投票参照

第95期決勝時の、#4オズワルド(志保龍彦)への投票です(3票)。

2010年9月7日 1時12分22秒

結論として、「オズワルド」に一票。

「オズワルド」
いささか物足りない気もするが、奈何せん千文字なのだから仕様がない。
ただ、何か“終わらない物語”というか、無間地獄的な印象を受ける。あるいはマッチポンプ的な構造か。
オズワルドが大きくなるにつれ、「私」は小さくなっているのではないか。あるいは初めは寡黙だったオズワルドも、「私」が「黙って食われてや」る際には雄弁に語り出すのかもしれない。
そうしてオズワルドの尻からひり出されたモノが次のオズワルドになり、オズワルドだったものが「私」になり、一つの小宇宙が完結する。

「国語便覧」
「……は人生のようなものです」「……などに意味はありません」という言い草はただの思考停止であって、まさしくすごく低いレベルの意味で“意味がない”ものだ。だが、意味がないようなところにさも意味があるように見せかける言い草や仕草自体が意味なのであって、とすれば、「……は人生のようなものです」「……などに意味はありません」という言い草はひどく意味があるように思えてくる。
だが恐らく「彼氏」にとっては、服を脱がせて初めて知った「寸胴」や「外反母趾」にこそ意味があるのではないか。とすれば「友人」と出逢って初めて意味らしいものに触れた「彼氏」が最後に言う「彼女の人生を幸せにします」というのは、「案外いい話なのかも」と想わせる(たぶん違うのだろうが)。

「灯りの下」
申し訳ないのだが、本作がなぜここまで絶賛されているのか理解できない。
まず、ミスった時点で電話来るでしょう、というか訂正版も刷ってるんだし。というか刷っちゃう前に受賞者にはお知らせ来るでしょう。報道陣が家に押し掛けるような賞だったら「獲れそう」とか著者に逐一情報が来るんじゃないか。
片や「副職」程度に物を書く男と、片や生活を犠牲にして文学に身を捧げる男。誤植が繋ぐ偶然、と仰りたいのかもしれないが、対称関係にすらなっていないような、ひどく宙ぶらりんな印象を受ける。

参照用リンク: #date20100907-011222

2010年9月7日 0時32分15秒

今回は実に面白い決勝だ。
「灯りの下」はひどく素朴で単純。「国語便覧」は乱暴さを感じるほど難解。 「オズワルド」はちょうどその中間。
自分の趣味として、「オズワルド」ぐらいが一番バランスが取れてて好ましかった。
全体的に流れる乾いた雰囲気もいい。

参照用リンク: #date20100907-003215

2010年9月4日 12時21分34秒

予選でも推したので、責任を持って決勝も『オズワルド』に1票、理由をつけて投票させて頂きます。
読むときの楽しみ方の一つに「これはこういうことかな、こういうことを表しているのかな」と想像する楽しみがあると思うのだけど、まず『灯りの下』はまとまり過ぎていて想像があまり膨らまなかった。想像の膨らむ余地を持たせてくれているのは『オズワルド』と『国語便覧』だと思うのだけど、『国語便覧』は物語のモチーフが無駄を尽くした国語便覧であるために、想像を膨らませたところで結局はすべて「無駄」だと否定されるような印象を覚える。そういう意味では読み手としてちょっとおもしろくなかった。
よって、「オズワルドは何を表しているのだろう、僕にとってのオズワルドは何だろう」と、想像を膨らませてもらえた『オズワルド』に1票入れます。(kuma)

参照用リンク: #date20100904-122134


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