第121期決勝時の、#14トカゲ(スナヲ)への投票です(2票)。
「トカゲさんは、元気?」に対して「ああ、お母さんは元気だよ」と答える場面で最初に薄ら寒い違和感を覚え、前文を読み返しました。
子供に対し「あのトカゲさんはお母さんなんだよ」と言うのと、まんまトカゲを「お母さん」と呼ぶのでは印象が違って、確かにあの書き方の場合どちらにも取れますね。
ここで、読んでいる私に「なんか怖い」のスイッチが入り、終盤に向けて徐々に不穏な方向に進む話に上手く乗せられたまま読み終えました。
今回これが一番好きです。
参照用リンク: #date20121107-102820
『トカゲ』
私の人の感情が描かれていない為に、最初は、見守り霊系の良い話に思わせて、少しずつ不穏な方向に進んでいく感じがとてもうまいと思った。「得体の知れないもの」は怖いんだけど、「得体の知れないもの」を実感するためには、「得体のしれないもの」と言ってしまうと、お話に慣れた読み手は「得体の知れないもの」なんだなと名前を付けて認識してしまって、そこで恐怖は薄れる。
この話は、最初「トカゲの形をした母さんの守護霊のトカゲ」から、「トカゲと呼んでいたけど、黒い影というだけで人の形をしている」という何それ怖いというビジュアルに変化し、さらに「母さんでも何でもない黒い影。目が合うと死ぬ」というまさに「得体の知れないもの」に変わっているという仕組みが素晴らしい。
>眠っているように安らかな顔だった、と周囲には説明した。
しかも死ぬときは安らかな顔では死ねない。
>トカゲは、人の形をしている
これは、元々窓にくっつく黒い人影が怖すぎるので、「トカゲ」だとお父さんとが私(理沙ちゃん)に説明したのが常習化してたのを、我々向けに説明したというところで僕は不思議に思わず、反転ポイントとして納得して読めた。
ただ他の感想にもあったけど「ヤモリ」にした方が合ってたのかも。
『しらねえよ』
雑多な感情が代わる代わる現れて流れていくのがうまく表現されている気がする。
痛みと痛みを与えたものに対するストレートな怒りや悲しみがあり、世の中への諦観があり、気持ちは無茶苦茶だが何でもないように装い、女の子への興味があり、慰めて欲しいみたいな気持ちがあり、下心があり、がっかりがあり、それらのどれでも整理できない感情が残っている。
最後の一行で雑多な感情の放出に筋が通る。通るが、語り手の混乱は、始まったばかりで、答えがない。
理解できたような気になって、実はわからない。考えてしまう。そういう感じがうまいなあと思う。
『巨人について』
絵本のような淡々とした語り口調は中立を装いつつ、愚かな人間どもよみたいな視点が見えてて嫌だなあと思える話で、最後にそれを「嫌ですね」と言われても、そうですねというかあんたが書いたんじゃないかと思ってしまって、それがオチだと思うと話が矮小化してしまった感がある。巨人に悪意なく大勢の人間が死んだとかになったらどうすんねんとか考えだすとやり切れなくなる話を、そっちに触れるようなテーマでありつつ、ライトすぎるというか。最後の文と、not yomiuri giantsが蛇足だった気がする。もしかしてnot yomiuri giantsには何か意味があったのかな?
それか、巨人の話がもっとありがちな感じではない新しさがあったり、逆にもっと巨人に感情移入して、人間どもめ!巨人可哀想!とか思えたら、最後の突き放しに客観性を取り戻し、その揺れは良い小説体験だったような気がするんだけどな。
しかし、この一連の不快な気分というものを引き起こすということが狙いだとすれば、やはり最後の一文までで完成された小説だったのかもしれない。
参照用リンク: #date20121103-105302