第37期 #8

緑の草原を夢見て

 夜空が暗いのは、宇宙が暗いからである。宇宙にはほとんど日が差さなくて、夜がこの世界の本当の姿である。夜空がこの世界のありのままの色である。けれども、ビックバンのころは、宇宙は光に満ちていた。
 暗い宇宙がこれからどうなるかというと、ますます暗くなっていくばかりである。宇宙は膨張しているし、だからかろうじて光っている星々の間は遠くなる一方である。それから熱力学の法則があって、エントロピーは増大し続ける。エントロピーというのは、簡単に言えば、部屋の散らかり具合のようなものだ。宇宙はどんどん散らかり続け、どこに何を仕舞ったか分からなくなり続け、そもそも何かをどこかに仕舞ったことすら忘れていく、それがこの宇宙を貫く真理である。言い換えればそれは、歳を取って不意に思い出す永遠の夏の日である。
 お盆に祖母の家で古い百科事典を開いて星座を調べていたのは、夏休みの宿題か何かのためだったろうか。大判一頁をすべて使って暗黒の中にぬらぬらと光り浮かぶ淡い朱色の星雲のカラー写真があった。じっと見るにつけ、世界の底がこんなにも深く冷たくたゆたっていることがしとしとと背中に染みてきた。私はぱっと立ち上がり、急いで祖母のところに駆けて行って、彼女のしわくちゃの手を掴んだり腰に頭を押し付けたり拳で叩いたりした。そうして宇宙が途方もなく暗く深く背筋がぞっとするほど冷たいことを訴えた。
 記憶とは奇妙なもので、子供のころの思い出の中に自分の姿が入り込んでいたりするものだ。私は廊下だか台所だかに祖母と共にいて、その辺りは薄暗く影になっている。その先の障子が開いて縁側の向こうに庭が見えた。植木や花壇や芝生の上に焼け付く夏の日差しが白く厚い層をなしてべっとりとたっぷりと降り積もっていた。祖母は生まれ故郷のとうきび畑の話をした。彼女がまだ少女であったころ、祖母の父や母や弟や妹がいて、みなでもぎたてのとうきびを茹でて食べたという。私は薄暗闇の中で祖母が宇宙の深みに落ちてしまわないように腕を掴んだまま、夏の太陽の下にきらきらと続くとうきび畑を一生懸命想像した。
 緑の草原を夢見てる。黄色い野ばらの咲いている。紫の葡萄の木のそばに立つ。緑の草原に会いに行く。
 私は先日祖母の生家を訪れようと思った。思っただけでまだ行ってはいない。それは大した問題ではない。そもそも祖母の生家を知らない。それは記憶の中に今も白く輝いている。



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