第238期決勝時の投票状況です。7票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
8 | ダンス・ステップ | Y.田中 崖 | 3 |
6 | ソーラーパワーアマネ | (あ) | 2 |
3 | 高嶺ヶ原 | 霧野楢人 | 1 |
- | なし | 1 |
そのまま父と娘として読んだ。短いアニメのような味わいがする。美しく温かい記憶の怪談。たしかに、エモすぎる。場面の選択、切り取り方、センスが素晴らしい。妄想と実体験のうまい塩梅が要求される場面だ。
ステップは人生とすると、常に一歩引いたところから追いかけるのが、子供の客観的に見るスピード感であったり、見守りたい(心配だ)欲であったり、現実の親心を反映してよかった。
ラスト、父(?)が白装束というところで、古典的なジャパニーズ死人スタイルが浮かんでしまい、そこだけ辞めて欲しかった。
#3 高嶺ヶ原
「よろしく」というくらいだから知り合いのはずだろうに後輩は何を聞いてるんだろう。彼も結構てんぱってるのかなと思った。雑念に支配される人間と自然の対比がいい。
# 6 ソーラーパワーアマネ
6年ぶりの友情、青春の日々の良さ。ついブログに書いてしまう熱量。語り手は、特にインフルエンサーというわけでもないと勝手に想像。
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何もないところから何もないところへ。人生の終着点には何もない。けれど、無と無のあいだにはちゃんと過程があって、ひとは階段を昇るように(最後には降りてしまうとしても)ささやかに生きていく。どうせ歩くなら踊るように歩きたい。その中で、愛すべき者を見つめ、ひとときでもいい、共に歩くことができれば僥倖だ。
そうやって人生と人生が絡み合い、何もないはずの世界には物語が編み上がる。
そんな個人的な価値観とガッチリ噛み合って、一言で言えば激エモだった。
こんなエモい話の取っ掛かりが日常的な場面であるのがさらにエモい。
「君」の人生の断片が優しい眼差しで的確に描かれており、壮大で抽象的なテーマの中から輝き浮かび上がるように感じられた。
多くのひとにとって死を意識する機会はそう多くないと思うが、語り手は「君」に何度も「降りてはいけないよ」と諭す。死にゆく者の性か、親心か。(この票の参照用リンク)
他者の人生に関われるのは、誰であれ限られた時間だが、進む時間が逆向きになる自身を見据えながら見守り続けることには、
気が遠くなるほどの思いが込められる。自分にも他者にも自ら下る選択をさせない途方もない尊い努力の継続と希望を感じる話で、
だからこそステップを踏みながら下りていく語り手の姿は「解放」であり語り手の物語の終焉なのだと読んだ。とてもよかった。(この票の参照用リンク)
#3
五感に訴える描写については予選時に書いた。再読して気づいたのは、後輩が訪ねてくる箇所が空行で区切られていないこと。ここでは回想シーンに移行しておらず、高原にいる語り手は回想しながらずっとそこにいる。常に語り手に焦点が当たっていて、それが語りの奥行きになっている。
ただ、他の方の感想にもあるように、後半に向かうにつれ尻すぼみに感じられてしまう。仔細な描写と表面しかなぞらない会話は高原と下界の対比かもしれないが、対比するなら恋の激情を綴っても静と動でおもしろいかもしれない。
#6
再読して、やはり最終段落でぶわっと感情の波が押し寄せてくる。真摯な語りと、三者三様に一プロジェクトに携わっている感が眩しい。それが南の島の絵と重なり、見たことがないはずのアニメ映像と重なる。「ここまで読んでくれてありがとう」って、さりげなくてあまり見かけない良い言葉だと思った。
というわけで、他で得難い読後感をもたらしてくれた本作に票を投じる。(この票の参照用リンク)
#6『ソーラーパワーアマネ』を推薦。
初見の読後に、誰かのブログの転載か配信の宣伝かと思って、「ソーラーパワーアマネ」で検索してしまった。もちろん該当なし。今の時代の空気感で個人ブログ風の千字創作。テーマは時代感(漫画やアニメへの信頼、コロナ禍を経た大YouTuber時代、など)と、人がちょっと有名な身内を誇らしく思いながら紹介する普遍的な心情の交差かな。ソーラーパワーアマネ関係の作り話が面白いわけではないのだが、その顛末を熱意をもってブログ主が語っているという形式がよく感じた。さっぱりしすぎてるが、狙いと効果が噛み合ってて、作品として過不足がなく、完成品という印象を持った。
#3『高嶺ヶ原』
山の描写が素晴らしいので、下界に残してきた雑事に結局焦点が行ってしまい、前半の旨味を損なう。前半の山景を作品にするための後半部に見えてしまう。そのため選ばなかった。1:青年の秘めた想いの強さ、あるいは雑念の煩わしさを、千字にこだわらず前半のディテールで書く。2:千字作品として山描写と取り合わせる後半の要素をさらに強くする。断然1が読みたい。
#8『ダンス・ステップ』
エピソードが細かく作ってあり、情景も浮かびやすいが、私には少しありきたりな感じがする。「君」と「私」の関係に曖昧さがあり、そこに不思議さがある。しかし、「私」が誰であろうと、死ぬ側の気持ちがまともだから、毒にも薬にもならない。予選の一番はじめの感想の読み方は私も面白く感じるが、踊り場を降りようとする君を慌てて抱き抱える私、の描写が邪魔をする。単純に、人生のステップアップと死に別れを、階段と踊り場に重ねてテーマにしてると読んだ。肝心の階段の構造やスケールが若干定めづらい。「私の次の踊り場」という描写があったかと思えば、私と君は階段部分や踊り場をある程度共有しているように見える部分もある。(この票の参照用リンク)
描写のリアリティーの高さから、かなり作者の方の経験がふんだんに盛り込まれていることを感じました。おそらく大雪山系のあそこなのでしょうね。深読みになりますが、後輩は保科先輩に恋心を抱き、語り手のことを恋敵と誤認して様子を見に来た、のかもしれません。微妙にその雰囲気を感じ取りつつも傷心を癒やしたい語り手の心理描写が、前半の風景描写の緻密さからよく浮き出てきているように感じました。
『ソーラーパワーアマネ』は、Aのきさくさと語り手が「日差しを恐れて昼間外出しない」というのを併せて、語り手は女性なのだろうな、と今さらながら気付きました。女同士の友情として美しく見てもいいのですが、そこそこ閲覧者が多いブログサイトの主が金策の手伝いをしている、と感じると冷めた気分になってしまいました。もうちょっと違う語り方もあったように思います。
『ダンス・ステップ』は“絵に描かれているのは君の両親?”だけで語り手が女性の親ではないと断じるのは早計かと考え直しました。それにしても、経験の蓄積が階段を上ることになるのなら、亡くなった方も階段を降りることはなく、もう登れなくなるだけだと思いました。『ああ無情(レ・ミゼラブル)』の末尾でコゼットの幸せを願いながらも身を引いていく名場面と重なるところも感じられたのですが、最後はやっぱり重力を失って浮いてしまい、ダンスを踊れなくなった場面にして欲しかったです。(この票の参照用リンク)
#3 高嶺ヶ原
完結で短い言い回しは、リズム感があるし、昔の人の日記やメモのような雰囲気があるなと思った。
しかし、文学臭が少し鼻につく。
あえてそう演出しているだけかもしれないが、そういう文体に酔っているような感じもする。
#6 ソーラーパワーアマネ
ようするに、漫画家本人が漫画に描いていたことが現実化するという話か。
発想は面白いけど、ちょっと分かりにくい書き方だなと思う。
#8 ダンス・ステップ
ショッピングモールにある階段を、人生の階段に喩える話というか、詩。
この作品も、発想は面白いが、詩のような書き方だと、物語を期待している人間は白けてしまう。(この票の参照用リンク)