つづきまして、#12と#13です。(全作品網羅の道行きがあやしくなってきました…)
#12 急いでる ハギワラシンジ
http://tanpen.jp/200/12.html
まずは、会話以外の記述を見ていきましょう。
6931。
二階堂はスマホにpinコードを素早く打ち込む。
パスコード、ではなく「pinコード」と書かれているので、「6931」はSIMカードに設定された暗証番号だと考えられます。スマホの記述が続きますので、残りも追ってみましょう。
二階堂は Chromeを立ち上げて、何かしらのブックマークページを開く。
二階堂はChromeを閉じた。そこで、じっと考えたあと再びChromeを開く。
二階堂はtwitterを平行で立ち上げる。
Twitter を閉じる。
「二階堂」がスマホを操作する記述は、これで全部です。上の引用の間に挿入されている会話の進行具合を見て、「二階堂」が以上の操作をしている時間は短いだろうと考えられます。タイトルの通り「急いでる」ことが読み取れますが、どうして急いでいるのかは明らかにされません。「二階堂」が持っているのは他人から盗み出したスマホで、そこから何かしらの情報を引き出そうとしている、などといった事件性を妄想することもできますが、仄めかしと取れるほどの記述も見当たらないので、「急いでる」ことに重きが置かれていると考えるべきでしょう。
さて、残りは会話です。見ていきましょう。
「話聞いてる?」
「ああ」
「ほんとうに?」
「本当だよ」
「プログラミングがしたいんだ」
「わかるよ」
「意味わかってる?」
「ああ」
「なぁ、プログラミングがしたいんだよ」
「冬だけど」二階堂はtwitterを平行で立ち上げる。「暖かいな」
「なあ」
「えっと?」
「急いでるんだ」
会話はこれで全部です。発話する人物が容易に判別できるようには書かれていませんが、上の引用の5つ目に「二階堂」の動作が挟まれているので、5つ目の台詞は「二階堂」のものと考えられそうです。そして、会話の内容を見ると、どうやら交互に喋っているらしいことがわかります。それを踏まえて、会話を「二階堂」の台詞と、その話し相手の台詞とに分けてみましょう。まずは「二階堂」から。
「ああ」
「本当だよ」
「わかるよ」
「ああ」
「冬だけど」
「暖かいな」
「えっと?」
続いて「二階堂」の話し相手。
「話聞いてる?」
「ほんとうに?」
「プログラミングがしたいんだ」
「意味わかってる?」
「なぁ、プログラミングがしたいんだよ」
「なあ」
「急いでるんだ」
「急いでるんだ」の言葉通り、「二階堂」の話し相手は急いでいるようです。こちらも「二階堂」と同様、どうして急いでいるのかは明らかにされません。ここでも「急いでる」ことに重きが置かれているのでしょう。
地の文では「二階堂」が、会話文では「二階堂」の話し相手が、それぞれ違う理由で「急いでる」らしいことがわかりました。さらに見ていけば、地の文の塊と会話文の塊が交互に配されており、交互に喋る会話と相似形になっていることが見え、しかし、その調和が終盤にかけて乱れ、二つの「急いでる」がぶつかり、「急いでるんだ」で停止する様子が見て取れます。
#13 スキップ、スキップ たなかなつみ
http://tanpen.jp/200/13.html
この小説は、「スキップの仕方を教えている」らしい語り手が、「おまえ」に呼びかける二人称小説となっています。以下のように分けてみます。
1段落目から4段落目:語り手が「おまえ」と「影」に「スキップの仕方」を教える
5段落目から6段落目:影から生まれた光が影を消し去り、続いて影に埋もれていた「おまえだったものの塊」を溶かして「断片」にする
7段落目から9段落目:「断片」になって「軽さを取り戻した」「おまえたち」が、「もう何を手本として真似することなく、ただもう思うとおりに」「スキップ」する
では、細かく見ていきましょう。まずは「影」について。
影は軽々と手本を真似して跳び始め、
影はあちらからもこちらからも集って跳ね始め、
積み重なった黒い影を溶かしてしまう。影の断末摩の叫びもその苦しげな揺らめきも、
かつては重たくて分厚い影だったものが、鋭い光に照らされ、どろどろと流れ落ち気化してその場から消えてしまうと、
1つ目の引用にある「手本を真似して跳び始め」は、スキップのことを指しています。上の引用からまとめると、「影」は「スキップ」を「真似」ることができ、あちらこちらに複数存在し、叫んだり揺らめいたりすることができ、「積み重な」ると「重たく」なり、「光」に「溶」け、やがて「気化」する物質でできていることがわかります。
続いて、「光」について見ていきます。
積み重なった影の隙間から、小さな細い光が漏れ出てくる。生まれたての光はまだなんにも知らず、けれども、ただそこに在るだけで強い力をもちうるもの。未熟な光はなんらの意図もなく、無邪気にその明るさで、積み重なった黒い影を溶かしてしまう。影の断末摩の叫びもその苦しげな揺らめきも、幼い光にはまだその意味も痛みもわからない。光はただそこに在るだけ。そして、周囲を照らすだけ。
光が跳ねる動作を繰り返して、意図せずスキップの仕方を教えている。
こちらも上の引用からまとめると、「光」は「積み重なった影の隙間」から生まれ、「ただそこに在るだけで強い力を」持ち、「影」の「断末摩の叫び」や「苦しげな揺らめき」の「意味も痛みも」わからないまま「無邪気」に「意図もなく」「影」を「溶かし」、「跳ねる動作を繰り返して、意図せずスキップの仕方を教えている」存在であることがわかります。また、「未熟な」「幼い」「生まれたての光」は「まだなんにも知ら」ないようですが、照射する光は「鋭い」ようです。
最後は、「おまえ」について見ていきましょう。
ほら、影は軽々と手本を真似して跳び始め、肝心のおまえはよろめくばかり。
ほら、影はあちらからもこちらからも集って跳ね始め、肝心のおまえは怖がって目を塞いでひとり蹲るばかり。
ほら、影は上から幾重にも次から次へとかぶさっていき、肝心のおまえの姿はその下で覆い尽くされ見えなくなってしまう。
かつては重たくて分厚い影だったものが、鋭い光に照らされ、どろどろと流れ落ち気化してその場から消えてしまうと、その下から、おまえだったものの塊が現れる。
おまえだったものは影だったものと同じように、表面から徐々に溶解してぐずぐずと崩れ落ちていってしまう。おまえだったものはすでにもう塊ですらなく、個々に分かたれてしまった断片になりはててしまっている。
けれども、断片は、軽い。そう、おまえたちは、軽さを取り戻したのだ。
何にもつながらずに影さえも従えることがなくなり全く意味のない欠片となったおまえたちは、
5つ目の引用から、「おまえ」が「影」を「従え」ていたことがわかります。しかし、1つ目の引用では、「おまえ」は「従え」ているはずの「影」のように「手本を真似して」「スキップ」することができず、集まった「影」を「怖がって目を塞いでひとり蹲」っている状態で、主従関係が転倒しています。そして、「影」に「上から幾重にも」覆われた「おまえ」は、「重たくて分厚い影」の下に埋もれて「姿」が「見えなくなってしま」います。1つ目の引用では、単に「おまえ」ではなく、「肝心のおまえ」と語り手に呼ばれています。重要な主である「おまえ」の存在が、重要ではない従の「影」に消された、ということでしょう。そこへ、「積み重なった影の隙間から」「漏れ出」た、という以外に出所がわからない「光」が登場し、「重たくて分厚い影」を「溶かし」て「気化」させ、「その場から消」してしまいます。「溶」けた「影」は「影だったもの」と呼称が変わり、「影だったもの」の下敷きになっていた「おまえ」は「おまえだったもの」と呼称が変わっています。「影」の場合は「光」を受けて「溶」けた結果「影だったもの」になったわけですが、「おまえ」の場合は「光」を受ける前に「影」によって「おまえだったもの」になっています。影響関係をあらわすと、以下のようになるでしょうか。
光 > 影 > おまえ
今度は、「影」によって「おまえだったもの」になった「おまえ」が「光」を受けます。すると、「個々に分かたれてしまった断片」になり、呼称が「おまえたち」に変わります。ということは、「おまえ」は個々の「おまえたち」が集まってできた存在だったということになります。さらに、「おまえたちは、軽さを取り戻したのだ」と語られていることから、「おまえ」は決して軽くはなく、「重た」かったのだろうと考えられます。「軽さを取り戻した」「おまえたち」は「スキップ」ができるようになるのですが、ということは、「重た」かったために「おまえ」は「スキップ」ができなかったのだと推測できます。「スキップ」という項目で関係をあらわすと、以下のようになるでしょうか。
光(「意図せずスキップの仕方を教え」られる) > 影(「軽々と手本を真似して」「スキップ」できる) > おまえ(「スキップ」できない)
「スキップ」の出来の良し悪しの関係が、影響関係と同じ形になっているのがわかります。
では、「スキップ」の出来を左右する「重」さ、「軽さ」とは、一体、何なのでしょう。「軽さ」に関しては、以下の引用が答えになりそうです。
何にもつながらずに影さえも従えることがなくなり全く意味のない欠片となったおまえたちは、てんでばらばらに、全くもって好き勝手に、もう何を手本として真似することなく、ただもう思うとおりに。
「何にもつなが」っていないこと、「影さえも従えることがなくな」ること、「全く意味のない」存在であること……これらが「軽さ」なのだと考えられます。とすると、「重」さとは、何かしらに「つなが」りを持つこと、「影」を「従え」ていること、「意味」のある存在であること、になるでしょう。前者が「おまえたち」をあらわし、後者が「おまえ」をあらわしているとも言えます。「軽さを取り戻し」た「おまえたち」が、「てんでばらばらに、全くもって好き勝手に、もう何を手本として真似することなく、ただもう思うとおりに」「スキップ」するところで、この小説は終わりますが、7段落目以降の語り手の口ぶりは、どこか喜んでいるようにも読めます。「おまえ」に「軽さ」を取り戻させること、そして「おまえ」に「スキップの仕方を教え」る必要がなくなることが、語り手の望みだったということなのでしょうか。
そもそも、語り手は一体、何ものなのでしょう。語り手と共通点を持つものが登場しています。そう、「光」です。
スキップの仕方を教えている。
ほら、影は軽々と手本を真似して跳び始め、肝心のおまえはよろめくばかり。
光が跳ねる動作を繰り返して、意図せずスキップの仕方を教えている。
1つ目の引用では、語り手が「スキップ」を「教えてい」ます。2つ目の引用では「光」が「スキップ」を「教えてい」ますが、両者の違いは、「意図」的か、「意図」的ではないか、です。「光」について、もう一度、確認しておきましょう。
生まれたての光はまだなんにも知らず、
未熟な光はなんらの意図もなく、無邪気にその明るさで、積み重なった黒い影を溶かしてしまう。
幼い光にはまだその意味も痛みもわからない。
語り手が「光はまだなんにも知らず」と語れるということは、「生まれたて」ではない「光」のことを知っているということでしょう。そして、「まだその意味も痛みもわからない」とも語っており、「光」が成長すれば「影の断末摩の叫び」と「その苦しげな揺らめき」の「意味」と「痛み」がわかるようになる、ということも知っていると考えられます。どうして語り手は、「光」について詳しいのでしょう。
私は、語り手もまた「光」だったからだ、と考えています。「生まれたて」で「未熟な光」には「なんらの意図」も存在しませんが、語り手には「おまえ」に「スキップの仕方を教え」るという「意図」があります。つまり、「おまえ」と「つなが」りを持っていることになり、「軽さ」の条件から外れています。「生まれたて」の頃の「軽さ」を失った語り手は、「生まれたて」の「光」のような「鋭い光」も失っており、「おまえ」に「軽さを取り戻」させるほどの光も「照射」できなかったのかもしれません。そのため、「影」に「スキップの仕方を教え」、「おまえ」を「覆い尽くさ」せ、「光」の誕生を促した、とは考えられないでしょうか。
(#14へ、つづく…?)
つづきまして、#14です。(残り2つ、書き切れるだろうか…)
#14 君の記憶を見せて 塩むすび
http://tanpen.jp/200/14.html
ある晩、私は目覚めた。夢の中でさえ祖母の顔を思い出せなくなってしまっていた。私は祖母が可愛がっていた犬の首輪と出かけることにした。
かつての散歩ルートを祖母の墓に向かって歩く。
私は首輪を墓に供えた。
この小説は、「私」を視点人物とした一人称小説です。どういうわけか「晩」に「目覚めた」「私」が、「祖母が可愛がっていた犬」がしていた「首輪」を持って、「祖母の墓」を参る、という出だしです。この「晩」は「なんだか生ぬるい夜」で、「満月」が出ているものの「靄のような雲が絡みついていて薄暗」いようです。「私」が「祖母の墓」に「出かけ」た理由は、おそらく、「目覚め」る前まで見ていた「夢の中」でさえ「祖母の顔を思い出せなくなってしまっていた」からでしょう。「首輪」だけ持っていくのは、「犬」がすでに「死ん」でいるためです。
いうことを聞かない犬と力任せにリードを引く私が思い出された。顔を変形させながら抵抗する犬、その脇腹を蹴り上げる私、悲愴な鳴き声。あれから犬は私が手を伸ばすと怯えるようになった。
2段落目では、「私」と「犬」の関係が語られます。「犬」は、「私」に「散歩」してもらっても「いうことを聞かな」かったようですが、3段落目に書いてある「もともと犬は祖母の持ち物だった」ということと、「犬」よりも「祖母」の方が早くに死んだこととを併せて考えれば、元々は「祖母」が「犬」の「散歩」をしていたので、「祖母」ではない「私」の「いうことを聞かな」かった、と推測できます。「祖母」が存命の頃に「犬」が「私」に懐いていたのかどうかはわかりませんが、「脇腹を蹴り上げ」たことで「私が手を伸ばすと怯えるようにな」るほど関係は悪化していたようですし、16段落目に「手を上げ」るという記述があることから、その関係のまま「犬」は死んでいったのでしょう。
祖父を喪った祖母の空洞を癒すために譲ってもらった犬だった。それから祖母は明るさを取り戻していったはずだが、もう思い出せない。遺影の中の切り取られた笑顔からはうめき声しか聞こえない。祖母は苦しんで死んだ。
「私」は「顔」だけではなく、「犬」を「譲ってもら」い「明るさを取り戻していったはず」の「祖母」のことも「もう思い出せな」くなっているようです。しかしこれは、「うめき声」を上げるほど「苦しんで死んだ」「祖母」の姿に上書きされていると考えられそうです。
私は首輪を墓に供えた。思い出せないならもう忘れるしかない。
そのときだった。星屑が墓と首輪に降り注ぎ、そこから女の子が生えてきたのだ。
ははーん、さては犬が化けて出たのだな。
「思い出せないならもう忘れるしかない」というのは、「祖母」のことを「思い出」そうとするのをやめ、積極的に「忘れ」ようということでしょうから、「思い出」そうとしても「思い出せない」ことが、「私」にはおそらく苦しいことなのでしょう。その後、「星屑」が「降り注」いだと続くのですが、「星屑」についての記述はこれだけなので、隕石の欠片ではなく、"星屑かと思うような光る何か"だと考えてもいいでしょう。その"何か"が「降り注」いだ結果、「そこから女の子が生えてきた」と「私」は語るのですが、この「そこから」というのが、どこからを指しているのかがよくわかりません。答えは、以下の引用から探れそうです。
背後で物音がした。振り返ると少女は消えていた。首輪が地面に落ちていた。
「私」にしろ「女の子」にしろ「首輪」を持ったというような記述は見当たりませんし、「首輪」が動いたという記述もありません。また、「私」は「女の子」の姿を見て、すぐに「さては犬が化けて出たのだな」と考えています。以上のことから、「女の子」(上の引用の「少女」と同一人物です)が「首輪」を身につけていた、もっと言えば「首輪」を首につけるような形で「女の子が生えてきた」、と考えられそうです。ということは、「女の子が生えてきた」「そこから」というのは、「首輪」が「供え」られていた場所、と推測できます。
あれから犬は私が手を伸ばすと怯えるようになった。
私は思い切って手を上げたが、少女は無反応だった。
「少女」のことを「祖母」の「犬が化け」たものだと考えている「私」は、 「お手!」 「おすわり」 「ハウス!」と「少女」を犬扱いし、やがて「思い切って」「手を上げ」て探りを入れますが、「少女」は反応しません。それもそのはず、「少女」は「祖母」の「犬が化け」たものではなかったからです。
ふと私たちの目の前を祖母と犬がゆっくりと通り過ぎていった。
この「私たち」は、「私」と「少女」のことです。では「少女」は一体、何ものなのか、というのを、以下の引用から探ってみましょう。
「キャッチボールでもするか」
「フリスビーじゃなくて?」
「前にもこんなやり取りがあったような」
少女は思い出すようにして続けた。
「確か、フリスビー投げるやつがすっごいヘタクソでさ。結局球に変えたんだよ」
「そうなんだ」
「とりあえずおやつくれよ」
「どんなの貰ってたの?」
「ジャーキー。少し歩いたらちょっとだけくれるの。ズルいよな」
「祖母」の「犬」ではなかったにせよ、「少女」は犬ではあったのだと推測できます。「前にもこんなやり取りがあったような」と「少女」の記憶は曖昧なようですが、「祖母」に関する出来事を「思い出せない」「私」と、記憶という点では似た者同士だと言えます。「私」は、「少女」が「祖母」の「犬」ではなかったとわかって、どう感じたのでしょうか。「私」の心情の記述がないため、はっきりしませんが、犬扱いする横柄な態度から一転して「少女」の発言に頷いたり質問で返したりと、遠慮がちな態度に変わったことはわかります。
ふと私たちの目の前を祖母と犬がゆっくりと通り過ぎていった。祖母は穏やかな顔で犬を見つめ、犬は祖母を窺いながらトコトコと歩いていた。信頼し合っているようだった。祖母と犬はやがて四つ辻を曲がってどこかに消えた。
「うめき声」を上げるほど「苦しんで死んだ」「祖母」の姿しか「思い出せな」かった「私」は、「祖母」の「穏やかな顔」を目にします。そして、自分とは「手を伸ばすと怯えるようになった」関係だった「犬」が、「祖母」と「信頼し合っているよう」な様子を目にします。「思い出」の中では「苦し」み「怯え」ていた「祖母と犬」が幸福な様子でいるのを目にした「私」は、「祖母」に声をかけるわけでも、追いかけるわけでもなく、見送ります。それは、呆気に取られていた、というよりも、必要だと感じなかったからでしょう。「思い出」が幸福な形で上書きされたことで、満足したのかもしれません。
背後で物音がした。振り返ると少女は消えていた。首輪が地面に落ちていた。靄はいつしか晴れていて、月は輪郭を丸く光らせながら世界を青く明るく照らしていた。
「私」の「背後で」した「物音」というのは、おそらく「首輪が地面に落ち」た時のものでしょう。「少女」が「消え」た理由は定かではありませんが、「私」に気にしている様子はありません。「私」が、それまで意識していなかった空に注意を向けると、「満月」に「絡みつい」ていた「靄のような雲」が「晴れて」おり、「満月」が「輪郭を丸く光らせながら世界を青く明るく照らしてい」ることに気がつきます。「月は輪郭を丸く光らせながら」「明るく照」っていた、と言えば、単純に光が強く出ていることを言うことになりますが、「世界」を「明るく照らしてい」る、となると、「私」の内面の「世界」が「明るく照ら」された、と解釈できるでしょう。
(#15へ、つづく…かな…?)
つづきまして、#15です。
#15 唾とばしちゅる qbc
http://tanpen.jp/200/15.html
この小説は、「私」を視点人物とした一人称小説です。以下のように分けてみました。
現在①:1段落目から7段落目
政府が始めた結婚相談所について:8段落目から14段落目
現在①の続きと、政府が始めた結婚相談所についての補足:15段落目から30段落目
「私」の「年下の恋人」が「私」の「休日」に、おそらくは「私」の自宅に「やってきて」、「突然ケーキ」作りを始めています。「年下の恋人」こと「彼女」は、「私」と「二人でいる間中はほとんど嬌態ばかりをしめ」しているようで、「私」の「鼻」に「メレンゲ」をつける「悪戯」をするのも、どうやらその一環のようです。
私たちは運命の二人だった。互いに互いが自分の半身だ。
うそじゃない。
まだケーキ作りをしている彼女に、私は言った。
「唾とばし」
「ちゅる」
私たちは性格も合っていたし、体の相性も抜群だった。何より一番驚いたのが、この唾液交換に一切嫌悪感がないことだった。
私の唾を、彼女は飲むのに抵抗がなかった。
唾とばしちゅる。この行為の名称。
「私」が上の引用のように思うほどの「彼女」との出会いが、8段落目以降で明らかになります。
政府が結婚相談所を始めた。
この革新的行政サービスは、誰でも受けられるわけではなかった。他人が決定したことに従順であることが、受給資格の必須条件だった。
そして一か月後、私は役所から彼女の連絡先を教えられた。
「私」は、「行政サービス」としての「結婚相談所」を通じて「彼女」と知り合ったようです。「性格診断アンケート」への回答、「何百という異性の画像を見」ることでの外見の好みの回答、男性器の「形状」および「性欲傾向」の調査などを受けさせられた「私」は、その結果「彼女の連絡先」を得たようですが、何よりも「私」が「他人が決定したことに従順であ」ったため、「彼女」と出会えたようです。
またこれもすごいが、このサービスを受けても結婚を強制したり、追跡調査をしたりされない。
ごくわずかの例外を除き、あまりにベストカップルなので結婚しないはずがないからだ。
「ごくわずかの例外を除き、あまりにベストカップルなので結婚しないはずがないからだ」と「私」が語っていることから、この「結婚相談所」の利用者の婚姻率は非常に高いのだろうと推測でき、また、サービスが開始されてから日が浅いものでもなさそうだと考えられます。
「私たちは国家に飼われた幸福な羊だ」
綿密な調査に基づく結婚マッチングは、研究開発に膨大な費用がかかったらしい。しかしそれでも帳尻は合うそうだ。
従順な二人の人間は大人しく税金を納め、やがて子供を作る。そして羊の子は羊だ。
「やがて子供を作る」「従順な二人の人間」と語られていることから、女性側も「結婚相談所」で「私」と同じような審査を受ける必要があるのだと推測できます。つまり、「私」も「彼女」も「他人が決定したことに従順である」のでしょう。この「他人が決定したこと」には、もちろん、「結婚相談所」が「マッチング」した「異性」のことも含まれると考えるべきでしょう。
結婚は時間の問題だった。
まあ結婚を政府が強制したら人権侵害だが。
「結婚相談所」による「マッチング」の「受給資格」者全員が「他人が決定したことに従順である」わけですから、当然「政府が強制」しなくても「ごくわずかの例外を除き」「結婚」に至るでしょう。これでは「政府が強制」するのとほとんど変わらないわけですが、「私」は、「結婚」するかどうかの最終決定権は「二人」にあるのだと考えているようで、「強制」されていることを意識していません。
「私たちは国家に飼われた幸福な羊だ」
従順な二人の人間は大人しく税金を納め、やがて子供を作る。そして羊の子は羊だ。
「私」は、自分と「彼女」が「国家に飼われた幸福な羊だ」という認識を持っていますが、それは「大人しく税金を納め、やがて子供を作る」という意味での「羊」のことのようです。しかし、何か血なまぐさいことが脳裏をよぎったのか、以下の引用のように考えます。
あと、それからきっと、まちがいなく戦争もなくなるだろう。
メスの奪いあいは争いの火種なのだから。
引用の1行目の「戦争」は、"平和"の対義語としての「戦争」だと思われますが、2行目の「争い」は、個人的な「争い」をあらわしていると思われます。#10を読んだ時に引用した"セカイ系"の定義を、ここでも見ておきましょう。
主人公とヒロインを中心とした小さな関係性の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと
これを言い換えれば、「私」と「彼女」を中心とした小さな関係性の問題が、「メスの奪いあい」という「争いの火種」を挟んで、"平和"の対義語としての「戦争」といった抽象的な大問題に直結している、となるでしょう。これをさらに言い換えて、以下のようにしてみます。
「私」と「彼女」という小さな関係性が、「政府が強制」するのとほとんど変わらない「結婚マッチング」によって生み出され、その結果、"平和"がもたらされるだろう
こう並べてみると、「国家」による「人権侵害」の果てに"平和"がある、というのと、ほとんど同じです。
(#16へ、つづく…はず!)
ラスト! #16です。
#16 そこに怪物はいる 世論以明日文句
http://tanpen.jp/200/16.html
この小説は、いわゆる「神の視点」で書かれていますが、「奴」を視点人物とした三人称の部分と、「あなた」に語りかける二人称の部分とが、まざり合っています。これを以下のように分けてみます。
「奴」視点の三人称:1段落目から3段落目
神の視点:4段落目から5段落目
「あなた」などに語りかける二人称:6段落目から7段落目
では、1段落目から見ていきましょう。
奴は大化の元号と共にやって来た。深い谷から姿を現し、最初は一枚の田を襲った。米を喰い尽くし腹を満たすと、荘園を治める領主を襲って、脳をNoと言わせずに乗っ盗った。
Wikipediaによれば、「大化」とは「日本で最初の元号。白雉の前。西暦でいう645年から650年までの期間を指す」とのことですので、「奴」が「深い谷から姿を現し」て「やって来た」のは645年だと考えられそうです。「奴」は、「一枚の田を襲」い、「米を喰い尽くし腹を満たすと」、「荘園を治める領主」の「脳」を「乗っ盗」るのですが、「大化」の時代の「領主」が「No」とは「言わ」ないでしょうから、「奴」視点の三人称で語られていることを踏まえて、「奴」は少なくとも日本語圏の存在ではないと考えられそうです。
Wikipedia - 大化
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8C%96
2段落目では、「奴」の「姿」が列挙されています。「アメンボの態」をしており、「体高は七尺」、「竿のように長い足を伸ばすと二丈余りに広が」る大きさのようです。それで、「領主」の「脳」を「乗っ盗った」「奴」が何をしているのか、というのが、以下の引用になります。
その巨躯を領主だった者の頭の上に乗せ、光を吸い込む真っ黒な瞳でいつも人間を見下ろしていた。床の前で操る体を厚い座布団に座らせ、家中に命令をしていた。
領主の体は欠かさずにキセルを吹かしていた。奴はその紫煙を吸い込み、自分の卵の養分としていた。必要な身振りは領主の体にさせ、養分を摂って卵を産むことに専念していた。
「奴」は、「必要な身振りは領主の体にさせ」て「家中に命令を」する一方、「領主の体」に「吹か」させた「紫煙を吸い込」んで「自分の卵の養分とし」、「卵を産むことに専念してい」るようです。「奴」は「最初」「米」を食べていましたが、1段落目以降で「奴」が「米」を食べている記述はありません。「腹を満たす」という感覚があるのですから、空腹を覚えることもきっとあるはずですが、「紫煙」で「腹を満た」したという記述は見当たりませんので、「紫煙」はあくまで「卵の養分と」するためのものなのでしょう。しかし、「紫煙」が、どうして「卵の養分」になるのかの理由になるような記述は見当たりません。
奴自身は巨躯だが卵は小さく、白くて米粒と見分けがつかなかった。卵は収穫された作物に混ぜられ、一緒に宮古に納められた。
「奴」が「産む」「卵」は、「奴」が一度だけ食べた「米」と「見分けがつかな」い見た目をしているようです。ところで、「卵は収穫された作物に混ぜられ」ていた、という記述を読むと、ある疑問が湧いてきます。そう、「奴」は目に見えるのか、「卵」は目に見えるのか、ということです。「奴」は「七尺」ある「巨躯を領主だった者の頭の上に乗」せているわけですが、「脳」を「乗っ盗った」のが「領主」一人だけで、「家中」は含まれていない以上、「奴」が「家中」に見えていれば当然、攻撃されているでしょう。攻撃された、とも、別のやり方で「家中」を制圧した、とも書かれていないのですから、「奴」は目に見えない、と推測できます。続いて「卵」ですが、「領主だった者の頭の上」で「卵を産むことに専念してい」る「奴」が、自ら「卵」を「収穫された作物に混ぜ」ているとは考えにくいですし、「奴」がサイコキネシスを使って「作物に混ぜ」ているという記述も見当たりません。とすると、「家中に命令をして」「作物に混ぜ」させていることになると思いますが、「脳」を「乗っ盗」られているわけでもない「家中」が、目に見えない「卵」を「作物に混ぜ」るなんてことはできそうにないため、「卵」は目に見えている、と推測できます。
時は令和、奴は活動を息長く続けている。村では米、麦、蕎麦を生産している。年中、それを村から無数のトラックが運び出している。
「大化」が出てきたのですから、「令和」というのは2019年5月以降を指していると考えられます。「奴」は「活動を息長く続けている」そうですが、「領主の体」が1400年近く腐敗せずに残っているとは考えにくいので、「領主」に代わる何者かの「脳」を「乗っ盗っ」て「活動」しているのでしょう。そして、同じ段落に続けて「村」が出てくるので、その"何者"は「村」の人間なのだろうと推測できます(しかし、6段落目に「今も領主の躯の上でこちらを見下ろす奴の姿」という記述があります。「領主の体」は「今も」健在?)。また、「村では米、麦、蕎麦を生産している」とありますが、「卵」が似ているのは「米」だけなので、「無数のトラックが運び出し」ているという点で重要なのは、「米」だけです。
さて、「米」に紛れた「卵」を食べた人間が、どのような状態になるのかが、5段落目に書かれています。以下に、症状として書き出してみます。
「少しずつ気力を失っていく」
「同じ言葉を繰り返すようになる」
「自分と他人の意思に境がなくな」る
「何かに属することに生きがいを得る」
これらの症状は、6段落目で「気力」という問題に集約されます。そして、その際に、「卵」に代わって「奴の虫」が登場します。(「卵」が目に見えるのですから、「卵」から孵った「奴の虫」も目に見えると考えられます。)
全ての人間が奴の虫を体内に飼っている。気付かずに卵を摂取し、育て続けている。
そいつはあなたの気力を好物にして育っていく。すると人間はだんだん、夢を持ったり、自分の道を進もうとしたりすることに、気力が注げなくなっていく。
「少しずつ気力を失っていく」という症状は、「奴の虫」に「気力」を吸い取られることで起こることがわかりました。(ところで、「奴」が「産」んだ「卵」から「虫」が孵るのだとすると、「奴」もまた「虫」だということになりそうです。)「奴の虫」がおこなうのは「気力」を吸い取ることだけなので、「夢を持ったり、自分の道を進もうとしたりすることに、気力が注げなくなっていく」というのは、「卵」を「摂取」したことで直接、出る症状というわけではありません。だからこそ、語り手は、以下の引用のように「あなた」に呼びかけるのでしょう。
そんな時は、今も領主の躯の上でこちらを見下ろす奴の姿を思い起こせ。真っ黒い瞳が今もあなたを見ている。屈しようとするあなたを、もの言わず奴は見下している。
「思い起こ」す、というのは、"思い出す"のと同じ意味ですから、語り手に呼びかけられている「あなた」は、以前に「領主の躯の上でこちらを見下ろす奴の姿」を目にしていたことになります。では、唐突に登場する「あなた」とは一体、何者なのでしょう。「あなたも嫌な虫に吹かれるのを感じることがあるだろう」と呼びかけていることを考えると、おそらく"読者"を指しているのだと推測できます。とすると、「領主の躯の上でこちらを見下ろす奴の姿」を目にした"以前"とは、2段落目の記述のことを言っているのだと推測できます。(ところで、この段落まで来ると、2段落目にあった「光を吸い込む真っ黒な瞳」の「光を吸い込む」の部分が、「気力」を吸い取る、を言い換えた表現なのかもしれないと推測できます。)
人間よ。抗え。負けるな。臆病風という怪物に。
最終段落では、「気力」の問題が「臆病風」という言葉に集約されています。この「臆病風」は、「夢を持ったり、自分の道を進もうとしたりすることに、気力が注げなくなっていく」ことを指していると考えられます。「臆病風という怪物に」という文は「臆病風」を「怪物」に例えた比喩表現ですので、以下のように言い換えられるでしょう。
人間よ。抗え。負けるな。臆病風に。
さて、「奴」から「臆病風」までの流れをまとめてみましょう。
「奴」(目に見えない) > 「卵」(目に見える) > 「奴の虫」(目に見える) > 「臆病風」(目に見えない)
これを、以下のように言い換えてみます。
脳を乗っ盗られる(目に見えない) > 気力を失う(目に見える) > 夢を持ったり、自分の道を進もうとしたりすることに、気力が注げなくなる(目に見えない)
どうやら、「怪物」に「屈し」た「人間」は、「気力を失っ」たように見えるようです。
(おしまい)