第40期 #32

消しゴム

「何でお前の名前、竜馬やねん。坂木竜馬やなんて、まるきり坂本竜馬のウソモンやんけ」
三年のクラスがえで一緒になった級友にそう言われて、はじめて竜馬は坂本竜馬のことを知った。何も知らなかったほかの級友たちも、そのうちに竜馬のことを「ウソモン竜馬」と呼びはじめ、しかも坂木と坂本で、一本線が足りないだけだったから、ちょっとした失敗をする度に「坂木竜馬は一本足りん」と囃し立てた。

「何でオレの名前竜馬やねん」
「あんたのお父さんがそう付けましたんや。あんたがちっこい頃、あんた膝の上に乗っけて、何であんたが竜馬なんか言ってきかせてましたんやで」
 ある時、母親に訊ねてみたが、そう言われるだけで、肝心の理由は教えて貰えず、竜馬は「坂本竜馬がえらなったんがいかんのや」と悪態をついた。

 竜馬が、四年生になる頃には、級友たちもさすがに飽きてきたのか、以前のように囃し立てることはなくなってきた。竜馬が万引きしたのはそんな四年の秋のことだった。
 その日、宿題のノートを忘れ、久しぶりに「竜馬はやっぱりイチヌケや」と言われた竜馬は、坂本竜馬が偉い人やったんなら、坂木竜馬は悪いやつになってやろうと、学校帰りの文房具屋で、消しゴムを一つ盗んだ。
 消しゴム一つでは全然悪いやつでもなんでもないと思いながらも、家が近づくにつれ、ポケットの中の小さな消しゴムがどんどん重くなっていくように思え、家に帰ると、ただいまも言わず、自分の部屋に飛びこみ、消しゴムを取り出し睨みつけた。真新しい消しゴムは、まだ角が四角いままで、それで酷く憎たらしく思えた。
 机の上に出しっぱなしになったままのノートを見つけると、竜馬は、何も知らぬげな真っ白い消しゴムを自分と同じように汚してやろうと「坂木竜馬」と書かれた自分の名前から一番偉そうな「竜」という字を消した。一本足りん「木」という字は自分に似合いだと思い、次に「坂」という字を消した。すると消しゴムのカスが散らばるノートの上に、「木馬」という字が残った。竜馬は自分がウソモンで、消しゴム一つしか盗れんちっこい奴であるだけでなく、木馬に隠れてだまし討ちをしたという昔の卑怯モンでもある気がしてきて、なにもかにもが憎たらしくなり、「父ちゃん、何でオレに竜馬やなんて名前付けたんじゃ」と、言った。
 竜馬に握られたままの、削れて角の取れた消しゴムだけがその言葉を聴いた。



Copyright © 2005 曠野反次郎 / 編集: 短編