第58期決勝時の、#16僕と猫(たけやん)への投票です(3票)。
qbcさん「メフィストフェレス」は皆さんが書かれているように小説になっていると思う。この話を読んでいると都心で生きるのは大変だな、となんとなく思った。上手下手で投票するならば上手な(現代をうまくとらえている)小説だと思うけど、好きな話ではなかった。
三浦さん「きれいな円が描きたい」は事物の描写と心理描写がうまく絡まりあっていて、はじまりのところなど吉本ばななの「キッチン」を連想させた。うまいと思う。ただ、これは三浦さんの作品群のなかではかぎりなく「セカチュー」(読んだことはないのだけど)的にまとまっている気がする。
たけやんさん「僕と猫」はおもしろく読ませてもらった。まさに机のうえでぼんやりとしている作者の姿が目に浮かぶ。正直なところ予選ではあまり評価されなかった黒田さんの作品やるるるぶ氏、あらのさんほどの「なにか」を感じられなかったけれども、決勝三作品の中ではもっとも素直な話だった。こういうのは上手下手ではなく好みの問題であるけれども、よかった。(ロチェスター)
参照用リンク: #date20070808-141711
「くるくるり」「ふらふら」「ゆらゆら」などの言葉ににんまりした。話の内容とも合っていて、読んでて気持ちよかった。
参照用リンク: #date20070805-002538
これは例えば、
猫くるう 万年筆の 金魚かな
というような俳句に変換可能だと気がついた時に、たけやんさんの小説には俳諧があるのだと思い当たりました。
『神様』にはオチが不用だとか、『魚』には小さな魚が出て来る必要がなかったと私が感じるのは、主人公と小さな男の攻防や、冷たくなった右手を湯船に入れてみるというそれが、それだけで十分におかしいからで、オチと小さな魚の出現は、そのおかしさの根底を揺るがしてしまう、物語を作らなければいけないという(この場合は)不用な意思の現れのように思えます。
これからどんなタイプの小説を書いていくにしろ、たけやんさんには500字弱のおかしい作品を書き続けてほしいです。(三浦)
参照用リンク: #date20070803-215250