第66期 #6

求ム、

 玩具や電化製品にはたいてい説明書がついている。ああいうものがほしい、と強く思った。馬が合わない上司と上手に付き合う方法を教えてくれる何か。説明書ならば出会い方から明記してあるに違いない。第一印象で重要なことや注意点、相手の反応の傾向と対策も。
 出会いが悪かったような気がする。失敗して初めて直に会話した。双方に過失があったのだが、相手は腐っても上司、頭を上げてはいけない。
 悪い人じゃあないんだけど、と互いに感じているはずだった。信頼していないわけではないし、能力も認めている。しかしどうしても必要以上に構えてしまう。だからなかなか会話ができない。
 たとえばその上司から「おいしいお菓子をあげるよ。でもみんなの分があるわけではないから、此処にいる人にだけ」と高級そうな菓子を賜ったとする。本当ならばすぐに頂戴して礼を言えば済むのだが、そのときちょうど手が離せない作業をしていて、とても席を立って茶を淹れたり、高価そうな菓子を愉しんだりする心境にないとする。かといって礼を言うためだけに、滅多に食べられない菓子を味わいもせずに食べてしまうのは勿体なくてできない。結局、仕事が一段落してから一人で堪能し、礼を述べる時機を完全に逸することになる。それでも礼を言わずにはいられないし、この菓子が何処で手に入るのかをどうしても訊いてみたいとする。だが話しかけ難い。職場の全員が馳走になったのではないので人目が憚られ、仕事以外の質問を勤務時間中にしてもよいものかどうか戟しく悩む。意を決して一週間後に丁寧に礼を言うが、上司には「そんな昔のこと」と冷たくあしらわれる(であろう)。とても心地よい関係とは言えない。
 かくして説明書を開きたくなる。巻末のFAQ頼み。何故だ、何故わたしたちはうまくいかないのだ、何がいけないのだ、どこで間違えたのだ。しかし書かれていることは単純かつ簡単なことばかりで、最初からきちんと守っているつもりだ。
 もし玩具ならまだ方法がある。販売店に駆け込んだり修理に出したりするだろう。ふとテレヴィを見ると或るプロヴァイダーが、困ったときにはインターネット経由でパソコンを自動操作してくれると広告していた。なんと便利な。ぜひ当方の上司も操作していただきたい。否むしろ、わたしを操作してくださっても一向に構わないのだが、と思い至って、それまで裏紙に書いていた上司取扱説明書の原稿を破り捨てた。



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