第121期決勝時の投票状況です。6票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
2 | しらねえよ | 藤舟 | 2 |
14 | トカゲ | スナヲ | 2 |
18 | 巨人について(not yomiuri giants) | 伊吹羊迷 | 2 |
予選のときは拒否反応を示して流してしまいましたが再読して驚きました。まんまとひっかかったというか。読めば読むほど周到で、タイトルと末尾の「しらねえよ」の気持ち悪さが際立つ。語り手とおっさんの間、語り手と読者の間の二つの断絶があって、両方が最後の一言に集約されている。あと拒絶される側の視点で書かれているのが新鮮でした。読み落としたことを反省しつつ一票。(この票の参照用リンク)
2 しらねえよ
なんだろうすごく悲しい。ふだん感情移入なんてしない質なんだけど、すごくしちゃいました。おじさんの方にね。
というのも、某HIPHOPアーティストがパーソナリティを務めているラジオ番組で映画監督の三宅隆太氏がかつて『蟹と修造』理論なるものについて話していた。これ、映画脚本リライトの手本の一つだというがとんでもない。理論の何たるかはググってもらうとして、小説にとっても重要な技法、つまるところ感情移入を逆手にとった演出なのである。
恒川光太郎氏の『夜市』を選考委員の高橋克彦氏が評したときに“発想の転換”なる言われ方をしていて、未熟な読解力をぶら下げていったいどういうことなのかと頭をひねらせたあげく、つまり感情移入の操作なのだと合点したことがある。で、それはいいんだけど、本作のそれらを地で行く結構には軽く唸った次第。おうぇ、って。
読点の問題、リーダの問題、平常であれば「はいこれだめなパターン」と一蹴するのだけど、今回は逆にこの卒のアリアリ感が誰かが酒を呑む代わりに誰かが涙を飲まずにはいられない社会の構造とやらに一役買っているよう。なぜかって言えば、悔しいっなんなのお前、なんで俺がこんなんでお前そんなんなのっ、なんなのっ、マジどういうことっ!?て気持ちになれたから。
別にそれは訳ワカラン作品ばっかりですっかり波に乗り遅れた昨今の拙作事情を引き合いに出しているわけではなくて、もっと本質的な話。
よくよく考えれば読み慣れた骨子なんだけど、耳障りな独り語りで巧くカムフラージュされていて、もしもっとガチっと文体を嵌めこんでいたらこの効果は起きなかったはず。作為なのかどうかはともかくとして、うるせぇこととムカつくことに一票。それが本望でしょう。
14 トカゲ
悪くない。小道具ならぬ小細工(指のくだりとか)もしっかりしていて瑕疵はなさそうに見える。ただ最後の
トカゲさん、あなた、私のお母さんですか?
というのがいまいち。一見、ぴたりと収まっているように思えるけどことばが常套過ぎるのか心情が入ってこない。中盤の父が喜ぶあたりとかはなかなか味があるけどやっぱり締りが悪い。良すぎて悪い。
蛇足ながら急性心不全って言葉には私的な事情があってそれだけでメランコリィなきもちになるってのもある。
18 巨人について(not yomiuri giants)
これも悪くない。
海に浸かった出で立ちってのがやっぱりゴジラとか、サンダとガイラとか、そこら辺を思い出さずにはいられないってのが苦悶の種。わが善き苦悶。
強大な力を前に団結を……とか言うとまんまオジマンディアスだなーとか考えるんだけど、そうこうしてる間に「嫌ですね」で終わるもんだから更になんだかなぁと。
117期の拙作で、“悲劇”を目の前にして屈することと抗うことの狭間でどよどよみたいなことしか書けなかった自分からしても、他人行儀が過ぎるというか、序盤からあからさまに皮肉が続いているなかで最後もこう落ちてしまうと、あぁん結局おまえも口だけなんだろで片付いてしまうと思うんですね。じゃあこれがもし「世界はこうあってほしいですね」で終わったら納得するの、て訊かれるとうーーんと唸り出して思考回路爆発するんでもうなんでもいいです。好みです。嫌ですね。(楡井)(この票の参照用リンク)
「トカゲさんは、元気?」に対して「ああ、お母さんは元気だよ」と答える場面で最初に薄ら寒い違和感を覚え、前文を読み返しました。
子供に対し「あのトカゲさんはお母さんなんだよ」と言うのと、まんまトカゲを「お母さん」と呼ぶのでは印象が違って、確かにあの書き方の場合どちらにも取れますね。
ここで、読んでいる私に「なんか怖い」のスイッチが入り、終盤に向けて徐々に不穏な方向に進む話に上手く乗せられたまま読み終えました。
今回これが一番好きです。(この票の参照用リンク)
『トカゲ』
私の人の感情が描かれていない為に、最初は、見守り霊系の良い話に思わせて、少しずつ不穏な方向に進んでいく感じがとてもうまいと思った。「得体の知れないもの」は怖いんだけど、「得体の知れないもの」を実感するためには、「得体のしれないもの」と言ってしまうと、お話に慣れた読み手は「得体の知れないもの」なんだなと名前を付けて認識してしまって、そこで恐怖は薄れる。
この話は、最初「トカゲの形をした母さんの守護霊のトカゲ」から、「トカゲと呼んでいたけど、黒い影というだけで人の形をしている」という何それ怖いというビジュアルに変化し、さらに「母さんでも何でもない黒い影。目が合うと死ぬ」というまさに「得体の知れないもの」に変わっているという仕組みが素晴らしい。
>眠っているように安らかな顔だった、と周囲には説明した。
しかも死ぬときは安らかな顔では死ねない。
>トカゲは、人の形をしている
これは、元々窓にくっつく黒い人影が怖すぎるので、「トカゲ」だとお父さんとが私(理沙ちゃん)に説明したのが常習化してたのを、我々向けに説明したというところで僕は不思議に思わず、反転ポイントとして納得して読めた。
ただ他の感想にもあったけど「ヤモリ」にした方が合ってたのかも。
『しらねえよ』
雑多な感情が代わる代わる現れて流れていくのがうまく表現されている気がする。
痛みと痛みを与えたものに対するストレートな怒りや悲しみがあり、世の中への諦観があり、気持ちは無茶苦茶だが何でもないように装い、女の子への興味があり、慰めて欲しいみたいな気持ちがあり、下心があり、がっかりがあり、それらのどれでも整理できない感情が残っている。
最後の一行で雑多な感情の放出に筋が通る。通るが、語り手の混乱は、始まったばかりで、答えがない。
理解できたような気になって、実はわからない。考えてしまう。そういう感じがうまいなあと思う。
『巨人について』
絵本のような淡々とした語り口調は中立を装いつつ、愚かな人間どもよみたいな視点が見えてて嫌だなあと思える話で、最後にそれを「嫌ですね」と言われても、そうですねというかあんたが書いたんじゃないかと思ってしまって、それがオチだと思うと話が矮小化してしまった感がある。巨人に悪意なく大勢の人間が死んだとかになったらどうすんねんとか考えだすとやり切れなくなる話を、そっちに触れるようなテーマでありつつ、ライトすぎるというか。最後の文と、not yomiuri giantsが蛇足だった気がする。もしかしてnot yomiuri giantsには何か意味があったのかな?
それか、巨人の話がもっとありがちな感じではない新しさがあったり、逆にもっと巨人に感情移入して、人間どもめ!巨人可哀想!とか思えたら、最後の突き放しに客観性を取り戻し、その揺れは良い小説体験だったような気がするんだけどな。
しかし、この一連の不快な気分というものを引き起こすということが狙いだとすれば、やはり最後の一文までで完成された小説だったのかもしれない。(この票の参照用リンク)
今期はこれだ!(この票の参照用リンク)
完成度の高い作品だと思います。
「2 しらねえよ」と、テーマで重なるところもあるように思うのですが、書けない範囲を含んでいない。そんな感じがいい。
逆に、No2 は、これから説明しなければならない動きや世界が
書かれている。と、感じました。
「14 トカゲ」No 14についてはお盆の時期に投稿なさるといいと感じました。書き上げた後、温めて置くのも大切なことじゃないでょうか?(この票の参照用リンク)