第95期決勝時の投票状況です。16票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
3 | 灯りの下 | 八代 翔 | 6 |
22 | 国語便覧 | エム✝ありす | 6 |
4 | オズワルド | 志保龍彦 | 3 |
- | なし | 1 |
いやあみにつまされます。共感同感により一票です。(この票の参照用リンク)
旨いね
美味しい
単純で
分かりやすい
美味しい(この票の参照用リンク)
読み終えて一息ついた直後に鳥肌が立ちました。
美しくてシンプルで鋭く見えるのに、幾つもの層でもって構成されている。
読後感、最高です。(この票の参照用リンク)
小学生文体でここまで表せるとは、なゆらにしても、
投票の解説ですごさにきづきました。ハートうぉいみんぐ。
なにおおげさに褒めてんの?うわ、倒置ソング鳥ロジー。
来期は、鳥物で。これは来るよ。猫マンガの後に。あいつらのイチャツキかたは、もう!ハイハイ、私がわるうございました、なかむつまじいてよかッスネ!(この票の参照用リンク)
シンプルに書かれているから伝わる感覚がとてもよかったです(この票の参照用リンク)
芸術性が豊かで、とても楽しめました。(この票の参照用リンク)
国語便覧は予選でも推したし、3作品でいちばん面白いと思いました。
オズワルドは、謙虚というのが「私」からの評価でしかないところが物足りない気がしました。
灯りの下は何だかよく分かりません。(この票の参照用リンク)
『灯りの下』はつまらなかった。
「出版社まで出向いてはじめて雑誌発表が誤りであったことを知らされる」というおよそ現実ではありえないような出来事が前提となっているため、読者はまず「ああこれはそういう物語なのね」と話の筋を飲むところから始めなければならないのだが、そういった明らかに嘘のエピソードを受け入れさせるための仕組みに乏しい。
ありえない舞台設定のうえで薄っぺらな描写の人物が挙動する、という、小説の枠組みしかないような作品だった。
『国語便覧』はおもしろかった。
こちらも、もちろん嘘の物語であるが、嘘をふくらませるための仕組みが至るところに仕掛けられていて、たのしめた。(この票の参照用リンク)
他の二作は几帳面に真面目書かれてはいるが、このくらい野蛮さがほしい。野蛮であるためにどれほどの周到さが必要であることか。(でんでん)(この票の参照用リンク)
普段どんな風に会話をしているか考えてみると、ああ、とか、うん、とか、ええ、とかのようなことばかり言っていて、それじゃあちょっと座りが悪いってんで「なるほど」って言葉をやたらと書いてしまう癖が私にはあるんですが、この作品は「なるほど」の使い方がいい感じだったので、今後は五百文字に一度くらいに留めようと思いました。(この票の参照用リンク)
正直に言うとあまり好きにはなれない作品なのだが、話をずらしてずらしてずらしまくるのがうまいなあと感心する。物語を駆動させる熱をひしひしと感じるのに、そのすぐそばで逐一冷却処理される。読み終わったあと、損した気分にも徳した気分にもならない。
まあ確かに、あとに何も残さないというのは親切なことかもしれないが。(この票の参照用リンク)
構成力と構造の巧みさ。くぎを使わない建築のような驚きの人間関係を読みました。(この票の参照用リンク)
結論として、「オズワルド」に一票。
「オズワルド」
いささか物足りない気もするが、奈何せん千文字なのだから仕様がない。
ただ、何か“終わらない物語”というか、無間地獄的な印象を受ける。あるいはマッチポンプ的な構造か。
オズワルドが大きくなるにつれ、「私」は小さくなっているのではないか。あるいは初めは寡黙だったオズワルドも、「私」が「黙って食われてや」る際には雄弁に語り出すのかもしれない。
そうしてオズワルドの尻からひり出されたモノが次のオズワルドになり、オズワルドだったものが「私」になり、一つの小宇宙が完結する。
「国語便覧」
「……は人生のようなものです」「……などに意味はありません」という言い草はただの思考停止であって、まさしくすごく低いレベルの意味で“意味がない”ものだ。だが、意味がないようなところにさも意味があるように見せかける言い草や仕草自体が意味なのであって、とすれば、「……は人生のようなものです」「……などに意味はありません」という言い草はひどく意味があるように思えてくる。
だが恐らく「彼氏」にとっては、服を脱がせて初めて知った「寸胴」や「外反母趾」にこそ意味があるのではないか。とすれば「友人」と出逢って初めて意味らしいものに触れた「彼氏」が最後に言う「彼女の人生を幸せにします」というのは、「案外いい話なのかも」と想わせる(たぶん違うのだろうが)。
「灯りの下」
申し訳ないのだが、本作がなぜここまで絶賛されているのか理解できない。
まず、ミスった時点で電話来るでしょう、というか訂正版も刷ってるんだし。というか刷っちゃう前に受賞者にはお知らせ来るでしょう。報道陣が家に押し掛けるような賞だったら「獲れそう」とか著者に逐一情報が来るんじゃないか。
片や「副職」程度に物を書く男と、片や生活を犠牲にして文学に身を捧げる男。誤植が繋ぐ偶然、と仰りたいのかもしれないが、対称関係にすらなっていないような、ひどく宙ぶらりんな印象を受ける。(この票の参照用リンク)
今回は実に面白い決勝だ。
「灯りの下」はひどく素朴で単純。「国語便覧」は乱暴さを感じるほど難解。 「オズワルド」はちょうどその中間。
自分の趣味として、「オズワルド」ぐらいが一番バランスが取れてて好ましかった。
全体的に流れる乾いた雰囲気もいい。(この票の参照用リンク)
予選でも推したので、責任を持って決勝も『オズワルド』に1票、理由をつけて投票させて頂きます。
読むときの楽しみ方の一つに「これはこういうことかな、こういうことを表しているのかな」と想像する楽しみがあると思うのだけど、まず『灯りの下』はまとまり過ぎていて想像があまり膨らまなかった。想像の膨らむ余地を持たせてくれているのは『オズワルド』と『国語便覧』だと思うのだけど、『国語便覧』は物語のモチーフが無駄を尽くした国語便覧であるために、想像を膨らませたところで結局はすべて「無駄」だと否定されるような印象を覚える。そういう意味では読み手としてちょっとおもしろくなかった。
よって、「オズワルドは何を表しているのだろう、僕にとってのオズワルドは何だろう」と、想像を膨らませてもらえた『オズワルド』に1票入れます。(kuma)(この票の参照用リンク)
『オズワルド』
うまくまとめてはいるのですが、途中でくどくどと語り過ぎにも思えました。それによりショートショートめいた印象になっていたのが私にとってはマイナスでした。ショートショートなのが悪いという意味ではなく、(ショートショートとして)うまくオチをつけたという締め方でもないので、好みの問題なのかもしれませんが、もっと謎めかしたほうがよかったのではないだろうかと思いました。
『灯りの下』
受賞したことを本人が雑誌で知る、受賞記事が雑誌に載ってから報道者がやってくる、それが(テレビの?)ニュースになる、ミスによって取り違えられた男二人が偶然同じ道端で同じ雑誌を拾う、その雑誌は相手によって温度を変えることができる、など、作者の(話の展開の)都合による運命や偶然や非現実的な出来事が多過ぎるのではないかと思いました。そうした部分を許容できるような世界観等があるわけでもないようですし。
『国語便覧』
オチのない話だろうと思って読み進めていたらオチがあって驚きました。面白くはあったのですが、ただこの話にそれほどは惹かれず、どうしてだろうと考えたところ、内容がアメリカンジョークの延長に思えたからだろうかと。うまいなとは思うのですが。
私としてはどれももう一つだったので投票としては「なし」ですが、あえて順位をつけるなら『国語便覧』『オズワルド』『灯りの下』の順です。(この票の参照用リンク)