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Re*9:66期感想

こんばんは。

「糞の礼」が予選落ちしコンテストと関係がなくなりましたので、内容についての観点からもコメントを残しておきます。不粋で恐縮ですが、ここまで作品まわりのことを話したので、むしろこの外部の雑談の方に価値があると思いましたのでお許しをいただきたいです。

「糞の礼」は実体験に取材しました。起きたことも語り手が感じたことも私が見たこと思ったこと体験したことです。自分にしては珍しいのですが、川野くんが今期で最後の投稿をするという旨の発言をしていたので、それに合わせて自分も実体験に基づく川野くんの作風と思われる私小説風の話を書こうと思ったのが執筆動機です。
※もちろん言葉に起こした時点で、実体験も小説ということになりますし、意図的に描写を省いている箇所もあります。
※※川野くんが今月最後というのは私の勘違いで、来月までの投稿のようですが。このあたり、訂正ありましたら申し訳ないのですが川野くんよろしくお願いいたします。
※※※長月さんの感想(http://tanpen.jp/bbs/nbbs.cgi/temp/601)にありました「主人公の後姿を俯瞰している結果になる」、それを受けての三浦さんのコメント(http://tanpen.jp/bbs/nbbs.cgi/temp/603)「qbcさんの作品の語り手は、いつも読者の隣にはいなくて、常に小説の中にいるように私が感じていたからだと思います」というのも、既存作品と違うスタイル=私小説風で書かれているからだと考えます。だいたいの既存作品の場合、「作者であるqbc///小説の語り手///小説」という三層のレイヤーで分けられると思いますが、「糞の礼」の場合、それが二層から成っている――すなわち「作者であるqbc=小説の語り手///小説」――からではないかと考えます。

川野くんの投票感想にあった(http://tanpen.jp/vote/66/pre/5.html#date20080331-005758)一節なのですが、「みんな腹に溜まっている感情とか色々を文章にぶちまければいい」というあたり、「糞の礼」は自分の見たままを書き、「俺の名前がなぜ省かれていたのかは謎だ」と普段は出さない本心を吐露させたにも関わらず、「何をも語ってはいない文章」と評されたのにはショックでした。「糞の礼」において自分にとってどうでもいい世界に対してどうでもいい気持ちでアプローチし、しかし行為としては他人と同じようにしたというのに、結果としてなぜか自分だけが除外されてしまっていたという自分の気分を描くには、やはり、そのまま書くのでは伝わらなかったのではないかと考えます。
本心をぶちまけた「糞の礼」が受け入れられず、むしろ正反対に理解されるに及び、つまり「語る」とは「騙る」ことでは、という認識をあらたにしました。
※蛇足ながら「普段は上手く喋れない人(俺のようなやつ)が文章を書くと饒舌だったりする」と言うけれども、どんなに現実に饒舌であってもその饒舌さが限りなく表面的なものであるという人間もいて、言葉は言葉で、言葉にならない心情は言葉にならない心情で、小説は小説で、現実は現実で、人間は人間で、自分は自分で、他人は他人で、すべて別のものだと思う。どこかで満足できない不満を自分の得意な場所で違う形で発散しているだけだろうと思う。
※※また三浦さんの解説(http://tanpen.jp/bbs/nbbs.cgi/temp:t/587)ですが、これは「書いているもの以上のものを生み出す」(http://tanpen.jp/bbs/nbbs.cgi/temp:tn21/504)というもので、翻車魚(http://tanpen.jp/bbs/nbbs.cgi/temp:t/588)さんの仰るとおり、「作品そのものよりも興味深」いものだろうと、口惜しく思っております。
「糞の礼」のテーマを一言で表すならば、「世界と、なぜかその世界から除外されている俺」で、ただ世界に関しては、「生の営み」といったあたりを暗喩するよう、解釈にゆらぎがでるように場面、表現の取捨選択を行なっております。「笹川さんが言う。/「しかたがないよな」/笹川さんの結婚相手は不妊症で子供がいない。」という箇所の理解は特に読者の感覚に任せています。その「生の営み」を、先に述べたように三浦さんのようにあそこまで具体的にイメージされるとは意想外で嬉しく思いました。

「書き慣れてしまい整理整頓されたものからいかに逸脱するべきか」という問題の中で、先月の「せぶんてぃ〜ん」(http://tanpen.jp/65/22.html)という作品は個人的に面白い優勝の仕方をしたと思っております。そもそも「せぶんてぃ〜ん」は「短編」サイト自体に対する嫌がらせを念頭において投稿したもので、非現実的なハーレム状態を作品内に構築することによってまず読者に不快感を与えることを第一意としたものでした。
通例の投稿作品は読者に快感を与えることを前提にして書かれたものが多い中、不快を目的として書かれた「せぶんてぃ〜ん」が優勝したことは、まずもってqbc自身の執筆態度自体が「逸脱」問題と関係してくるのではということを示唆しているように感じます。
すなわち読者に対してどのような気分、気持、態度で接するかということ自体を変容させることが逸脱の契機となるのではないか。
※「せぶんてぃ〜ん」は不快を与える目標だけではなく、決勝にてmakiebaさんからいただいた投票感想(http://tanpen.jp/vote/65/fin/22.html#date20080307-215111)の「途轍もなく現実的な物語として読まれるべき」というあたりが、書き手としての狙いに対して正鵠を射ていると思っております。東大和市一夫多妻男事件(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%B8%82%E4%B8%80%E5%A4%AB%E5%A4%9A%E5%A6%BB%E7%94%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6)が私の中で布石としてありましたし、作中にて「おうちにいるだけでいいからね」という台詞を放った人物のモデルの落合祐里香は「ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れないCD」(http://www.edge-records.jp/title/nemurenai/02yandere.php)にキャステイングされています。

たけやん(http://tanpen.jp/authors/52-7.html)さんに関しては、三浦さんの感想(http://tanpen.jp/vote/58/fin/16.html#date20070803-215250)にありました「俳諧」というキーワードを見、これで正解だろうと思いました。「俳諧」について私は語れるほど豊かではないのでコメントしづらいですが、とまれ、私なりに解釈すれば、くだらなく、つまらなく、どうでもよいことを、すばらしく独特に上品に表現することではないのかと思います。
※戦場ガ原蛇足ノ助(http://tanpen.jp/authors/9-10.html)さんからもそのにおいがかすかにするように私は思います。
※※ところで三浦さんの作品はいつも既存から「逸脱」しているかと思います。同じテーマに対して、数回にわたりアプローチすることもありますけれど。しかしご本人にとっての認識では違うのかもしれませんが。
※※※2000年頃のテキストサイト全盛期においては、「日常」を個性的な視点で捉えたどこにでもいる普通人の書いた文章が愛好されていたように思います。なにか大儀があるわけでもなく、理論があるわけでもなく、ただただ風変わりであること、物珍しいこと、愉快であること、を中心に据えた文章が。ゆえに短編初期参加者ほど、そういった文章を指向する書き手が多かったように思います。

長文失礼。

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