」であったのか「トーテムポール」であったのか、最後まで確定的な判断は下されていない。客観的には電柱で、語り手一人が幻想あるいは妄想を抱いているのか。その割には人もあっさりそれを受け入れているのは不思議である。普段よくも考えていないことをあまりに確信的に語られると、つい丸め込まれてしまうということだろうか。
語り手は最後「トーテムポール型の電柱」として自分を納得させているが、考えてみるとこれもまだ普通の世の中の見方からは外れていると言えるだろう。いつか読んだ土手を転がる男の話のように(うろ覚えで申し訳ないけれども)、自分だけの世界に入っちゃってる人の話じゃないかと思う。
予選の感想で、この辺りを納得させてくれるようなものが見当たらなかったのは遺憾である。P氏のいう単純な「融和」とは私には思えない。ちなみに票感想に「掲示板を参照されたし」はないんじゃないかと思う。いくら同内容であるにしても、公的な批評・感想は掲示板ではなく投票だから。(海)(この票の参照用リンク)
落語のようなリズムの良さがある。素敵。
っていうより、すげえ。仮装大賞よりすげえ。
(この票の参照用リンク)
この作品がダントツに抜け出ている。狐狸の化かし合いや、狐に化かされて馬の肛門をのぞかされるといったフォークロアが、見事に現代的にアレンジされていること以上の味わいがある。
たとえば「好奇心」というものの、おろかな一面である。民話では(バリエーションはあるが)見知らぬ美女のあとをつけ、彼女が入って行った豪邸をのぞき見る男が、じつは馬の肛門をのぞいているわけだが、現代のこの作品では、ネットの掲示板を見てノコノコあつまってきた連中が化かされている。ネットに流れる情報がしばしば人間の好奇心を必要以上に駆り立てることは言を待たない。そうして「無修正」や「流出」や「盗撮」などの文句に惹かれてワンクリ詐欺にひっかかったりする者があとを絶たない。狐狸のたぐいは古来、こうした人間のおろかな習性を批判する役割を持っていた。ところが現代は、人間を批判する者もまた神でも化物でもなく人間という時代である。人間による人間批判には説得力がなく、なにナマイキ言ってやがると拒絶されるのがオチである。この作品の結末が、屈辱的なまでの人間蔑視であるにもかかわらず、読者に痛快なものと感得されるわけは、批判者が人間ではないからである。すなわち狐狸民話が機能のひとつとして有していた、すなおに受け入れられる人間批判の完全なリバイバルである。そして同時に、たくみなアレンジによって、いかに時代が流れて社会が変貌しようとも、人間には変わらぬおろかさがあるということを明示しており、この物語を読んで「おもしろい」と感じる読者は、そのおろかさを自認し、潜在的にこの狐狸たちのような、すなおに耳をかたむけられる批判者を求めていたにちがいない。
そうした教訓じみた民話の機能をベースに、物語は、しかし突拍子もない展開で語られる。息を呑む緊迫感に満ちた筆致でバカバカしいほどとんでもない技がくりひろげられるのは、まるで山田風太郎の忍法合戦を読むようだが、随所に民俗学的な小ネタが配備されていて、ぜいたくだ。民話の世界では、四国を別にすれば、神の使いでもある狐のほうが格上で、かたや狸はバカでヘマばかりのおっちょこちょいであるが、この作品では、狐が宇宙に化けるほどの力を発揮すると、狸はバカなりの安直な発想で、月着陸船に化けて見事に対抗するなど痛快である。メカダヌキにしてもそうで、狸のほうが発想が人間的である(そもそも人間に技術供与を受けている)点に注目すれば、狸のバカバカしさは人間のそれであり、ここでも人間に対する皮肉がきいていると言える。莫大な資金と労力を投じてロケットを飛ばして宇宙にいどむなんてことは、少なくとも動物たちから見れば、いかにもバカバカしいだろう。
とにかく、この作品は、ニヒルなナンセンスに充溢した、きわめてぜいたくな娯楽小説の傑作だ。これが優勝しなければ、私は馬に蹴られて死のうと思う。(この票の参照用リンク)
馬、じっとしてないように思うんだけどなぁ。でもそうであるとしたなら、狐かメカ狸がどちらかを騙しているのだと読みたかったんですが(タイトルに帰ることにもなります)、まあこれは私の好みでしかないよなぁ。というわけでこの作品を。少々のネックなんざ吹き飛ばす勢いのあるいい作品です。
「先祖は朝に招く」に関しては、おばちゃんがものわかり良すぎたような気がしたので、残念。
「ポケット」に関してはほかの人の投票感想がとても参考になりました。が、ちょっといろいろ取れ過ぎてピントがあわず、ゴメンナサイ。(瀬川)(この票の参照用リンク)
くだらなくて面白い。漫画みたい。あり。狸の守護星は特にないで引き込まれた。「いやいや、ちょっと待て。特にないのかよ。作れよ。」って突っ込みができて楽しい。バジリスクを髣髴とさせる内容なのに、落ちが三歩引いたシーンで頭いい。狐と狸の描き分けをしていて好感が持てる。それに読みやすい。(この票の参照用リンク)
それにしても、投票数/作品数の率が、せめて選挙並みにならないものか。投票する方が少数派では、読者投票の意義が問われると思うのだが。(P)(この票の参照用リンク)
ヒモロギさんには悪いが、笑えなかった。
描写がいいとか純粋に楽しいとか、感想を再度読んで作品も読んだが、楽しくなかった。
これを単純に楽しいという人が短編には多くいるようだ。即物的なモノに興じる(メカ)狸の集まりである。
真央さん、エロを被ったのがよかったのか。それにしても文章が雑。エロ以前の問題。絶対に優勝して欲しくない。
紺さん、何事も祖先のおみちびきと思わせ嫌味。しかし、朝に招くというのが良い。味わいを取るならこの作品。 惜しいが、メカ狸に勢いがあった。
(この票の参照用リンク)
他の二作の面白さは、僕にはよくわかりませんでした。
この作品は、純粋に面白い!(この票の参照用リンク)
紺さんとヒモロギさんの作品はともに無理矢理千字に切り詰まられた印象を受ける。千字までという制限が足かせになっていて、一見軽やかな風なのに、嫌な息苦しさを感じる。普段サイトの文章を拝見しているせいかもしれない。
真央りりこさんの『ポケット』は読み手の想像に任された誤読の余地とでもいうべきものが心地好かった。単純に好みか好みかでないでいうとそう好みでもないのだけど、決勝の三作品の中では『ポケット』を推したい。(この票の参照用リンク)
今回の決勝作品を<「男の子」と、「女」と、「おっさん」に、おもえました>と書いた方に同感!
どの作品もおもしろく読ませてもらいましたが、まさに上記のとおり。「馬の肛門」のノリ、意味不明なトーテムポール、にはついていけなかった私は「ポケットのペーパーナイフ」のりりこさんに思わず投票してしまいます。
「ポケット」を「エロ」と称した意見もありましたが、色気とエログロの混同では? あと「優勝してほしくありません」という意見もありましたが、それは「絶対優勝してください」の裏返しに思えて、なんだか好きな子に「おまえなんか嫌い」っていう男の子みたいに思えました。その方に負けないように「ポケットに絶対優勝してほしいです」と私は書いておくことにしましょう!
(この票の参照用リンク)
気に入りました。何度も読んで、何度も考えられる楽しさがあると思います。(この票の参照用リンク)
どんな小説に惹かれるかというのは難しいもので、年を重ねるからといって読み方が成熟するかというと必ずしもそうではない気がしますが、それもまた良しとしながら。
「ポケット」真央りりこさん
何よりもまず、語りかけてくる冒頭の少女の言葉にやられました。一言も書かれないのにセクシャルなイメージを読み取れるというのも面白いのですが、作品自体はエロと読むよりは寧ろ、ポケット=女性の胎内あるいは記憶の迷宮、と象徴化し、少女がその中身を語る濃密な描写の中で、人間の中身や営みを描こうとしている作品だと思い、そのことに強く惹かれました。人間を描く、についてはもっと他の方法もあるのでしょうし、この描き方が自分の好みかと言われるとそうでもないというのが実情ですけれど。
また、「ペーパーナイフで切る」については意味を読み取ることができず、そこで大きなズレを感じてしまいました。
読みづらさもありましたが、今期決勝の三つの作品の中で、最も「惹かれた」作品です。現在の私の感性(気分、という言葉がもっと近いようですが)で、この作品に投票します。(とむ)(この票の参照用リンク)
決勝にのこった3作を読みなおしました。どれがいちばんきれいなのだろうかと、読みなおしました。いやな私です。
やめようと思ったけれど、いろんなこと、わかっているけれど、わかりきってるけれど、読みなおしました。
「男の子」と、「女」と、「おっさん」に、おもえました。
ヒモロギさんの作品って、明解で、即物的で、おもしろいのね。カッコいいのね。こういうの、なんて言うの? 浮世絵みたいね。明解で、即物的で、おもしろくて。あいつはほんとうに、こういう「男の子」好きね。あいつ、私よりもコロコロなの。コロコロよりもボンボンなの。ボンボンよりもわんぱっくコミックなの。私、あいつのこと、よく知っているもの。
バカだね、私。愛してもらえるつもりでいたなんて。バカだね。バカのくせに私、愛されるとおもっていたなんて。
「男の子」はじぶんの遊びに夢中なだけで、あいつのことなんか構ってくれないのにね。
あいつに幸せかとききました。わかっているのに、わかっているのに。遠回しに探りをいれてる私。皮肉のつもり。嫌がらせのつもり。いやな私……。
エーシさんって、じょうずなのね。てなれてるのね。エーシさんの話には濁りがなくて、きっとあいつをたのしませてくれる。てぎわがいいのね。だから年をとった「おっさん」におもえるのね。
でも私、きづいたんです。犬のラッキーが人間の身勝手から解放されたあとにおとずれる安心を。生理現象に対する抑圧を解放すると、「おしっこカタルシス」が得られることを。そしてそれら気持ちのよさにひたっていたあいつに、「おっさん」がそっと「祖先のおみちびきなのだろう」とささやいて納得させようとしたのを。男はいつも、嘘がうまいね。
あいつは十四や十五の娘でもあるまいに、くり返す嘘が何故みぬけないの? きっと「おっさん」は愁いを身につけて、うかれ街あたりで名をあげる。
……そうね。「おっさん」はそんな男じゃない。わかってる。「おっさん」をうるさく追いかける私。……何を望んでるの、私。
……私、3作を読みなおしました。
「りりこさん、あのね、あいつがやけにあなたの作品をほめるのよ。それからあなたの作品のモデル、ひょっとして、私じゃないかしら?」
……ウソ、ばっかり……
わかってるのよ、私。わかってるのよ、私。りりこさんの作品は、「女」ね。
男なんてなにさ。母になれの、恋人になれの、花になれの、港になれの、メイドになれの、妹になれの、メーテルになれの。注文ばかりを人に出しておいて、自分だけは広く浅く博愛主義者。
でも男心はみんな「女」のマリオネット。「女」は男の弱み全て知ってる。よりどりみどり気まぐれ次第、男にあわせて姿を変える。誘いかけない男なんてありえない。「女」が最後までしらを切ったのは、「女」の最大限の思いやり。ねえ、あいつをとらないで。
わかってる、私。わかってる、「女」。わかってるのに、わかっているのに。うらやましくて、うらやましくて。
……付き合ってくれてありがとう。
でも今夜は私、泣くと思います。うらやましくて。やっぱり、うらやましくて。うらやましくて、うらやましくて。今夜は泣くと、……思います。(この票の参照用リンク)
『面白さ』と『好き』が両立しない作品はあまり楽しめない性質なのですが、今期は色々な方のご意見を参考にしつつ悩んで一票。後の二作品は収まるべき結末に落ち着いているのが上手いと思うと同時に少し物足りませんでした。
……しかし作品中でそういった説明的描写は一切ないにも関わらず、他の方の解釈にエロティックな見方が多いのは単純に興味深かったです。(この票の参照用リンク)
微妙。いい意味で。初読時によゐこのコントのようだと思って再読したらやっぱりよゐこのコントのようでした。有野晋哉が天才の一員だった時期は確かにありました。「私」と「奥さん」の微かだが確かな恋のにおいがあれば完璧なのになあと思ったんですが、私以外でそう思った人っているんでしょうか。「私」と「ラッキー」との淡い恋物語でも可。(この票の参照用リンク)