第77期 #22

蒸しまんと粥

 出勤前、鏡に映るスウェットのパジャマ姿の自分がかっこよく思えた今日の朝。寝室へ行ってドアを開け、そこで脚を肩幅に開いて両腕を斜め下に伸ばし袖をクイっと引っ張って、
「美美(メイメイ)」と声を掛けると彼女がゆっくりベッドから顔を出した。何か反応を期待して朝の僕のパジャマ姿を彼女に見せてみるも、おそらく中国人の彼女は日本語が分からず僕も中国語が話せないので彼女はちょっと寝ぼけた顔をしながらいつもの綺麗な笑みを見せてくれただけだった。
 その反応に一抹の物足りなさを感じながら洗面台へ戻ってみるも、頬の上でフィリップスを滑らしながらパジャマ姿の自分が今日に限らず気に入っている事を考える。なぜだろう、おそらくこのゆったりとしたサイズがいいのだ。締まらず緩んだ袖口に、見える手首がいいのだ。そして襟がないから首が長く見えるのと適度な寝癖がいいのだと考えた。
 しかし、今日の都内、例えこのパジャマ姿で歩いてみても人々は僕の姿をかっこいいと云う前に、なぜ外でパジャマなのだと云う顔を向けるに決まってる。
 それに対してこのパジャマ姿を見せられる今や唯一の存在は、会社の岐路、僕が裸足と白いワンピースの上に墨の如く濡れた髪を下ろしていたのを見つけたのだった。所持品がないため身元も何も分かりゃしない。僕はその「チャイニーズビューティ」とも形容できる彼女に、漢字「美」の中国語発音が「メイ」と知ってそれを重ねて「メイメイ」と名づけて呼んでいるのだが、彼女は「メイメイ」が自分の名前として呼ばれている事を理解しているのかどうか分からない。ただ僕が「メイメイ」と声を掛ければ彼女はそっと微笑むのだった。
 僕が洗面を終ると既に彼女は蒸しまんと小豆を挽いた粥をテーブルの上に並べていて(これが僕が彼女を中国人だと思う理由である)、彼女と僕は小さなテーブルを挟み椅子に座って食事中も目が合えばいつもの笑みを向けてくる。
 炊き上げのご飯と味噌汁がめっきりご無沙汰の朝食だけど、僕は食事を済ませ折り目の付いたスーツに着替えると、彼女の綺麗な髪の下に手を刺し込み頬に触れ、彼女はこそばゆいと目を細めて僕の掌に頬を寄せ、僕はマンションの玄関を出た。
 丁度営業マンとして働くことに飽きて来ていた今日の夜。仕事帰りに同僚と
「俺、会社辞めるんだ」と気持ちよくなって一人部屋に戻ってこれば、彼女と彼女の痕跡はもう何もなかったように消えていた。



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