第121期 #14
「おとうさん、今日もトカゲさんいるよ」
夜になるといつも窓の外にはりついていたトカゲを、父は母だと言っていた。
なぜトカゲの姿なのかというと、それは、本当は来てはいけないのだけれど、私たちのことが心配だから内緒でこっそり来ているためだ。だから、お父さんと理沙も気づいていないふりをしないといけない。そうしないとお母さんはここにいられなくなるからな、と父はいつも言っていた。
「近づいたり、声をかけたりしちゃ駄目だ。いいな。気づいてないふりをするんだ。絶対に目を合わせちゃいけない。約束できるな?」
母は私が小学校にあがる前の年に亡くなった。心臓の病だったと言うが、幼かった私は母の死に顔も覚えていない。
元気だった父も、先日他界した。急性心不全だった。眠っているように安らかな顔だった、と周囲には説明した。
亡くなる二日前、父と電話をした。
「トカゲさんは、元気?」
「ああ、お母さんは元気だよ」
父の声は弾んでいた。仕事が忙しく最近電話もできていなかったから、久しぶりの娘の電話を喜んでくれているのだろうと思っていた。「今日なあ」明るく父が言う。
「お母さんとなあ、目が合ったんだよ」
嬉しそうな声だった。
「あの目だったよ。なんだか、申し訳なくなってなあ。なんで今まで目も合わせてやらなかったんだろうって。あの目を見ているとなあ。あの目がなあ」
窓の外にトカゲがいる。父の葬儀も終わり、ひとまずの間のことを叔母に頼んで自分のマンションに帰ってきたその夜から。
幼い私がトカゲと呼んだ、父が母と呼び続けた、影法師。四肢を曲げ、吸盤のように掌と足の裏をガラスにくっつけているトカゲは、人の形をしている。
仏壇に母と並べて父の写真を置いた時、思い出したことがあった。写真の中で、軽く両手指を組んで微笑んでいる母。小指より短い右手の人差し指。
母は生まれながらに片方の人差し指が短かった。幼い私はまだ何一つ母の大きさに敵わない中で、人差し指の長さだけが母と同じだととても喜んでいたのに、どうしてずっと忘れていたのだろう。
台所に立った私を、磨りガラスの換気窓の向こうからトカゲが見つめている。私と目を合わせたがっているのがわかる。べったりとガラスに貼り付けられた両手の人差し指はどちらも同じ長さをしている。中指より短く、小指より長い。トカゲさん、あなた、私のお母さんですか?