第58期決勝時の投票状況です。11票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
19 | メフィストフェレス | qbc | 5 |
16 | 僕と猫 | たけやん | 3 |
18 | きれいな円が描きたい | 三浦 | 3 |
ずっと考えていたのですが、今回はこれに決めました。
三浦さんの作品はすごく好みなんですが、ちょっと綺麗にまとまりすぎているように感じました。
「みやび」のような、こういう風習が持つ暗さが、思ったほど今回重さを出さなかったように感じました。円を書くという題材は素敵でした。
たけやんさんの作品は、あれですね、だんだん無理に話を終わらせようとしない方向へいくようですね。「魚」以前の作品の終わり方がいまいちだなあと思っていたので、あえて話を終わらせないというのは新しいなと思いました。
で、qbcさんの作品ですが、この女の泥臭さが気に入りました。それでいて自分を突き放してみている。あえてこの男とかかわろうとする。リアルだなあと思いました。(長月)(この票の参照用リンク)
予選でも推させて頂いた『メフィストフェレス』と『きれいな円が描きたい』は、甲乙つけがたい作品だと思いました。『メフィスト』はもうこれ以上何一つ足すことはないというくらい完結した印象なのに対して、『きれいな円』は、書いてある事柄の周辺に余情がにじみ出ている感じでした。この佐和美さんなる人の来し方を補って読む時に、味わいが生まれる作品かと思います。
『僕と猫』は一読したときはよくわからなかったのですが、いま改めて作者の過去作品を検索し――『短編』のインデクス機能は特筆すべきですな――前二期の『海辺の食堂』『迎え火』を併せ読んでみて、作者は一つの「光景」を描こうとしているのかなと腑に落ちたような気がしました。小説というのは一般に筋の進展があるものだとされていますけども、一枚の絵のような、静的な表現もあっていいのでしょう。それで「俳句」にたとえた票感想も納得できます。少し基準の違うところで評価しなくてはいけない作品だったと思いました。(海)(この票の参照用リンク)
「きれいな円が描きたい」
冒頭の文が説明的で入りにくいですが、内容がまとまっていて、読む度引き込まれ、深みがある思います。
画用紙とペンじゃなくて、筆と半紙なんかだと個人的にリアリティを感じます。全体的に優しさ感じ、ほっとする作品です。
「メフィストフェレス」
未だ推敲の余地がありますが、テンポが良く、勢いがありました。一瞬でイメージできる。
静と動のように全く違う作品だったで、甲乙つけ難かったのですが、「メフィストフェレス」が好きです。今回迷いに迷いましたので、結果が楽しみです。
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最も刺激的でした。(この票の参照用リンク)
#16「僕と猫」
なぜ“猫”である必要があったのか、わからない。“猫”が例えば“年の離れた弟”ではダメだったのか? 人外の、例えば“ケット・シー”あたりではダメだったのか? つらつらと考えてみたもののやはりわからない。わからない以上、私は推せない。
#18「きれいな円が描きたい」
好みでいえばこの作品なのだけど、「きれいな……」は全体的に印象が薄い。最後に心理描写で終わるため、物語の持つ雰囲気というか空気が昇華し、透明化しすぎて後を引かない。また、解説しすぎの感があり、これまた読後に考える余地を残さない。たぶん私には一年後に題名をみただけでは内容が浮かび上がることはないと思う。
#19「メフィストフェレス」
「きれいな……」とは反対に一年後でも題名だけで内容が浮かんでくる作品。何がそうさせるのか、技術的なことは全くわからないけれど、強いて挙げれば14行〜18行と、最後の一文のインパクトかな。この5行に満たない、峻険な山並みに目を奪われて途中の沼地もどぶ川も一切気にならない。
個人的に「きれいな円が描きたい」と「メフィストフェレス」は対極のイメージ。前者が穏やかで少し不安で可もなく不可もなくまとまっているのに対して、後者は混沌で騒々しく可もあり不可もある。ただ、可が不可を飲み込んでしまっていて不可であることをほとんど気にさせなくなっているので、今回は「メフィストフェレス」に一票。(木瀬のん)(この票の参照用リンク)
qbcさん「メフィストフェレス」は皆さんが書かれているように小説になっていると思う。この話を読んでいると都心で生きるのは大変だな、となんとなく思った。上手下手で投票するならば上手な(現代をうまくとらえている)小説だと思うけど、好きな話ではなかった。
三浦さん「きれいな円が描きたい」は事物の描写と心理描写がうまく絡まりあっていて、はじまりのところなど吉本ばななの「キッチン」を連想させた。うまいと思う。ただ、これは三浦さんの作品群のなかではかぎりなく「セカチュー」(読んだことはないのだけど)的にまとまっている気がする。
たけやんさん「僕と猫」はおもしろく読ませてもらった。まさに机のうえでぼんやりとしている作者の姿が目に浮かぶ。正直なところ予選ではあまり評価されなかった黒田さんの作品やるるるぶ氏、あらのさんほどの「なにか」を感じられなかったけれども、決勝三作品の中ではもっとも素直な話だった。こういうのは上手下手ではなく好みの問題であるけれども、よかった。(ロチェスター)
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「くるくるり」「ふらふら」「ゆらゆら」などの言葉ににんまりした。話の内容とも合っていて、読んでて気持ちよかった。(この票の参照用リンク)
これは例えば、
猫くるう 万年筆の 金魚かな
というような俳句に変換可能だと気がついた時に、たけやんさんの小説には俳諧があるのだと思い当たりました。
『神様』にはオチが不用だとか、『魚』には小さな魚が出て来る必要がなかったと私が感じるのは、主人公と小さな男の攻防や、冷たくなった右手を湯船に入れてみるというそれが、それだけで十分におかしいからで、オチと小さな魚の出現は、そのおかしさの根底を揺るがしてしまう、物語を作らなければいけないという(この場合は)不用な意思の現れのように思えます。
これからどんなタイプの小説を書いていくにしろ、たけやんさんには500字弱のおかしい作品を書き続けてほしいです。(三浦)(この票の参照用リンク)
題名のとおり、きれいな作品だと思いました。読んでいて心の中の嫌なものが、すっと溶けていく感じ。
「この風習の起こりは〜」のような、ぽっと現れる設定も素晴らしい。(壱倉)(この票の参照用リンク)
虚構の世界を書く上では「風習」という語の多用は避けたほうがいいんじゃないのかなと思ったりもするのですが、好みな作品ですので、三浦さんに一票。川野。(この票の参照用リンク)
静かで荘重な世界と、確かで圧倒的な筆力がある。
千字で表された以上の世界が良作の背後にはあるのだが、この作品にはそれが氷山の海面下にある数倍の氷塊に比せるくらいにあるのだと、単なる空想にすぎないのかもしれないが、私には思えた。(黒田皐月)
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