第66期 #5

ナレーション

 やんや、ささ、ええ、そのようにしてこうしているわけでございまして、他に何の理由も無いのでございます。部屋の中には男がひとり倒れており、うつ伏せに倒れこんだ頭部の辺りからは血が流れだしておるのです。今のところそれだけでございます。がらんとした部屋には一見すると、他には何も無いような気さえいたします。いやいやさ、そんなことなどございません。そこにはテーブルも、テレビも、カーテンもありませんが、それらが無いことが「何も無い」で済まされる道理は見当たらないのでございます。「何も無い」ことなどございません。壁面はコンクリートでしょうか、電気も無い部屋でありますので、冷たい印象を与えることは間違いがないでしょう、小さな窓から明かりがうっすら差し込んでおりまして、一目には朝か昼か夕方なのか、判然とはしません、ああ、時間は過ぎてまいります。こんなことを申しているうちに、ひとたびこの男さえ動き出してくれればどれくらい助かることでしょう、日が傾くまでには遠いものです、私は休憩をすべきでしょうか。しかし休憩することは、幾分個人的なお話になりますが不都合というものですよ、ええ。いやはや、この男は動かないのでございます。個人的なことを申せば、私の気持ちの中では、果たして「この男」という言い方が適切なのかどうなのかという問題が先ほどから頭をもたげているのでございます。彼が生きておれば、それですんなり、万事良好に行くでしょうところが、もしかすると、死んでいるという可能性もあるではないですか、頭から血が流れておるというところからも、そう考えるのは自然でございます。そういたしますと、「この男」より「この死体」ではないですか。生きているのか死んでいるのかわかったものじゃありません、あるいは、生きさせられているか、死なされているか、そんな、ああ、私は何の話をしているのでしょうか。私の考えることなどこの場面と何の関係もございません、いや、果たしてそうでしょうか。死んでいるのか生きているのか、そのどちらでもないような気もしておるのでございます。硬質な壁面は、灰色に煤けており、それが余計に血の赤さを演出しているのでございます。演出!私はなんということを口走ったのでございましょう、そんなことは言わなくても良いではないですか。しかし、む、今、男の手が少し動いたような、それは錯覚かもしれませんが、きっとこの男は生



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