第41期 #19
濡れ布巾越しに土鍋の熱が両手に伝わってくる。
手に熱が伝わって来る速度が思いの外速い。
コタツの上の卓上コンロに土鍋を無事着地させるべく、ゆっくり急いで。
台所と居間の扉を足で開け、ただ今、鍋の入場です。
「はーい。独身鍋の入場だよー。」
この時を待ちわびた彼女の視線は土鍋に集中。
立ち上る湯気に眼鏡を曇らせ、鍋の匂いを楽しんでいる。
「ねえ。なんでいつも独身鍋なの?」
意味なんて無い。
僕が独り身の頃からの習慣。
簡単ながらも奥が深いこの料理は、数少ない僕の得意料理だ。
出汁の取り方、具材を煮込む時間・タイミング、灰汁の取り方。
全てにこだわりがある。
人は僕のことを『鍋奉行』と揶揄するけれども、それらを楽しむことも鍋料理の一つのファクターだと思うんだ。
毎年、年末になると、友人を呼んで鍋を振る舞う。
学生時代から続く数少ない友達。
彼女と知り合ったのは、そんな忘年会の席だった。
「年末に暇そうにしていたから」
と、友人が連れてきた。
始めは遠慮がちにしていた彼女だったけど、お酒と鍋が進むに連れて、うち解けていった。
その時、僕の鍋を誉めてくれたあの笑顔は今でも忘れていない。
次に彼女と鍋をつついた時には、二人ッきりだった。
つき合いだして8ヶ月。
二人で鍋の中身を取り合って、つい「このままいつまでも二人で鍋を食べたりしていたいね」と、つい口からポロリと本音をこぼしてしまった。
彼女は出会った時のあの笑顔で、何も言わずに僕に口づけて来たんだ。
後から聞いた話だと「あれはプロポーズだと思った」だそうな。
僕にはそのつもりは無かったんだけど。
彼女の中では既に最初のプロポーズと言うことになっているみたいだし、僕自身もその気持ちは間違っていないから黙ったままでいる。
そして、今や僕と彼女は一緒に暮らしている。
普段の食事は彼女が作るけど、週に一回は僕が鍋を運ぶ。
彼女はそれを『ごちそうの日』と呼んでくれている。
『ごちそうの日』には二人でおいしい幸せに浸り「いつまでも二人で」と言い合う。
それがいつもの習慣。
でも、今日の彼女はいつもと違う反応を見せた。
「ううん。来年からは3人かな…。」
少し照れくさそうにお腹をさすりながら彼女は、そう僕に告げた。
僕は台所から彼女の好きなゆで卵を取ってきて鍋に入れた。
鍋の中で3つの卵が仲良く揺れた。