第41期決勝時の、#25原っぱの決斗 キツネ対メカダヌキ(ヒモロギ)への投票です(9票)。
#7「ポケット」
読み終えた印象としてはエロというよりも淫靡。ウツボカズラのような食虫植物的な感じはするけれど、正直なところよく分からない。
というのも、「そうなのよ」以下最後の3行がとても印象的なのにその情景が想像できないからかもしれない。「ママ」はぽっけに入っていないのに口紅を残した。「あなた」はぽっけに入って何かを残す。ぽっけに残る条件がわからない。
#20「祖先は朝に招く」
初読で脳内ツッコミマシーンが「んなの一晩かけて誰かが(木製の)電柱を彫ったに決まってるやん」とか「(アメリカの)トーテムポールが立っているトコにも犬はいるだろうし、絶対電柱代わりに使ってるよな」とか言いはじめた。
こうなるともうダメ。とても良いところを探せるようにはならない。いや、申し訳ない。
#25「原っぱの決斗 キツネ対メカダヌキ」
荒唐無稽で面白い。
荒唐無稽である分、大概のツッコミを躱せるし、裏テーマなんてのも探さずに読むことが出来る。これはもう、読んでみて「面白い」と感じるか「面白くない」と感じるかの二者択一のものだと思う。
そーゆーわけで、私は素直に「面白い」と感じた#25に一票。
参照用リンク: #date20060122-235625
通過作品をもう一度読み返してみたが、自分が予選で推した三作のうち唯一通ったこの作品に、再び票を投ずることにした。それでなくても世評は高いようで、いまさら私がさらに推す必要はないかという気もする。さらには例のP氏が激賞しているのもつまらないと思うのだが、それは作品評価とは関係ないことである。
『ポケット』は、書き流した話体のようでいて、文章の流れには細かく神経が行きわたっていると思われ、渋滞せずに読めた。ただ最後近くの「ママ」についての記述は何か大切なことを象徴しているようで、しかしそれが私にはよくわからず、躊躇せざるを得なかった。
『祖先は朝に招く』もまた、よく読んでみるとわからない所がある、と言うより、明晰かつ晴朗な記述の裏に何か不気味なものが隠れているかのように思われる。結局この物体は「電柱」であったのか「トーテムポール」であったのか、最後まで確定的な判断は下されていない。客観的には電柱で、語り手一人が幻想あるいは妄想を抱いているのか。その割には人もあっさりそれを受け入れているのは不思議である。普段よくも考えていないことをあまりに確信的に語られると、つい丸め込まれてしまうということだろうか。
語り手は最後「トーテムポール型の電柱」として自分を納得させているが、考えてみるとこれもまだ普通の世の中の見方からは外れていると言えるだろう。いつか読んだ土手を転がる男の話のように(うろ覚えで申し訳ないけれども)、自分だけの世界に入っちゃってる人の話じゃないかと思う。
予選の感想で、この辺りを納得させてくれるようなものが見当たらなかったのは遺憾である。P氏のいう単純な「融和」とは私には思えない。ちなみに票感想に「掲示板を参照されたし」はないんじゃないかと思う。いくら同内容であるにしても、公的な批評・感想は掲示板ではなく投票だから。(海)
参照用リンク: #date20060122-121427
この作品がダントツに抜け出ている。狐狸の化かし合いや、狐に化かされて馬の肛門をのぞかされるといったフォークロアが、見事に現代的にアレンジされていること以上の味わいがある。
たとえば「好奇心」というものの、おろかな一面である。民話では(バリエーションはあるが)見知らぬ美女のあとをつけ、彼女が入って行った豪邸をのぞき見る男が、じつは馬の肛門をのぞいているわけだが、現代のこの作品では、ネットの掲示板を見てノコノコあつまってきた連中が化かされている。ネットに流れる情報がしばしば人間の好奇心を必要以上に駆り立てることは言を待たない。そうして「無修正」や「流出」や「盗撮」などの文句に惹かれてワンクリ詐欺にひっかかったりする者があとを絶たない。狐狸のたぐいは古来、こうした人間のおろかな習性を批判する役割を持っていた。ところが現代は、人間を批判する者もまた神でも化物でもなく人間という時代である。人間による人間批判には説得力がなく、なにナマイキ言ってやがると拒絶されるのがオチである。この作品の結末が、屈辱的なまでの人間蔑視であるにもかかわらず、読者に痛快なものと感得されるわけは、批判者が人間ではないからである。すなわち狐狸民話が機能のひとつとして有していた、すなおに受け入れられる人間批判の完全なリバイバルである。そして同時に、たくみなアレンジによって、いかに時代が流れて社会が変貌しようとも、人間には変わらぬおろかさがあるということを明示しており、この物語を読んで「おもしろい」と感じる読者は、そのおろかさを自認し、潜在的にこの狐狸たちのような、すなおに耳をかたむけられる批判者を求めていたにちがいない。
そうした教訓じみた民話の機能をベースに、物語は、しかし突拍子もない展開で語られる。息を呑む緊迫感に満ちた筆致でバカバカしいほどとんでもない技がくりひろげられるのは、まるで山田風太郎の忍法合戦を読むようだが、随所に民俗学的な小ネタが配備されていて、ぜいたくだ。民話の世界では、四国を別にすれば、神の使いでもある狐のほうが格上で、かたや狸はバカでヘマばかりのおっちょこちょいであるが、この作品では、狐が宇宙に化けるほどの力を発揮すると、狸はバカなりの安直な発想で、月着陸船に化けて見事に対抗するなど痛快である。メカダヌキにしてもそうで、狸のほうが発想が人間的である(そもそも人間に技術供与を受けている)点に注目すれば、狸のバカバカしさは人間のそれであり、ここでも人間に対する皮肉がきいていると言える。莫大な資金と労力を投じてロケットを飛ばして宇宙にいどむなんてことは、少なくとも動物たちから見れば、いかにもバカバカしいだろう。
とにかく、この作品は、ニヒルなナンセンスに充溢した、きわめてぜいたくな娯楽小説の傑作だ。これが優勝しなければ、私は馬に蹴られて死のうと思う。
参照用リンク: #date20060118-030259
馬、じっとしてないように思うんだけどなぁ。でもそうであるとしたなら、狐かメカ狸がどちらかを騙しているのだと読みたかったんですが(タイトルに帰ることにもなります)、まあこれは私の好みでしかないよなぁ。というわけでこの作品を。少々のネックなんざ吹き飛ばす勢いのあるいい作品です。
「先祖は朝に招く」に関しては、おばちゃんがものわかり良すぎたような気がしたので、残念。
「ポケット」に関してはほかの人の投票感想がとても参考になりました。が、ちょっといろいろ取れ過ぎてピントがあわず、ゴメンナサイ。(瀬川)
参照用リンク: #date20060116-204028
くだらなくて面白い。漫画みたい。あり。狸の守護星は特にないで引き込まれた。「いやいや、ちょっと待て。特にないのかよ。作れよ。」って突っ込みができて楽しい。バジリスクを髣髴とさせる内容なのに、落ちが三歩引いたシーンで頭いい。狐と狸の描き分けをしていて好感が持てる。それに読みやすい。
参照用リンク: #date20060115-233937
それにしても、投票数/作品数の率が、せめて選挙並みにならないものか。投票する方が少数派では、読者投票の意義が問われると思うのだが。(P)
参照用リンク: #date20060115-200415
ヒモロギさんには悪いが、笑えなかった。
描写がいいとか純粋に楽しいとか、感想を再度読んで作品も読んだが、楽しくなかった。
これを単純に楽しいという人が短編には多くいるようだ。即物的なモノに興じる(メカ)狸の集まりである。
真央さん、エロを被ったのがよかったのか。それにしても文章が雑。エロ以前の問題。絶対に優勝して欲しくない。
紺さん、何事も祖先のおみちびきと思わせ嫌味。しかし、朝に招くというのが良い。味わいを取るならこの作品。 惜しいが、メカ狸に勢いがあった。
参照用リンク: #date20060115-081518