第66期 #4

追い風

最近とにかく追い風が強い。ベッドの中でも強かった。その風は透明でもなく、だからって口で言える色もなく匂いもなくて、乾いてもいなかった。もちろん、掴める訳がない。だから、分析することもできない。精神科に行く。正常だから心配するなと医者は云う。神経科にも行った。眼科にも行った。
――耳鼻咽喉科?
医者の誰もがみんな、がっかり“あー”と溜息ついて笑っていた。
「あー」
通勤の車の中でも強かった。閉め切って、エアコンだってつけてない。FMから演歌が流れる。勘が働いてこれではないかとボリュームを下げる。やっぱり風は強かった。
――諦めて音量を上げる。
髪がなびいてイライラした。
「あー」
ボーナスが出たので、顕微鏡を買った。風呂場で髪を切って睨んでみた。見えたって、フケでしかない。驚いても白髪でしかない。何本観ても、結果はまったく変わらない。
――恋人に相談した。
もちろん、腹を抱えて笑っていた。
「だってスキンでしょ? 君」
手を当てる。
――なびいている。
やっぱり幻覚だよと医者に走った。
「あー」
ある日、俺は経験を踏まえて、この風が、午前中は向かって右から、午後は向かって左から、夜は正面から吹くのが理解できた。扇風機を買ってきて、追い風を巻き立てて、ともかく急場を凌ぐことにした。夜はうつ伏せて扇風機を吊るす。それはとても的確であって、風は丁度良く混ぜ合わさって止んでくれ、やっと生活はそれまでの正常に戻ってくれた。恋人は「お願いだから別れてよ」と云ったが、「そのうち慣れるから辛抱してくれ」と俺がせがむと、「じゃあ、2ヶ月ね」と時限を決めた。俺には自信がある。
――季節が変われば風も止む。
今が梅雨なら半月あれば万事休すと、二つ返事に受け入れた。
「冬になった」
恋人とは結局、別れた。風が強いくらいで難癖ならこっちが願い下げだとあしらった。恋人は泣いていた。ざまみろと冷ややかに思った。
――リストラされて年末遊んだ。
1台目の扇風機、プロペラ腐って飛んでいった。
「あー」
俺は覚悟を決めて盗みに入り、銃器屋からピストルを奪った。恐らくこの風は生きているから撃ち殺そうと考えた。午前中、右手を撃ったら人にしか中らなかった。午後、左手を撃っても人にしか中らなかった。夜、後頭部に銃口をあてた。
――これで楽になる。
これで正常に戻ると向かい風に向かって親指を曲げた。
「あー」
追い風が吹いている。いつまでたっても止む気配なんてない。
 



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