投票候補に★をいれました。
たくさんあったので投票選ぶの悩みます。
1 エージェント・イレブン 〜アンブレラは四度咲く〜 アンデッド 972
うんこきたないなあ。
不完全燃焼感があって、まだまだ面白くなるんだろうなあと思いました。もっときれ味が出せるだろうし、もっと濃くすることができるんだろうなあと。
例えば冒頭の「修行を終えた11」の部分だって、例えば「38474日かかる修行を487日で終えた11」とするだけで、「11」の個性を表すことができるのだし、全編そういった詳細への目線がうすくて残念。
2 名付け親ゲーム 朝野十字 1000
1ばんの作品と、作品自体の狙いどころ、愉快さって部分は似ているんだけど、例えば「昼休み休憩室の隅で独りで弁当を食べてる佐橋さん」とこまやかな注釈があって奥行きが出てる。
「変なおじさんっ」など、全編に年寄り感がでていて、マイルドにちかづきがたい作品だった。
3 列車 庭野 梅 679
ああなるほどと思いつつ、いや目の前で人が泣いているのにこんな感情でいられるものかなと思いつつ、いやほんとは文庫本読んでいる人はほんとはもっといろんなこと感じているはずだとか、いろいろ想像しちゃったんだけど、それまでと言えばそれまで、というのがすなおな感想でした。
人間の感情や心理を描くのが小説だという認識はほんとうにへどが出るくらいうんざりするほどこの世からいらんと考えているのですが、だいたい、こういう考え方って、そもそもあなたと私が違う考え方を持っているって前提の、個人とか自我とかを前提にした嘘であって、じっさい大して人間って変わらんでしょう。あなたと私が違う、個性があるって、勘違いもいいとこだと思う。変わらんよ、誰もかれも人間は。だから、こういう小説は絶滅してほしい。
★4 『綺羅』 石川楡井 1000
あら投票がない。ふしぎ。おもしろいのに。作品としてきれいなのに、と思ったのですが。
どこがうまいのかと言えば、まず第一、「光」という言葉を作品独自の文脈で使用していて、一般的な「光」という言葉の持つイメージを流用しながらそれでいて、作品内部で独自の価値を持たせている。この、単純で強い筆力。けっこう書き手の精神力がいるはず。
第二、「ああ、いけない。」といったところで端的に人物の感情を書き表すところ。作品としてドライな部分を持たせようという意図もあるかもしれないが、下手な人は言い訳がましくくだくだと罪悪感を書き連ねてしまうところじゃないだろうか。この簡潔さ、そしてこの簡潔な分量で文意が通じるだろうという読者への伝達力の見極め、が書き手としての経験値じゃないかなと思った。
難を感じたのが、性欲がでちゃうのはちょっと安易な感じがした。セックスは安っぽい。快楽は教養に比例するって考えると、単に射精するって意外性がなくてつまんないなと思った。既知の領分だった。
5 仕事が憎い今日この頃 名乗るほどでも… 1000
中年になってくると、自分含めて誰彼の愚痴だとかにうんざりしてくる。ちっとも生産的じゃないじゃん、というのは若い時から思ってたことだけども、それ以上に、聞きあきたっていうのが強い。仕事がどうのとか、生産的かどうか以上に、何万回聞かされたと思ってるんだ、と思う。それが分からない人、っていうのは正直人間としての感性を信用できない。
だけれども、それでも書かざるを得ないっていうのはあるわけで、ただしこの程度じゃ飽きあき、もしくは嫌われている愚痴を相手に聞かせることはできないんじゃないのだろうか。聞き入れてくれない意見を、たとえば政治的陳情を焼身自殺で聞き入れさせるっていう手法が一方であるけれども、それに比べたらなんじゃらほい、って感じ。
6 雪 吉田佳織 906
これが小説なのか、と思うし、小説っぽいなと思うんだけど、確かにイメージの表面的な連携は、たtおえば作中の「雪イコール白イコール牛乳」なんて連鎖をうまく時系列にたくしこむのが小説なんだろうなとは思うんだけど、もっとこう深く揺り動かす言葉の連続っていうのが小説なんじゃないのかなと思う私としては、ちょっと違うかな、というのがすなおな感想。
ただでもやっぱり、うまい比喩を聞いて気持いいように、こういう作品も読んでいて面白さは感じる。ただ最低限度持つべき作品の強度って感じもするなあこういうイメージ連携は。
それから、電子レンジでホットミルクつくると、あっためられた牛乳がマグカップをあたためるので、マグカップも熱くならないですかね。
7 終了宣言 岩砂塵 992
なんかものすごい妄想を聞かされているようでぞっとした。
総理はそんなこと発表しないだろうし、最後の「なかなかおもしろいものになりそうだ。」といった感想もちっとも分からない。むりやりこじつけた感じがする。
物事を深く突き詰めないでいて無頓着でいられる人が時折のたまう、偽善的事実曲解を聞いているようで、ぞっとしたんだと思う。
それにしても平凡な世界の話が、今月は続くよなあという印象。
★8 せざく 金武宗基 888
毎月読んでいると、こっちが追いついてきたのか、むこうが速度を落としてきたのか、だんだん面白く感じてきているのは確か。高揚感がいいなと思う。書いていてたのしそうな感じ。でも高揚感はあるんだけど、言葉選びはどうしようもなくかっこわるい。この言葉選びをかっこいいと言っている人は、感性どうかしているのじゃないか、というのが正直なところ。
るるるぶさんとの比較があったけど、るるるぶさんの語感は、いわゆる普段よく使う言葉の新鮮な組み合わせ方とか繰り返しによってもたらされる、いわゆるシーケンサーを使った音楽の面白さ。金武さんのほうは、歴史政治思想臭のする非日常的な言葉を使って、さらにその言葉と音の似通った言葉をかきあつめたダジャレのうんざりする繰り返し。週刊誌くさい。
ストーリー、というか、ベースラインは、http://tanpen.jp/50/21.htmlに似ているんだと思う。
9 偽りの恋の色 もここ 790
なんか自動進行してくお話で、訳分からんと思いつつも、なんとなく分かるストーリー。
これはもうこういうテキスト自体が存在するっていうこと自体が面白くて、特に言うこともないかなあ。
つまり、こういうテキストが巷間にあふれ、これをよりどころに集う人々がいるわけで、それがひとつの潮流ってこと自体が面白いんだよなあ。
状況もよくわからないくらいの説明なのに分かっちゃう世界観って、これはなんかすごく画期的なことなんじゃないのかなと思う。
★10 ども、武者小路実篤でーす Revin 996
いちばんにばんの作品と狙っていることは同じなのかなと考えると、さいごふふっって笑ってしまったぶん、この作品のほうが面白いのだろう。こういう、随所に小ネタをはさむのは、永野のりこ先生が起源なんでしょうかね。いや、もっとながーい歴史のあるものなのかもしれません。
事件でなくて注釈によって進む話というのは、ヒモロギさんなんかを思い起こさせるのですが、ああいう偏執と小説っていうのは根本的に違うものなんじゃないのかなと思うものの、文章自体は面白いんですよね。
11 『競作』 石瀬 醒 786
ああー、そういうことかあ。と思いつつ、眩暈を感じてよろめいた人を見たことがない私は、ほんとまじでこんな人いるのかなと思います。形としてはきれいだったんじゃないのかなと思いました。
本当に人間がそうするのかはともかく、本当に人間がそうするかもしれないという反応を描くことはこすい書き手としては必要な能力だと思うのだけど、安易安易な演出が多く、あるいは無意味な描写がやっぱ多いんだよなあとぼんやりこのサイトの作品を読んでいると思います。
眩暈を起こさなくても、にらみつけるくらいの人は見たことあるのになんでそうしなかったんだろうと思います。テレビドラマだったら眩暈起こすかもしれんけど、テレビドラマじゃないし小説は。テレビドラマは女優とか、映像の強度があるからゆるされる演出があるんだと思う。
★12 裏道 さいたま わたる 1000
これも今のところ票なしなのか。
この段落と、この文章の息継ぎが、とつとつと死へ向かう際の思考を言葉として定着しているってことの書き手の上手さにあんまり称賛は集まらないのかなと思った。「ヤジロ兵衛」ってワードだって、文全体のゆきつもどりつ感を象徴しているし、象徴があればいいってもんじゃないのだけれども、ひとつ力量を示す物差しではある。
死っていう安易な題材かもしれないが、それを書き手自身の言葉で表すというのはひと際の技量だろう。
ただ、「人生はすべからく思いつき」っていうのは、すべからく=すべてって意味ではないので、なんかそうなっちゃいそうな勢いはある語感なんだけど、お気をつけを。
ちなみに長月さんの感想は映像に偏り過ぎている感がある。私は言葉寄りなんだろうけど。
13 赤い動機 近江舞子 1000
権力や世間よりも美学が優先するっていうのはちょっとふるくさいなと思う。そういう問題でもないだろういまさら。なんか、権力や世間ってものから距離をおいているからこその価値観であって、こどもっぽい。個人の感情が、個人のものだという考えや、権力が権力その物でなりたっているような勘違いは、どうかしていて、人類全体が生み出してきたものだって前提にたてば、こういうちっちゃい個人的な私小説的な、個としての生き物の感情を高めるようなイズムはなんかもう嫌だ。そういうんじゃないんだ、だからちいさなコミュニティを守るためだけに存在するケータイ小説ってのも嫌で、生き物の生き物たる部分を横断するような話のほうが有意義だよなって思う。
14 バンド わら 1000
こう、態のいい話を、表現のギミックでとりつくろった感のあるお話。こう、「ふと目を遣ると、駐輪場にギターケースを背負った崇の姿があった。」の「ふと」なんていうのは小説的文章の嘘で、ほんとに人間って「ふとした瞬間」なんてあるんだろうかと思う。
だいたい、言葉にはいいかげんなものが多い。もっと死語増やしたほうがいいんじゃあないだろうか。意味を薄めるためだけの、間をひろげるためだけの言葉が多すぎやしないか。例えば副詞。あれは、全部数量で表してやればいい。「たくさん」じゃなくて、全部100とか200の数量表現で。
人間の行為に「ふと」なんて瞬間はなくて、気が向く理由がどこかしらに必ずなにか、あるのだ。こういう小説的べんりワードの多用が気になった。
★15 ふとん幻想 彼岸堂 1000
日常から世界に飛躍する、この飛躍。飛躍のある、「左手の戦争漫画を室内に投げ、一羽の鷹の如く飛翔した」といった表現も気持がいい。
ただし途中でちょっとイカに逃げたんじゃないのかというところも感じた。もうちょっと布団に固執するか、あるいはさらにイメージをくりひろげるかしたらいいんじゃないのかなと思った。
あとは色と匂いがもうちょっと足しこまれていればなと思う。五感がたりない。それと「口の中が唾液まみれだ。」も気になるか。もともと唾液まみれでない口の中は想像しにくい。
16 白い雨 謙悟 999
なんかもっさりしているのう。http://tanpen.jp/83/8.htmlのあたりをかすめているような気がするんだけど、とにかくもっさりしている。正直何が言いたいのかいらっときた。
表現的にはイメージを丁寧につないでいるんだけど、ただそれを必死でやっているようで、軽さがなくておもったるい。
手段が目的になってるのかな。一生懸命感もおもったるいのかも。
17 夢。 仙棠青 1000
不用意な副詞は嫌だって。「おたおたと不器用にたたらを踏むのが」おたおたしないたたらの踏み方があるのか。「空々しく人工的なもの」空々しくない人工的なものがあるのか。
やっぱり私も長月さんと同じく、夢十夜を思い起こしました。全体にくだくだしく、なにかこう、一味足りないな奥行きを感じないなと思うと、それはたぶん、人物と周囲の動きだけで構成されていて、時間的、考察的な描写がないからなんじゃないのかなと。
小説としてのふくよかさは、単に語彙の問題じゃなくて、描写の方向性、言葉がつかみ取る世界の広さってところにもあると思う。
★18 水面下の夢 壱倉柊 1000
うまいな。
長月さんの言う「こっぱずかしい」感じは私も受けていて、それはたぶん「俺はもはや自分が魚なのか人間なのかわからなくなった。」などと言いきってしまう浸った感じで、こういう感じは若さなのか変わらないその人の人間性なのか、分からないが、ここで「ばかげている」って客観性があればこっぱずかしさは多少軽減されたのではないのかなと思う。
とはいえ上手い。私が言う上手さは、「釣り」「海」「魚」というイメージの連携。連携がうますぎてこっぱずかしさもはらんでしまったのがもろ刃の剣だけれども。
あとは会話。短い。こういう短い会話を作れるのは勘所をおさえているからで、これもものすごい技量。特に「「壁、白いね」」なんていうところに上手さを感じる。会話文の全体から眺めると、ここは「白いね」でいい部分なんだが、おそらく「壁が」の主語がないと読者に分かりにくいという配慮から、主語を配置したんだと思う。あー、よくよく考えると、主語のない会話文が続く=海の中でたゆたう感覚も出ているのかな、と。
★19 閏年の僕 マーシャ・ウェイン 939
むう。これも票なしか。うまい。
四年に一度で良かったということへの解釈が変化する過程がおもしろい。そこがおもしろい。おもしろいおもしろい。うん、おもしろい。
姉のことや、恋人のことなど、書かれているのだけど、実際意味がないところもおもしろい。
こういう素朴な話を支えているのは「日々老化の一途を辿っている。多分。」「僕は誕生日を泣いて過ごすまいと心に決めた。はずだった。」という気の弱さをあらわしせしめる文章のギミックで、そういうささやかな気づかいが上手いと思う。そしてこういう細部が楽しい。
★20 ヘタなシャレは えぬじぃ 1000
これもうまいんだけど、さっきから言う私のうまいの質とはこれだけちょっと違いそう。
文章はきっちりとしているけど、今一歩の文章力で、それは単に相手に伝えることだけは正確なだけだから。でも、アイディアをエスカレートさせていく力は上手い。
というか、上手いけどだじゃれは好きじゃないんだよなあ。
音ってすごく表面的じゃない? だから、音楽的につかわれたらいいんだけど、こう、意味も伴わせようっていうのが、なんか違うんあだよなあ。あくまでだじゃれは会話の上の瞬発力がおもしろみであって、文章で表現されると強みがなくなるんじゃないのかなと思う。
★21 海辺の六助 宇加谷 研一郎 1000
いいかげんだなあ。適当すぎる。
めんどくさいけど、書けば、六助というトリックスターが両派閥をまとめて、まとめたから去って行ったという説話になるんじゃないんですかね。どうでもいいですけど。
こういうことのできる裁量というのは、こういうことをやり続けられる裁量というのは、ちょっと計り知れない強度を持ってるんじゃないのかなと思う。ある時期からの宇加谷さんはすごいなって思ってたけど、連続決勝出場続行中なのですね。
22 渚のオクラホマミキサ クマの子 1000
なんだこの生硬さは。ほんとに書きたいものを書いてるんだろうか、いわゆる手段が目的になってるのか。すっごく既視感があって、手あかのついた言い回しの連発に思える。
「快晴、海風、気の利いた休日の午後のひと時。」とか、なんかオリジナリティのかけらもない。渚っていう場所に、どんなイメージをいだいているのか分からないが、そもそも分からせられないところに問題があるんじゃないだろうか。なんか、こういう風に書けばいいんでしょ、みたいななげやり感さえ感じた。
23 脱走 euReka 988
「「すごくヘンテコな気分だね。生きてるって」」っていうのが陳腐だなあ。
確実にさいご、ゼロが来るんだろうなって思ってたら、ゼロがなくて、最後のところがゼロを象徴するのかな、って思ったんだけど、そうは読みきれとれなくて、なんだか煩悶でした。
ただ、数字が続くんだろうな、って予定調和的な進行はアイディアで、わくわくした感じはしました。いいアイディアだなあって。ただeuRekaさんも、イメージ先行で、文章で魅惑を感じさせる人ではないので、いつもそこが残念。言葉が、いつもうわっつらだと思ってるんですよねえ。
24 オレのセリフだ!! おひるねX 999
「抜き身の白刃のごとき金属バット」はないでしょう。抜き身じゃない白刃もないし、せめて、抜き身の白刃のように持った金属バット、だと思う。
なんか思いついたままを書いた感じがして、なげやりな感じもしますし、これが限界な感じもしますし、どうしようもないなという感じも。うむ。今期いちばんダメ。
25 輪 高橋唯 999
おもくるしいなあ。高橋さんはうまいと言われるんだけど、私はそう思ったことはなく、硬い感じがしていつもならない。美感の問題かもしれないけど、漢字というもので世界をとらえ過ぎていて、漢字とはつまり意味であって、平仮名とは音であって、つまり漢字は意味であるぶん読者に意味を理解させる速度が速くて、平仮名は音>漢字>意味って変換になるからちょっと遅くなる、っていうようなギミックを一切理解しようとしないしそんなもの使う必要がないと考えていらっしゃるんじゃないのか、と思うからです。「箒」と「ほうき」の意味伝達の速度や、それによる読者の生理的変化を鑑みて書いているのかな、と疑問に思うところが、うまいとは言えない理由です。
ただ、簡潔なところはうまいなあ、と思うのですが、その先として、読者の生理ってものがあると考える私としては、そこまでうまいとは思わせないのです。
あと、イメージの連携はそつなく上手だとは思います。
26 ビームズ るるるぶ☆どっぐちゃん 999
多少なりとも本人を知る私としては、やっぱりデスクトップミュージシャン、音源制作者としてのるるるぶさんの方が存在感として強く、それを前提に考えると、やはり強烈な繰り返すと、似通ったメロディないしリズムパターンが先行したメロディないしリズムパターンを追いかける、そして最後にまた最初に戻るっていうループを感じるのですよね。何度か直接言っていますが、音源制作の方が才能あります。短編1000字という範囲ならばという条件付きですが。
ぶっちゃけ作品提出のサイクルが文学フリマのタイミングと同期されているのですが、であればその時の文フリ出品作の余技でしかないのだろうなあと思う次第。
はじめまして。少し確認させてもらいますね。
まず、
〉うまいと言われる
という部分ですが、実際のところ賛否両論のようです。
次に、
〉硬い感じがしていつもならない。
ということですが、前期までの僕の話には当てはまらないようですよ。まあ個人の感性次第ですが。
〉漢字というもので世界をとらえ過ぎていて
漢字について、たとえば「携帯電話」と「箒」は字数は違えど意味は一つでしかなくて、この場合「携帯電話」のほうがより平仮名に近いといえますよね。今期は「箒」のような使い方が多かったために「漢字で世界をとらえ過ぎている」と感じたのでしょう。
ところで僕が千字の話を書くときはだいたい布団の中で、枕元に置いた書き損じのコピー用紙にボールペンで書きつけているんですが、「ほうき」の他に「さえずり」「おびただしい」「まだら」なども、そのまんま平仮名で書いていたりします。
最後、整えるときに雰囲気とかバランスとか目的などとすり合わせた結果、漢字に直しただけです。違う話であればこれらが平仮名になることもあるでしょうね。
気になったので一応調べてみたんですが、「輪」における漢字の割合は36%で単純に考えて約360字でした。参考までにエム✝ありすさんの投票された作品は、
『綺羅』:38%、海辺の六助:37%、ふとん幻想:34%
以上のことから、
〉おもくるしいなあ。硬い感じがしてならない。 "「箒」のような使い方をされた漢字が多くて読みにくい。" ただ、簡潔なところはうまいなあ。あと、イメージの連携はそつなく上手だと思います。
という形になりますが、この形はエム✝ありすさんにとって問題ありませんか?
問題なければこれでいただきます。
もう一度読み返してみました。
確かに漢字がおもくるしさを出しているよりも、別の原因があるように思います。申し訳ない。
なので、下記で構いません。
〉〉おもくるしいなあ。硬い感じがしてならない。 "「箒」のような使い方をされた漢字が多くて読みにくい。" ただ、簡潔なところはうまいなあ。あと、イメージの連携はそつなく上手だと思います。
〉 という形になりますが、この形はエム✝ありすさんにとって問題ありませんか?
〉
〉 問題なければこれでいただきます。
ただおもくるしい原因はなにか、ということについては解決されておらず、それでなんでこんなおもくるしいのかと考えたのですが、それはつまり、作品そのものの文章がかもしだしている重苦しさなんだろうと思い、たとえばそれは、主語+述語の単文が少なく、複文、ないし単文だとしても修飾部が多い文体だからなのだろうな、と思いました。あと二字熟語。
漢字使用率だけでは、漢字が多い少ないってのは分からないだろう、と思います。多い少ないと書くのか、おおいすくないというのか、多少と書くのか、多寡と書くのか、そういったワードの選び取り自体に、読みにくさが沈殿しているのかなって思いました。
読ませる糸口がすくないっていうのが思うところかもしれません。小説世界が一戸建てみたいなものだとしたら、玄関から厳重な警備に守られて堅牢で、はいりづらい。
てきとうにギミック重ねてそれなりのものを取り繕ったのは紛れもない事実なので、仰る通りです、って感じなのですが、
え、「ふとした瞬間」って、ないの? 俺は毎日のようにあるんだけど……、え、普通はないものなの……、と疑問の前にショックだったりするんですが、え、皆さんには、ないんですか?
〉てきとうにギミック重ねてそれなりのものを取り繕ったのは紛れもない事実なので、仰る通りです、って感じなのですが、
〉え、「ふとした瞬間」って、ないの? 俺は毎日のようにあるんだけど……、え、普通はないものなの……、と疑問の前にショックだったりするんですが、え、皆さんには、ないんですか?
「ふとした瞬間」の一言で済ませてよくよく考えていないだけで、ほんとうは「ふとした瞬間」なんてない。手際良くなにも考えずに処理した結果が、「ふとした瞬間」だと思います。
わざわざ再読させてしまって、こちらこそ申し訳なく思います。
ところで、エム✝ありすさんの感じた重苦しさや読みにくさについては貴重な意見としてありがたくいただきますが、はいりづらいというのはいただけませんな。
今期の「輪」を簡単に説明すると、
「後輩に女を寝取られて部屋で悶々とする男」をありありと、かつ面白おかしく書いてみた。
という話ですので、そんなに警戒しないでください。実は馬鹿なことばかり書いたんですよ。
それではあらためて、感想どうもありがとうございました。
〉 わざわざ再読させてしまって、こちらこそ申し訳なく思います。
でもはいりづらかったんですもの。再読したらおもしろいなーって思って、なんか反省しました、自分の初見嫌いみたいなのを。
〉 ところで、エム✝ありすさんの感じた重苦しさや読みにくさについては貴重な意見としてありがたくいただきますが、はいりづらいというのはいただけませんな。
〉 今期の「輪」を簡単に説明すると、
あー、と思いました、気付かなかった。面白く書いてみた、というのであれば、そこは文を読み下すのに追われて、話の筋を追えなかったのがそれが私の読み方だったのかな、と思いました。
〉「後輩に女を寝取られて部屋で悶々とする男」をありありと、かつ面白おかしく書いてみた。
〉 という話ですので、そんなに警戒しないでください。実は馬鹿なことばかり書いたんですよ。
私的な日常生活とそこに心情を絡ませているという構成なのに、「囀り 玉座 箒 金槌」など、あまり日常に用いない単語や漢字を使っているところに、とっつきにくさを感じることがあるかもしれないと私は考えました。日常からこの漢字や単語に、少し飛躍があるかもしれません。
http://tanpen.jp/11/17.html
↑普段あまり使わない単語や漢字が、効果的に使われている作品だと思います。
>エム✝ありすさん
いえいえ、はいりづらくていただけないのは僕の都合ですよ。掴み逃してしまった方をもう一度掴む、ということを今後の課題に加えます。
文中でいろいろ言葉を重ねてはいますが、頭に描かれるイメージの最終的な部分は読み手に丸投げしましたので、それも読みにくさ・わかりにくさなのかもしれません。
筋なんて無きに等しいのでほとんど説明しなかったのですが、それも読みにくさに繋がったのでしょうね。
>長月さん
はじめまして。
比較対象に地下鉄を持ってきてもらえるなんて。これは嬉しいです。
よくよく考えていない状態をそう表現して何の不都合があるのだろうと気になったのですが、多いのですか。
自分には全く違和感がなかったので指摘してもらえて助かりました。自分の感性だけで言葉を操っていると全く気づけないので。ありがとうございます。今後なるべく意識してみます。
〉 文中でいろいろ言葉を重ねてはいますが、頭に描かれるイメージの最終的な部分は読み手に丸投げしましたので、それも読みにくさ・わかりにくさなのかもしれません。
〉 筋なんて無きに等しいのでほとんど説明しなかったのですが、それも読みにくさに繋がったのでしょうね。
私はそんな風に思わないですけどね、別にすじがあろーが丸投げされよーが構わない。
やっぱり、長月さんの「囀り 玉座 箒 金槌」とか、修飾語の多さなんじゃないのかなあと思いました私は。
読みやすさやわかりやすさと、書きたいことの両立は難しいですね。
ただ、やりたかったことにまだ至れていないので、もう少し追求します。
でも僕の場合、わかりやすさや読みやすさは必ずしも評価に直結していないという、微妙な経験がありまして。
これからも頑張りますが、読みにくかったら申し訳ないので、せめて損はさせない程度の面白さを入れていきたいなと。
とはいえ所詮、僕が面白いと思っているだけなので、意味がわからない部分も多いとは思いますが。
ところで、今後のためにも是非聞かせて欲しいことがあって、「輪」のなかで意味のわからない部分てありました?
今期はさすがに詰めすぎたと思うので、ちょっと線を引いておきたいんですよ。
〉 でも僕の場合、わかりやすさや読みやすさは必ずしも評価に直結していないという、微妙な経験がありまして。
〉 これからも頑張りますが、読みにくかったら申し訳ないので、せめて損はさせない程度の面白さを入れていきたいなと。
〉 とはいえ所詮、僕が面白いと思っているだけなので、意味がわからない部分も多いとは思いますが。
「わかりやすさや読みやすさ」って言うんじゃなくて、正確に言うと、読みたくないっていうのが近いかもしれないです。なんかちんたらしてるんですよ、冒頭から。
「けたたましい鳥の囀りに呼び起こされ、眠気覚めやらぬままカーテンを開け放って見上げた空は群青色だった。」
要するに「空は群青色だった」ですよ。それに、私が起こされ、カーテン開けて、見上げた、っていうアクションがくっついている。これが、読みたくないて思わせるところなんだろうなと思います。
〉 ところで、今後のためにも是非聞かせて欲しいことがあって、「輪」のなかで意味のわからない部分てありました?
〉 今期はさすがに詰めすぎたと思うので、ちょっと線を引いておきたいんですよ。
主語どれだっけ、というのはよくありました。それからシーンの移動が改行なしに行われるので、どの場面の話しなのか混乱します。ただ、行きつ戻りつすれば文意は分かりました。
意味わかんない、てのはなかったんですが、例えばどういうところで意味わからなくなるだろうな、て想定されたのですか?
要は膨らますにしても、もうちょっと上手くやれよってことですよね。手厳しいなー。
冒頭に関してシンプルにすると、
「午前五時。ようやく寝ついたところで、騒ぐ鳩に起こされた。携帯電話には真由からの着信はなく、失意の中で見上げた空には、ありもしないもやがかかって見えた。」
という感じになるのかな。
でもこれだと、感情の乖離というか、苛立ちつつも冷静であろうとする男の心理がいまいち描けていないように思うんですよ。
一律してこういう取捨をおこなっていて、先達に挑戦していますので手は抜けなかったというのが言い分です。
意味わからんという指摘について、
・黄昏時の朝もや(朝もやは日が出てから立ち上りませんか?)
・卵の文様(そんな卵を見たことがありません)
・「鳩+卵」と「狸−生皮」からの「天秤」という流れ(あくまで僕個人の感覚です)
飲めないのはおそらくこのあたりかなと。
意味わからん場合って、読み手の解釈に委ねる形になるんですが、話の方向性をがっちり決めてあるので、「男の目にはそう映った」と捉えてもらえるだろう、という期待をしてました。
でも、これらは、興味を持ってくれた方が再読したときにちょっと楽しくなってくれればいいな、というものです、と添えておきます。
意味なんておいといて、卑屈で攻撃的なのって楽しいよねっていう話なので。
〉 冒頭に関してシンプルにすると、
〉「午前五時。ようやく寝ついたところで、騒ぐ鳩に起こされた。携帯電話には真由からの着信はなく、失意の中で見上げた空には、ありもしないもやがかかって見えた。」
〉 という感じになるのかな。
〉 でもこれだと、感情の乖離というか、苛立ちつつも冷静であろうとする男の心理がいまいち描けていないように思うんですよ。
〉 一律してこういう取捨をおこなっていて、先達に挑戦していますので手は抜けなかったというのが言い分です。
うーん、私だったらこの話の内容だったら、冒頭はこう書きますね。
「鳥の鳴き声に起こされる格好になった。後輩の男とセックスしている女からは連絡がなかった。私はその女が好きだった。いらついた。いらついていると、いらついていること自体が彼氏彼女らに負けたことになるんじゃないかという不安におそわれた。つとめて冷静になろうとした。しかしやっぱりいらついた。腹いせに動物を虐待してやることにした。朝だった。」
なんか書いていて思ったんですけど、書く側の生理としても、高橋さんと私の感覚は違うんだなあと思いました。たとえば「眠気覚めやらぬまま」なんて情報は、地の文で説明してやったほうが早いと思うところとか。
〉 意味わからんという指摘について、
気にしてなかったです。
〉・卵の文様(そんな卵を見たことがありません)
〉・「鳩+卵」と「狸−生皮」からの「天秤」という流れ(あくまで僕個人の感覚です)
「鳩+卵」は、輪ってタイトルと関係してるのかな。狸である必然性は感じなかったですけど、深く考えていませんでした。天秤は、自分の中のバランスをとっているのかなあと。
気持ちいいくらいまっすぐですね。ちょっと真似できないな。
これでは輪は相当読みにくかったでしょうね。
前期今期と良い評価をもらえたので、来期は両方のいいとこ取りしようかと思っていたんですが、きっと短文でわからせるような書き方にはならないので、それだとありすさんからの票は期待できないんですよねー。どう考えてもふとんや綺羅の方向にはならなそうだし。
ところで来期も読まれます?
〉 前期今期と良い評価をもらえたので、来期は両方のいいとこ取りしようかと思っていたんですが、きっと短文でわからせるような書き方にはならないので、それだとありすさんからの票は期待できないんですよねー。どう考えてもふとんや綺羅の方向にはならなそうだし。
単純に文が短いかどうかって問題ではなくて、修飾部の無用な長たらしさが問題だと思います。
〉 ところで来期も読まれます?
読むと思いますよ。
それから三浦さんが書き換えやってましたよ。
ついったのidがmiuraaruimの人です。
〉単純に文が短いかどうかって問題ではなくて、修飾部の無用な長たらしさが問題だと思います。
問題かどうかはさておき、言いたいことはわかってますから大丈夫ですよ。
〉それから三浦さんが書き換えやってましたよ。
〉ついったのidがmiuraaruimの人です。
読ませていただきました。
ありすさんはいかがでした?
〉〉それから三浦さんが書き換えやってましたよ。
〉〉ついったのidがmiuraaruimの人です。
〉
〉 読ませていただきました。
〉 ありすさんはいかがでした?
うーん。「こなした」な、って感じがしました。「用件をこなした」って感じが。
ただ、スピード感は三浦さんのほうが良かった。
お邪魔いたします。
〉〉〉それから三浦さんが書き換えやってましたよ。
〉〉〉ついったのidがmiuraaruimの人です。
〉〉
〉〉 読ませていただきました。
〉〉 ありすさんはいかがでした?
〉
〉うーん。「こなした」な、って感じがしました。「用件をこなした」って感じが。
〉ただ、スピード感は三浦さんのほうが良かった。
というやりとりに出て来たやつです↓
「輪」
死んだと焦ったはずが寝汗まみれの不快感に打ち消されてしまう。ひどい夢だったのは確かなんだが。羽ばたきのしなるような音にぞっとしてカーテンを開け放つと、空色以上に青色な朝靄に複数の鳥が闊歩している。ぎゃーすぎゃーす煩いのに腹を立ててベランダへ乗り出すと、野良仕事に繰り出す老婆が砂利砂利いう音を立てて歩いていくのを見た。ぎゃーすぎゃーすがベランダの端に避難したのを見て、糞と羽根まみれの巣を箒で叩き壊した。途端にぎゃーすぎゃーすは鳩らしい猫なで声で抗議をはじめたが、俺はパックに入った市販品のように身綺麗な卵が割れて黄色く平たい舌を出す様に見蕩れていた。
粉々にした巣を散水によって排水溝へ追いやると、こちらは何故か藁屑糞尿をまとった無傷の卵を回収して丹念に水洗いする。ケータイが明滅しない。ほとんどピンポン玉のようなまあるい卵は真由のほっぺたの色をしていた。真由のあそこをのぞきこむ市原。静かだと思ったら消えてなくなっていた鳩が。さっきの老婆が物干竿に狸を吊っている。前足を下に。
卒業アルバムやらくたくたのいくつもの外野手グローブやら小中の教科書ノートやらの沈殿した腐海と格闘した結果、遂に目標の天秤を押入れからサルベージしおおせると、さっきの卵を片方の皿に戴く。ピンセットを使ってハート型の分銅を反対の皿に一枚一枚、願を掛けるように置いていく。老婆は、くたばった狸に金槌で何かをすると、今度は包丁に持ち替えてその先っちょを狸の股の間でちょろちょろ動かしてみせた。真由は入口で焦らすと可愛い顔をするといふ。天秤はそよがない。裂け目に挿し込んだ指を下へとひっぱり、ぎしぎし竿をあえがせて皮を剥いでいく。天秤がそよぎません。中からは白濁した液体まみれの裸の真由が現れる。震えている。俺の手も。分銅が尽き、出せなかった恋文三通、真由がくれたフリスク二粒を机の奥からひっぱりだしてきて載せる。……そよがない! 俺は覚悟した。ケータイを奉げるのだ。そして……そよがない――
片方の皿に腰掛けたが結果は同じだった。
老婆が、調理済みの真由…じゃなかった狸の肉をごちそうしてくれた。オムレツのように柔らかく、玉子のような味が口にひろがった。腹がふくれると、俺の座っていた皿が少しだけ沈んだ。俺は老婆にもっと振舞うよう命令し、八時間たべつづけ、腹が割け、鳩についばまれ、もちろん死んだのだった。きっと夢のなかで。
高橋唯さんの「輪」は、今期一番好きな作品でした。私なら冒頭をどう書くだろうかと考えていたら、だったら全部書いちゃえというそんな出来心からなのでオリジナルが不満だとか批評的に書き換えたとかそういうことはまったくありません。と一応。あと、書いてて楽しかった。
〉 では、ありすさんも改変されてみません?
改変は何度かやってみたことはあるんですが、しんどいのでやりません。やっぱり個々の世界観があるもので、そこに踏み行って。かつそれを自分のものにするのはしんどいです。
〉オリジナルが不満だとか批評的に書き換えたとかそういうことはまったくありません。と一応。あと、書いてて楽しかった。
まさか。そんな風には思いませんし、そうだとしてもなんの問題もありません。とこちらも一応。
僕も書いていて楽しかったのでよかった。
わらさん、エム✝ありすさん、こんにちは。「ふと」をめぐる議論はとうに終わってしまったのかもしれませんが、とても興味深い話題に思えたので、ひとことつけ加えておきたいと思います。
エム✝ありすさんはすでにご存知かもしれませんが、「ふと」という言葉のはらむ意味については、多和田葉子という作家が「「ふと」と「思わず」」というエッセイの中で、短いけれど本質的な考察を加えています(青土社刊『カタコトのうわごと』所収)。多和田葉子は日本語と同様にドイツ語でも小説を書き、評価されている作家です。
多和田によれば、「ふと」や「思わず」に相当する単語はドイツ語には存在しないとのことで、「日本語を書く時に、必要以上にこのような単語に頼っていた」自分を再認識するとともに、それらの言葉の意味を徹底的に考え抜くことができたよかった、という意味のことを述べています。
しかし、では「ふと」は普遍性を持たない、まやかしのレトリックに過ぎないのかというと、そんな安易な結論に一足飛びに飛びつくわけでもないのが、この作家の面白いところです。「ちょうどそちらに目を向けると、その時、」とか、「全く偶然に、」とか「気がつくと、」など、独和辞典に載っているさまざまな文例に異を唱えながら、多和田は「ふと」の意味をめぐる内省へと沈んでいきます。詳細はエッセイの本文に譲りますが、例えば、過去の出来事を語っている時に「ふと」という言葉が現れると、あたかも時制が現在に切り替わったかのように、「描かれる対象が認識の現在に連れ込まれる」。それを「作者が自分の世界に吸い込まれていく魔の瞬間」だとさえ、多和田は言い切ります。
これはもう、ほとんど現象学的と言いたくなる省察ですが、僕はひとつの言葉をここまで突きつめて考えようとする多和田の姿勢に、共感します。
小説を書きながら、普段何気なく使っている言葉を前にして、ふと違和感が心を横切った時は、「ふと」立ち止まってみること。その言葉をまるで外国語ででもあるかのように見つめなおし、その言葉がどんな意味を持つのか、なぜ違和感を抱くのか、その言葉をほかの言葉にどう置き換えることができるのか、考えてみること。それは、小説を書く人間にとっていいトレーニングになると思います。最終的に「ふと」を使うにせよ、使わないにせよ、そうした考察の積み重ねが、僕たち一人一人の書き手としての固有のモラルを形作っていき、そのモラルは、最終的には、その書き手が書く小説の「声」を決定するのだと、僕は考えています。
かく言う僕にも、「やがて」とか「しばらくして」といった言葉を、頻繁に使ってしまう悪癖があります。特に、文字数の制約が厳しい「短編」では、時間の経過を簡単に表すことができるこうした言葉は、便利です。それから、「突然」や「不意に」も、場面の転換をお手軽に呼び込める魔法の言葉として、頼ってしまいがちです。
内心、忸怩たる思いなのですが、こうした言葉の自動性に依存してしまうことは、実は、小説の中で時間の流れや切断を作り出していくための努力を、たやすく放棄してしまうことにほかなりません。それは書き手にとっての堕落でしょう。「やがて」や「突然」という語を避けようとすれば、時に大きな回り道を余儀なくされることもあるし、文体の自然な流れを放棄し、あえて生硬さを引き受ける必要が出てくることもあります。言葉の経済性やリーダビリティと、その言葉の持つ強度が必ずしも一致するわけではないことは、大江健三郎や中上健次、古井由吉の小説を読んでも明らかです。
ちなみに、僕が今期、高橋唯さんの「輪」に深く感心したのは、この作者がこうしたお手軽な言葉たちの安易な誘惑に抗い、「手際良くなにも考えずに処理」することをかたくなに拒絶しながら、ただ描写の力によって小説内の時間を流れさせ、場面を次々に切り開こうとしているからです。そのような意味で、エム✝ありすさんと同様、高橋唯さんもまた、僕の目には、モラリストとして映っています。
ではまた。
こんばんは。
話を引き継いでいただいていてうれしいです。
「ふと」という言葉に反射的にいちゃもんをつけたのですが、この問題はちょっと自分も面白そうだなと思っておりました。
友人知人に「ふとした瞬間」はあるのか、と投げかけたり自問自答していたのですが、私にとって「ふとした瞬間」と許せるのは、たとえば自分が予想だにせぬタイミングで殴られた、という状況でした。これは想定外なので「ふとした瞬間」だなと。
わらさんが使った「ふとした」に過敏になった自分の言葉選び感覚というのが、結局、人間の言葉というのはいいかげんな認識自動処理に基づいたものなんだろ、っていう不満からきてるんだろうな、と思った次第です。
プラス、自分はよく文体が翻訳調といわれるので、そういう部分も関係しているの館と思いました。
再び、でんでんです。コメントをありがとうございました。
〉私にとって「ふとした瞬間」と許せるのは、たとえば自分が予想だにせぬタイミングで殴られた、という状況でした。これは想定外なので「ふとした瞬間」だなと。
思わず吹き出しそうになりましたが、面白い着想です。
僕にとっては、「ふとした瞬間」とは、たぶん、仕事を片づけた後や、電話を切った時、プラットホームで電車を待っている時、などに訪れる気がします。つまり、意識がそれまで受けていた拘束から開放され、次に向かうべき対象を失ったまま、つかのま空白の状態になった時、「ふと」は訪れるのだ、と言えるかもしれません。
無防備な状態になっている意識の前に、思念や事物が、急に立ち現れる。ぼんやりしていた意識が、あらためてその思念や事物をとらえ直そうとして、かすかに、ほんのかすかに、身構える。…そんなニュアンスをはらんだ言葉なのではないかな、と感じています。
無防備な意識が不意打ちされる、という意味では、エム ありすさんの「いきなり殴打される」感覚と、そう遠いものではないのかもしれない、と思いました。
〉人間の言葉というのはいいかげんな認識自動処理に基づいたものなんだろ、っていう不満からきてるんだろうな、と思った次第です。
「自動処理」という言葉こそ、僕が言いたかったことの核心を突く言葉です。
「ふとした瞬間」があるか・ないかと問われたなら、僕はわらさんと同じ意見で、少なくとも僕にはある、と答えるでしょう。しかし、(これは「ふと」に限ったことではなく、)認識の「自動処理」にまかせ、本当はもっと慎重に掘り下げてみるべき言葉までを轢き殺しているんじゃないか、という思いに、たびたび考えこんでしまいます。
僕は大江健三郎という作家を敬愛していますが、大江もまた、「翻訳調」と言われながら、言葉ひとつひとつを定義しなおすかのような文体をつくりあげてきたのでした。
周囲を見回せば、「自動処理」された言葉はこの世界にあふれかえっているように思います。「ふと」のように繊細なレベルから、「透き通るように青い空」、といった紋切り型の表現まで、言葉を選びとろうとするわれわれの前に、無数の選択肢が立ちはだかっています。言葉を経済効率に従って「自動処理」していくことの誘惑から、なんとか身を引きはがすようにして、書き続けるしかありません。
…終わりの方は、ひとりごとみたいになってしまいました。
〉 無防備な状態になっている意識の前に、思念や事物が、急に立ち現れる。ぼんやりしていた意識が、あらためてその思念や事物をとらえ直そうとして、かすかに、ほんのかすかに、身構える。…そんなニュアンスをはらんだ言葉なのではないかな、と感じています。
〉 無防備な意識が不意打ちされる、という意味では、エム ありすさんの「いきなり殴打される」感覚と、そう遠いものではないのかもしれない、と思いました。
近しいと私も思います。
要するに「ふと」を無防備な状態ってところは共通してるんですよね。ただ、私は無防備な状態っていうのはない、ほんとは防御しているのに、それを意識してないだけだ、っていう。でも、殴られた、なんていうのは予測できないから、無防備だと。ただ、これも「ふと」なんて言い表せないようになるかも、ってちらっと思いますが。
〉 周囲を見回せば、「自動処理」された言葉はこの世界にあふれかえっているように思います。「ふと」のように繊細なレベルから、「透き通るように青い空」、といった紋切り型の表現まで、言葉を選びとろうとするわれわれの前に、無数の選択肢が立ちはだかっています。言葉を経済効率に従って「自動処理」していくことの誘惑から、なんとか身を引きはがすようにして、書き続けるしかありません。
極端にいえば、「声に出して読みたくない日本語」だけど伝わる文章が書きたいなと思います。口語の音声的な文章は、自動処理された文章は、ケータイ小説なんかに顕著に表れていて、それはそっちが非常に優れてやっているから、違うことをしないとな、とか思います。
小説の文章が、効率によって造られたら、単純に面白くない。ただでさえ、人類あんま変わってなくて面白くないのに。
〉極端にいえば、「声に出して読みたくない日本語」だけど伝わる文章が書きたいなと思います。口語の音声的な文章は、自動処理された文章は、ケータイ小説なんかに顕著に表れていて、それはそっちが非常に優れてやっているから、違うことをしないとな、とか思います。
同感です。ちょっと脱線しますが、ついでに言うと、「声に出して読みたい日本語」っていうフレーズには、「誰が読んでも美しいと思う日本語ってあるよね」と言いたげな、「国民文学」の称揚みたいな厭らしさがあって、違和感を拭えずにいたものでした。
エム✝ありすさんの言葉を読み返していて、「…だけど伝わる文章」という点こそが、難しく・重要なことなのだろうな、と思いました。
リーダビリティを犠牲にすることを厭わず、「音声的な」言葉の流れにもはむかいながら、なおかつ、外部へと開かれた文章であり続けること。どうすればそういう離れ業をやってのけることができるのか、手がかりが全然つかめないまま、試行錯誤を続けています。
例えば、コーマック・マッカーシーのような、頑固な、決して読みやすくはない文体を持った作家の小説が、たくさんの読者を獲得していることには、驚かずにいられません。
目指すものがあまりにも遠くにあるので、意気消沈することも一度や二度ではありませんが、でも、これは確かに一生を賭けてとりくんでみる価値のある事業だと、今回、あらためて思った次第です。
〉 同感です。ちょっと脱線しますが、ついでに言うと、「声に出して読みたい日本語」っていうフレーズには、「誰が読んでも美しいと思う日本語ってあるよね」と言いたげな、「国民文学」の称揚みたいな厭らしさがあって、違和感を拭えずにいたものでした。
わたしははっきりきらいですね、「「声に出して読みたい日本語」」。ヴィレッジヴァンガードで本買うみたいに、物の善し悪しセレクト代行みたいな商売はきらいです。
〉 エム✝ありすさんの言葉を読み返していて、「…だけど伝わる文章」という点こそが、難しく・重要なことなのだろうな、と思いました。
〉 リーダビリティを犠牲にすることを厭わず、「音声的な」言葉の流れにもはむかいながら、なおかつ、外部へと開かれた文章であり続けること。どうすればそういう離れ業をやってのけることができるのか、手がかりが全然つかめないまま、試行錯誤を続けています。
〉 例えば、コーマック・マッカーシーのような、頑固な、決して読みやすくはない文体を持った作家の小説が、たくさんの読者を獲得していることには、驚かずにいられません。
〉 目指すものがあまりにも遠くにあるので、意気消沈することも一度や二度ではありませんが、でも、これは確かに一生を賭けてとりくんでみる価値のある事業だと、今回、あらためて思った次第です。
なんか意味わかんないけど気持ちがいいとか、訳わかんないけど楽しい、っていうのはなんなんですかね。
ただ、たぶんこういうのは、量をこなすことで生まれてくるもんなんじゃないのかな、と思います。考えなくても考えてる状態になるまで、考える、っていうやつじゃないのかなと。
〉考えなくても考えてる状態になるまで、考える、っていうやつじゃないのかなと。
無意味の世界に自閉するのでなく、意味と無意味の間に橋渡しをすること、が必要なのだろう、と漠然と考えています。媒介すること・架橋することは、小説書きの果たすべき使命みたいに感じます。大袈裟でしょうか。
ともあれ、口当たりのいい「テーマ」に要約しきれないところまで言葉を酷使し続けるためには、まさに、考え抜く必要があると僕も思います。自然発生的になしとげられることではない、と考えながら、自分を励まします。自分がすべきことと現にやっていることの間の途方もない距離に僕は絶望しますが、かといって、口をつぐんだら負けです。
お互いの健闘を祈りつつ。
〉〉考えなくても考えてる状態になるまで、考える、っていうやつじゃないのかなと。
〉
〉 無意味の世界に自閉するのでなく、意味と無意味の間に橋渡しをすること、が必要なのだろう、と漠然と考えています。媒介すること・架橋することは、小説書きの果たすべき使命みたいに感じます。大袈裟でしょうか。
〉 ともあれ、口当たりのいい「テーマ」に要約しきれないところまで言葉を酷使し続けるためには、まさに、考え抜く必要があると僕も思います。自然発生的になしとげられることではない、と考えながら、自分を励まします。自分がすべきことと現にやっていることの間の途方もない距離に僕は絶望しますが、かといって、口をつぐんだら負けです。
〉
〉 お互いの健闘を祈りつつ。
なんにも考えずに立ったり座ったりできるわけで、それとおんなじ要領で小説も書くんだと思います。だから、量。
〉だから、量。
うむ、量。新しい長編小説にとりかかる時が来ました。また、この先一年か二年、言葉の中に潜って、小説にまみれて過ごすことになります。時々、「短編」に息継ぎに来ます。溺死してなければね。
では、グッドラック。エム ありすさんのもう一つのペルソナにも、よろしくお伝えください。
〉〉だから、量。
〉
〉 うむ、量。新しい長編小説にとりかかる時が来ました。また、この先一年か二年、言葉の中に潜って、小説にまみれて過ごすことになります。時々、「短編」に息継ぎに来ます。溺死してなければね。
〉では、グッドラック。エム ありすさんのもう一つのペルソナにも、よろしくお伝えください。
ペルソナっていうか、名前変えただけですよ。
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