第66期 #7
「玲ちゃん」
「なに」
「知りたい?」
「は?」
「わしの全部」
「なんでも知ってるわ」
「ちゃうねん。古い話のことや」
「どうでもええわ」
「知りたないん?」
「知りたない」
「おもろい話やで」
「ひとのお金とってた話なんか聞きたない」
玲子は段々イライラしながら、枝豆を口にほりこむ。夫の剛が昔チンピラだったことは玲子には関係ない。足を洗った、きれいさっぱりや、といった言葉を玲子は信じた。なのに、剛は昔話をする。
「玲ちゃん、あの話とちゃうんやで」
「じゃあ何」
「わしのおじさん、NASAにおるねんよ」
「ナサ?」
「宇宙の」
「え」
「知らんかったやろ」
「うん」
「わし昔、おじさん訪ねて東京行ったことあんねや。牛丼おごってくれてな。わし悩める青年やってん」
「ふーん」
「おじさんもな、天才目指してるけど天才なれへん悔しい、ゆうてな」
「はあ」
「わしも男がすたるとおもて大阪の掃除屋になってん。兄貴に会うまでの話やけど」
「兄貴? チンピラやめろてゆうてくれた大工さん?」
「あー兄貴のピッツアはうまかったな」
「あんたのんもおいしいで」
「この店にもあるやろ。おっさん! 海鮮ピッツア」
あいよ、と料理人はないメニューに応じた。玲子はビールをおかわりした。オープン戦でも阪神が負けた夜なので客は荒れている。子供が玲子のところにやってきて「あげる」と言った。虎の袋の中のチョコレイトだった。おおきに。玲子は子供の頭をなでてやった。人の子でも子供はかわいいなあ、それにしても剛の伯父がNASA? 全然オチてないやん、と玲子は思った。
「おじさんの話やけどな、おじさんは猿と友達になって、その猿が東京歩いてんねん」
剛が意味不明なことを喋り出したので、この人ほんまもんのアホになったか、と玲子は話を上の空で聞いていた。剛がアホになってもかまわなかった。元々最初からこうだったのだ。
天才を目指す、という言葉が玲子に、昔を思い出させた。古い女友達が同じことを言っていた。彼女と遅くまでブックバーで飲んだり、剛のような原始人を交えて、谷崎の小説めいた遊びをしたこともある。
「虎ノ門の講堂で猿に渡してって」
剛は「サルのまごころ」と記された太い乾電池と報酬の小切手をみせた。
「その猿が3+9は? ってきくんやて」
3+9、サンキュー? 玲子は冷静に――答は、どういたしましてやろ。
「ちゃうねん、産休、子作り、ジュニヤときて答は12や」剛は玲子の唇をみつめて言った。