第41期 #20

祖先は朝に招く

 トーテムポールはアメリカ先住民のこころのよりどころだ。たましいだ。私はアメリカ先住民ではないが、だからといって、彼らの偉大な祖先の物語を刻んだ塔に、犬のしょんべんがひっかけられつつあるのを見すごすわけにはゆかない。
「ちょっと奥さん」
 私は飼い主に注意する。
「なんですか」
「これ、トーテムポールですよ」
「あら本当だ。あたし電柱だとばっかり」
「いいえ、トーテムポールです」
「でも、いつもはここ電柱なんです。ラッキーちゃんお気に入りのトイレなのに」
 そのラッキーちゃんは用をすましてスッキリして、へらへら笑っているのである。私は腹が立ってきた。
「そんな言いわけはとおりません。仮に昨日まで電柱であったとしても、いまはトーテムポールだ。どんな事情にせよ、ワン公のしょんべんなんかで、みだりにけがしていいものじゃない」
 すると彼女は顔を真っ赤にして怒鳴りだしそうだったが、やはりだれがどう見ても非はラッキーちゃんにあり、その飼い主が責任を負わねばならない状況だから、抗弁の余地はなかった。だまって犬をひきずって去ってしまった。
 ところで、たしかに、ここにトーテムポールがあるのは妙だ。アメリカ先住民とは縁もゆかりもないだろう日本の平凡な住宅地である。ここに暮らして長いが、私とて気づいたのはこの朝のことで、昨日まで電柱だった可能性は否定できない。しかし前からずっとトーテムポールだった可能性もまた否定できない。
 そもそも人は、路傍に立つ細長い物体が電柱なのかトーテムポールなのか、いちいち確認しないものである。人でさえこうであるから、犬を責めるのは少しきびしすぎるかもしれない。
 とはいえ、ここにトーテムポールがあるという事実を知ってしまった以上、話は別である。そして事実を知る私には、このポールの尊厳を守る義務があるだろう。
 で、翌朝からトーテムポールのわきに立つことにした。やがて昨日の主従がやってきた。ラッキーちゃんは一目散にトーテムポールへと駆け寄るが、私がいるのに気づいた飼い主は綱をひっぱって制止する。
 犬は首がしまっても近寄ろうとする。あまりにも必死だ。
「だめよラッキーちゃん、そこトーテムポールなんだから!」
「いや、奥さん」私は言った。「きっとこれ、トーテムポール型の電柱ですよ。遠慮なくおやんなさい」
 ラッキーちゃんは満足げに用をたした。これも祖先のおみちびきなのだろうと私は観念したのだ。



Copyright © 2005 紺詠志 / 編集: 短編