全投票一覧(日時順)

第37期決勝時の投票状況です。8票を頂きました。

#題名作者得票数
8緑の草原を夢見て朝野十字4
2現在逢澤透明3
-なし1

2005年9月22日 23時58分29秒

推薦作品
緑の草原を夢見て(朝野十字)
感想
この3作品の中で選ぶなら、この作品に。思考の宇宙に入り込んで行くような感じでした。(この票の参照用リンク

2005年9月22日 23時57分10秒

推薦作品
現在(逢澤透明)
感想
箱とはあるいはパソコンのことではないかと思え、興味深く読めました。(この票の参照用リンク

2005年9月22日 23時45分19秒

推薦作品
現在(逢澤透明)
感想
予選でこれに投票するために全作品を読んだ。
「感覚より技術で書かれた感覚の小説」だと思った。ストーリー性のない。そういったものはどうも受け入れ難く思ったりもするのだけれど、これは何故だか受け入れられた。綺麗なイメージではないのが自分としては良かったのかも知れない。
これとバキュームが対のものだと思ったのだけど、さてどうだか。(この票の参照用リンク

2005年9月22日 23時32分57秒

推薦作品
現在(逢澤透明)
感想
決勝選びにくいですね。面白いのですけれども、
三話とも未知のベクトルを向いているように思います。

で、敢えてこれ。理由は「分からないから」。(この票の参照用リンク

2005年9月22日 21時2分29秒

推薦作品
緑の草原を夢見て(朝野十字)
感想
 予選でも『現在』と『緑の草原を夢見て』には投票したので、どちらにするか最後まで迷った。抒情性をとって『緑の草原』にするけれども、『現在』の息苦しさもこれはこれでよい。また別の時点で判定すれば逆の結果が出るかも知れない。私の記憶が正しければ、実力者でありながら今まで優勝経験のない透明氏朝野氏どちらも、今回は優勝してもらいたいと思う。
 予選感想あるいは掲示板でも、難解な作品が多くなったというような意見がある。今期はたまたま純文学ふうの、ストーリーやキャラクターに頼らない作品が予選に残ったが、三作ともそのぶん工夫の凝らされた「語り」に魅力があった。
 しかし一方で、普通の小説らしいものの中でも、『かおり』『本日は晴天なり。』『祭囃子の遠く』など、読ませる作品はあったと思う。千字という制限の中では、こういう正攻法で一つの世界を描き出す方が難しいかも知れない。小説とは何をどのように書いてもいいものだとは今さら言うまでもないことで、各人がそれぞれの表現を向上させていってもらいたいと思う。(この票の参照用リンク

2005年9月20日 10時30分55秒

推薦作品
緑の草原を夢見て(朝野十字)
感想
文章のテンポ、表現が綺麗だと感じました。
ただ綺麗な言葉だけを並べたうわつらばかりの話ではなく、読んだ後に「あぁ、綺麗だな」と素直に感じさせるようなまとまりがあると思います。
宇宙の暗さから一転、題名でもある「緑の草原」の鮮やかさが強烈な印象で短い中にも強引ではないメリハリを感じました。(この票の参照用リンク

2005年9月16日 13時14分14秒

推薦作品
なし
感想
自分は予選投票時に通過者1名に投票はしたのですが、自分の感性とははっきり異なるものが残ってしまったので、今回決戦時の推薦作品はなしとさせて戴きます。

「緑の草原を夢見て」
 エントロピィはよく宇宙物理学とくにSF関連の創作物に引用されやすいものではあるが、作中に言及してある通り、熱力学の気体の属性をあらわす状態量でしかない。と言うことは、宇宙原理とエントロピィとの関連性を薄いと感じる読者は少なくともいるはずだ。ちなみに、エントロピーと星間距離は余り関係ありませんし、関係ないなら段落を毛て欲しいと思います。
 それに、千文字中の前後をようやく繋ぎとめているのは祖母というファクタそれのみであり、それを強調したいのなら前半の宇宙原理の説明は不要ではないだろうか。

「いっぱいのかけそば」
 1000文字で書こう、というアイデアを評価。
 しかし、落語(これについては詳しくないので印象的に)では定型過ぎるし、ショートショートならつまらないという評価を受けるだろう。厳選された選択したのではなく、適当に摘ままれた作品が並べられた、そうした印象がぬぐえない。

「現在」
 これはデカルト劇場についての話でしょうか。(この票の参照用リンク

2005年9月15日 6時10分30秒

推薦作品
緑の草原を夢見て(朝野十字)
感想
「現在」は、この前の群像新人賞だっけ? に似ているなあと思った。スーパーの袋かぶったり、ダンボールに閉じこもったり、なんかいたいなあ、と思う。しかし、「短編」の決勝に残る力は十分にあると思う。表現はうまいよね。

「いっぱいのかけそば」には予選も投票した。しかし、この作品には「普遍性」は感じられない。この作者だから、という暗黙な了解があるような気もするんだな。いっちゃあなんだけど、このへんでとまっちゃうんじゃない? 自我を抑えた作品を読みたいです。と、感想だからすき放題。もちろん決勝に残って当然の作品ではある。

さて、「緑の草原を夢見て」であるが、
<私は先日祖母の生家を訪れようと思った。思っただけでまだ行ってはいない。それは大した問題ではない。そもそも祖母の生家を知らない。>
の部分は、書いている人間の質がよくなければこんな文章出てこないんじゃないかと思う。それは読書量でも文体研究でもなく、作者自身の生活の態度だと思う。品がある。読者に媚びを売っていない。

痛々しいと思える作品をよくみる。それが文学だ、私小説こそ日本文学だ、という主張もありうる。だけど、たった1000字でこれくらいに濃密な、深い味わいの短編が読めるのだから、サイト「短編」はたいしたものだと思う。好き勝手に書き散らす私自身の将来はとにかくとして、この作者はきっと何かを勝ち取るであろう。(この票の参照用リンク

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