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〉極端にいえば、「声に出して読みたくない日本語」だけど伝わる文章が書きたいなと思います。口語の音声的な文章は、自動処理された文章は、ケータイ小説なんかに顕著に表れていて、それはそっちが非常に優れてやっているから、違うことをしないとな、とか思います。

 同感です。ちょっと脱線しますが、ついでに言うと、「声に出して読みたい日本語」っていうフレーズには、「誰が読んでも美しいと思う日本語ってあるよね」と言いたげな、「国民文学」の称揚みたいな厭らしさがあって、違和感を拭えずにいたものでした。

 エム✝ありすさんの言葉を読み返していて、「…だけど伝わる文章」という点こそが、難しく・重要なことなのだろうな、と思いました。
 リーダビリティを犠牲にすることを厭わず、「音声的な」言葉の流れにもはむかいながら、なおかつ、外部へと開かれた文章であり続けること。どうすればそういう離れ業をやってのけることができるのか、手がかりが全然つかめないまま、試行錯誤を続けています。
 例えば、コーマック・マッカーシーのような、頑固な、決して読みやすくはない文体を持った作家の小説が、たくさんの読者を獲得していることには、驚かずにいられません。
 目指すものがあまりにも遠くにあるので、意気消沈することも一度や二度ではありませんが、でも、これは確かに一生を賭けてとりくんでみる価値のある事業だと、今回、あらためて思った次第です。

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