第200期 #14

君の記憶を見せて

 ある晩、私は目覚めた。夢の中でさえ祖母の顔を思い出せなくなってしまっていた。私は祖母が可愛がっていた犬の首輪と出かけることにした。
 満月には靄のような雲が絡みついていて薄暗く、なんだか生ぬるい夜だった。かつての散歩ルートを祖母の墓に向かって歩く。いうことを聞かない犬と力任せにリードを引く私が思い出された。顔を変形させながら抵抗する犬、その脇腹を蹴り上げる私、悲愴な鳴き声。あれから犬は私が手を伸ばすと怯えるようになった。
 もともと犬は祖母の持ち物だった。祖父を喪った祖母の空洞を癒すために譲ってもらった犬だった。それから祖母は明るさを取り戻していったはずだが、もう思い出せない。遺影の中の切り取られた笑顔からはうめき声しか聞こえない。祖母は苦しんで死んだ。犬もほどなく祖母を追うようにして死んだ。

 私は首輪を墓に供えた。思い出せないならもう忘れるしかない。
 そのときだった。星屑が墓と首輪に降り注ぎ、そこから女の子が生えてきたのだ。
 ははーん、さては犬が化けて出たのだな。
 私は少女に話しかけた。
「もしかして君って『お手』とかするの?」
「はあ?」
「お手!」
「しないっての」
「おすわり」
「だからしねえよ」
「ハウス!」
 少女はうるせえ奴だなと言って舌打ちをした。
 私は思い切って手を上げたが、少女は無反応だった。なので試しに頭を引っぱたいてみた。
「いってえな……」
 少女は信じられない勢いで前蹴りを繰り出した。鳩尾にヒットして私はダウン。すかさずサッカーボールキックが飛んでくる。チカチカとする意識。鼻を衝く鉄の味。

「キャッチボールでもするか」
「フリスビーじゃなくて?」
「前にもこんなやり取りがあったような」
 少女は思い出すようにして続けた。
「確か、フリスビー投げるやつがすっごいヘタクソでさ。結局球に変えたんだよ」
「そうなんだ」
「とりあえずおやつくれよ」
「どんなの貰ってたの?」
「ジャーキー。少し歩いたらちょっとだけくれるの。ズルいよな」
 ふと私たちの目の前を祖母と犬がゆっくりと通り過ぎていった。祖母は穏やかな顔で犬を見つめ、犬は祖母を窺いながらトコトコと歩いていた。信頼し合っているようだった。祖母と犬はやがて四つ辻を曲がってどこかに消えた。
 背後で物音がした。振り返ると少女は消えていた。首輪が地面に落ちていた。靄はいつしか晴れていて、月は輪郭を丸く光らせながら世界を青く明るく照らしていた。



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