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第66期予選時の、#5ナレーション(K)への投票です(1票)。

2008年3月31日 0時57分58秒

「もっと評価されるべき」タグを付けたい。ラストが二番煎じとか三番煎じなどという話はどうでもよく、つうか、それは短編内の話なんだから全く些細に過ぎることじゃないか。べつにツチダさんが編み出した技法でもなかろうさ。んで作品の感想に戻りますが、まあ大したことは言えないんだけど、一人語りに徹しているのが心地好いというか、「話者」と「読者」以外の不可解な存在が省かれているのが清々しい。べつのいいかたをすれば、他の作品は小説というよりテレビドラマの脚本のようで、よく知らない登場人物の台詞と動きが説明されているだけで、何をも語ってはいない文章が多いのかなと思いました。おそらくはその典型例がqbcさんの『糞の礼』で、この作品はきっと映像としては面白いのだろうけど、逆に、その映像を面白がることを強要されているみたいで、なんだかなあという気はします。作者が何を語ろうとしているのか全く掴めない。ていうか語る気あんのか。すみません言い過ぎました。今度会ったら殴っていいですよ。またまた話が逸れたのでKさんの『ナレーション』に話を戻すと、普段は上手く喋れない人(俺のようなやつ)が文章を書くと饒舌だったりする、つまり文章を書くことで声を取り戻している人の書いた小説、それが『ナレーション』だと思いました。そんでもってついでに自分のことを書くと、俺は小学生のときに放送委員を務めていて普通にべらべら喋くっていたのだけど中学から高校にかけてひどい無口になって、高校を出てから文章を書くことで声を取り戻した気がしていたから、この作品にはかってに共感を覚えたりしたのだけど、勿論のこと作者がどんな意図をもって書いたのかは知らないし、ひどい誤読をしているのかもしれない、だからKさんが普通に饒舌な人だったりしたら申し訳ない、すみません。しかしあらためて書くけど、この作品が評価されないようでは短編読者の質が知れる、というのは言い過ぎというもので、すみません言い過ぎました。皆さん俺を殴ればいいと思います。こんな感じの文章を書くと長月さんあたりから「川野くんらしくない」と言われそうだから、もっと書いちゃうけど、みんな腹に溜まっている感情とか色々を文章にぶちまければいいのに、なぜに読み手を意識してばかりいて「語り」を自ら抑制しているんだろうか。語りたいことを語ればいいのに。読み手なんか置いてけぼりでいいじゃん。酔った勢いで書きなぐった文章を投稿すればいいじゃんか。どうせ小説なんか何を書いたって恥ずかしい行為なんだから、恥の大小を気にするのは無意味だろうさ。どうせ全裸で走るなら恥部を押さえながらよたよた走るよりは全力疾走したほうが逮捕されづらいんじゃないかと思う(解りづらい比喩だ)。ていうか何の話だっけか、もはや感想じゃねー。このまま突っ走ってコメントの文字数制限に挑戦してみたいな。設定されてるんでしょうか北村さん。もしもここまで読まれていたらえらいこっちゃだ、というより恥ずかしい。セリヌンティウス。メロスは眼に涙を浮べて言った。私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。川野は、ひどく赤面した。(川野)

参照用リンク: #date20080331-005758


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