第77期 #23

梅に猿

「うぐひす色の二月ってのに」

 トオルスキーは呟いた。毎日つまらんなあ。

 静寂がつづいたあと、千太郎が立ち上がり、ベートーヴェンの悲愴ソナタをかけた。

「ことし、何かやろうよ」

 千太郎は天井を見上げている彼の背中をたたいて言った。

「裸の女たちを集めてさ。写真を撮ろう」
「裸?」
「ああ。梅に鶯。ぼくらに裸婦だよ」

 どうみても金持ちにみえない二人である。だが六畳の、本棚もない木造の、およそコタツしかない部屋で、湯豆腐をつつきながらのんでいた二人は、気分だけは貴族の若旦那なのである。音だけは響く狭い部屋で聴く悲愴ソナタも少し力をかしていたかもしれない。

「女をどうやって集めるんだ?」
「情熱しかない」
「そうだな」
「トオルスキーには肉体がある。ぼくには知性がある」
「そうだな」

 一人は力こぶをつくった。もう一人は平家物語の冒頭を暗誦した。だが力こぶは盛りあがらず、暗誦は途絶えた。

「でも情熱がある」
「人には添ってみよ、馬には乗ってみよ、女には声かけよ」

 二人は翌朝から行動を開始した。改装中の東京駅付近に立ったのだ。

「俺はあんたの裸をとりたい。うちこないか」

「ぼくは姉さんにとっての皇居のお濠の近衛兵になる。あなたの心は彼氏にまかせるけれども、その裸体の美をぼくに預けてください」

 二人はそれぞれに口説いたが、この不況時である。丸の内の女性は実に忙しい。一人、猿に肩車された女性が面白く聞いてくれたが、すでに猿という戦車によって彼女は心も体もしっかり護られているのだった。
 
「失敗したなあ」
「うん。偉大なる成功の第一歩だよ」
「本当にそうだろうか」
「気晴らしに美術館でもいこうよ」
「ああ」

 美術館は巴里の日本人画家特集であった。五人の裸婦と猫と犬が描かれた絵の前で二人は釘付けになる。

「いい絵だねえ」
「俺たちがやろうとしてたことだな」
「僕らの女みたいだね」
「いい体してるな」
「くつろいでる」
「これが絵だなんて信じられんな」
「三次元を二次元に圧縮している、その圧縮加減に画家自身の視線や空間が塗りこめられてる」
「わかる気がする」
「やっぱりぼくらもぼくらの写真を撮ろう」
「どうやって?」

 千太郎は友人の三谷サイモンの家をたずねた。

「サイモンは人形づくりが趣味なんだよ」
「君たちの話においらもまぜてくれ」

 二人はサイモンの部屋から好みの人形を選び、並べて撮影した。予定とは違ったけれども、いい気晴らしになったのだった。



Copyright © 2009 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編