第77期決勝時の投票状況です。17票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
23 | 梅に猿 | 宇加谷 研一郎 | 6 |
8 | 水分茶屋 中川口物語-暮六つ | 東 裕次郎 | 5 |
29 | フォークロア | えぬじぃ | 5 |
- | なし | 1 |
好みで。
いざ投票というときに具体的にどこがいいからこの作品で、他の作品はどこがだめなのか言い切れず非常に悩んだのですが、締め切りまで10分切ったので投票します。(この票の参照用リンク)
「水分茶屋 中川口物語-暮六つ」
作中に漂う空気は良かったのだけど、「。」なしなどの不手際があるのでパス。色んな作品がある中からひとつを選ぶとなると、どうしてもこういうところを考慮しないと審査が難しくなってしまう。
「フォークロア」
線的。1の次は2。2の次は3。みたいに時間軸に沿った展開が単純。もうちょっと遊べたんではないのかなと。
「梅に猿」
これも線的な展開ではあるのだけど、より道が多くて点的。遊び心が楽しい。ということで投票。(この票の参照用リンク)
決勝3作品を読んで、一番楽しめました。(この票の参照用リンク)
完成度で選んだ。(この票の参照用リンク)
予選は投票しなかったけれど、決勝の今回は投票に参加することにしました。
初見読み飛ばした中で、一番面白く読めたのは『水分茶屋 中川口物語-暮六つ』。『梅に猿』もその次くらいに初見の段階で面白く読めた。『フォークロア』は手法が良くないと思った。
えぬじぃさんの『フォークロア』は、中途半端にリアリティがないオチで、力が弱い。うまく表現できないけれど、最後までリアルで強く固めていって、オチが中途半端な非現実に流れている。あまり好きじゃない手法で僕は避けてます。逆の、非現実の中にリアルを垣間見るような力強さがないと言えば、伝わりやすいかなぁ。文は滞りなく読めていいのだけれども、読後は作り話だなぁという印象が大きかった。
東 裕次郎さんの『水分茶屋 中川口物語-暮六つ』は文体が好き。なかなかこういった時代物の、おもしろい文体を使いこなせる書き手さんは少ないから食指が動く。マイナス点は、オチの表現が分かりづらいのと、その魅力も小さいのが残念だった。次の作品が楽しみ。来期投稿されたら一番に読むぞっと。
決勝の作品3点を改めて読んでみて、一番面白く読めたのが宇加谷 研一郎さんの『梅に猿』。優勝作品の面白さや魅力を十分に持ってると思った。感じたのが、タイトルの「梅に猿」が、物語全体の美感を絶妙に表しているんじゃないかってこと。僕は言葉でうまく表現できないけれど、それは確かに「梅に猿」なのかもしれないと思った。うん、とにかくとってもよかったです。
という事で、僕は宇加谷 研一郎さんの『梅に猿』を推します。kumaより
(この票の参照用リンク)
たぶん現代が舞台なのでしょうが、昔も今も男には裸の女が必要なのだなあ、という感傷を読んで覚えました。結局あの猿戦車に勝てるかどうかっていう話なんだよ。俺だったら梅の木の上に裸の女を乗せるね。バカの一つ覚えみたいにオバマの台詞をまねしてそうな雰囲気。
いい感じに力が抜けているところを味わいました。(この票の参照用リンク)
面白かった。(この票の参照用リンク)
古き良き”和”へのノスタルジア。
”いかにも今はやり”にあえてベタにオーソドックスに
取り組んだ姿勢に一票。(この票の参照用リンク)
もう20数年前に高円寺の芝居小屋で見たお芝居を思い出しました。北風の冷たさの中に何がしか生暖かい空気を感じた記憶が甦りました。(この票の参照用リンク)
季節と地域が、本当にピンポイントで分かりました。
砂町銀座の中ほどにある区立図書館の3Fに、昔の江東区の
資料館があるのですが・・東さんの作品に出合い、文章の
リアリティーさにリンクさせ、凄く深くこの土地を知ること
が出来ました。 ありがとうございました。
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ほとんどが会話文なのに状況がかなりわかるような気がするのはなぜだろう。何かそこに妙技があるのではないだろうか。(黒田皐月)(この票の参照用リンク)
「水分茶屋」は話がよくわからなかった。茶屋の店主が実は詐欺師(あるいは狐)である旅人をだましたってことなのか、旅人が途中でお金を木の葉にすりかえられてたってことなのか、どっちでもないのか。
しかしながら、たとえ筋が理解できたとしても、この話には語られるだけの魅力みたいなものが欠けていると思った。流暢な文章なだけにもったいない。いや、文章がうまいからこそ、中身の空洞がめだつ。
「梅に猿」はつづく「フォークロア」に比べてあらゆる点で色褪せて読める。「梅に猿」はどこか作品に作者の姿がみえず、小説を読んでいるときの、作者に寄り添う感じがつかめず、なんとなくこれ一篇で良否を決めることができなくなる。
それに比べれば「フォークロア」は面白かった。一番よかった。
まず、凡庸な作家ならば、たぶん「人形作りの男」を話の中心にすると思う。そしてもっと、へんなエロをまぜこんだり、文章をみょうに飾り立てたりするだろう。
ところが、この話は読後は「人形づくりの男」の印象ばかり残っているけれど、実は主人公は人形男ではなく、その友人なのだ。人形づくりの男がどんなに変わったやつなのかということを、誰か別の友人に語るという形式をとっている。この形は小説をよくわかった作者じゃないとできない。
そして、不潔であり変態っぽく思えそうなものなのに、なぜかゴミの山がでてきても、「クマがお礼してくれたんだよ!」と人物に語らせても、ちっとも不潔ではなくて、むしろ妙な新鮮さがある。ここもまた並みの作者にはできないところだろう。「梅の猿」にも偶然人形づくりの男がでてくるが、「梅の猿」の作者はさぞかし悔しがっていることだろう。
前期作もふくめて、ちょっとかなわない相手があらわれたな……と私は思っている。これは私だけだろうか? 「なし」と書かれた方は本心だろうか? いい作品を書ける相手には賛辞を惜しむべきではない。それは場の力を相対的に弱めてしまい、そうするとそこに参加している自分まで力が落ちていく。私はえぬじぃ氏になみなみならぬ才能を感じる。だからこそ推薦するし、とにかく投稿をつづけてほしい。こういう、私にとってのライバル作家が「短編」にはあと何人かいる。
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好きなんだもん。(この票の参照用リンク)
やはりこのタイトルの澄ましてとぼけた感じが、
なんともおかしくて良いです。(この票の参照用リンク)
決勝に残った三作品の中では、短編小説として素直に面白いと感じた。
上手い作品よりも、面白い作品を読みたい。(この票の参照用リンク)
文句なし。この三作の中ならば、他二作とは比肩すらしない。
他二作もレベルは高いが、少しほつれが見えている。(この票の参照用リンク)
季節はずれの大雪で日本列島は白く雪景色され真冬に逆戻り。ほんの数日前までは日差しの強さに初夏の匂いを感じたほどだったのに。いまさら雪なんて、誰も欲してはいないはず。まったく空気の読めないお天気ちゃんですね。……まるで、どこかの投稿サイトへ寄稿している作者のように。
筆者の書きたいもの。それにくらべ、読者が読みたいもの或いは評価を受けるものが酷く隔たっている。これは特定の誰かを指している訳ではありません。強いて言うなら自戒でしょうか。
なにを求められ、なにを評価され、なにを書くべきなのか。どこをどう評価し、どう投票すべきなのか。自身の主観を信じ直感に従うのか、冷静な判断で客観に徹するべきなのか。いまどうすべきなのか、すべてを見失いかけております。
まずは文章的に、読まれるにあたいするレベルにあるべきだと考えています。そのうえで魅力的な読ませる文章や構成の工夫が必要ではないでしょうか。落ち等のストーリーは個人的嗜好によるところが多く評価材料のひとつにすぎないと思っておりました。
……これもまた春の雪。失礼致しました。(この票の参照用リンク)