第3期 #9
これは私がほんの短い間滞在した港町での出来事です。
港町といっても小さな港でしたので、宿泊したホテルも小さくオンボロなものでした。部屋の中にいると霧笛の音が聞こえてきます。
そんなホテルでの滞在が一週間も過ぎたころでしょうか。夕方、ふらっと散歩にいきますと、埠頭で釣り糸を垂らしている少女を見かけました。私はしばらく少女を眺めていましたが、釣果は全くないようでした。白い大きな帽子のため少女の表情を窺い知ることは出来ません。
その日だけでなく、次の日の夕方も、またその次の夕方も少女はじっと釣り糸を垂らしていました。相変わらず釣果はないようでした。そうやって陽が完全に沈んでしまうまで何かに耐えるように糸を垂らす少女の姿はひどく印象的でした。
そして、四日目の夕方のことです。ついに私は少女に声をかけたのです。
「やぁ、こんにちわ。今日もいい天気だったね」
「こんにちわ。そう、今日もいい天気だったわ」
振り返りもせず少女は答えました。
「君は毎日ここにいるようだけど一体何を釣ろうとしているんだい?」
しばらくの沈黙の後、白い帽子の隙間から毅然とした表情を覗かして、少女は夕陽を指差すと、言いました。
「あれよ。あたしは夕陽を釣ろうとしているのだわ」
そう言われて私は海に沈んでいく夕陽を眺めました。
「でも、夕陽なんか釣れるのかい?」
「釣れるわ。この竿と糸はお爺様が残してくれたものだもの。あたしはきっと夕陽を釣るわ。そして沈めないでそこに留めておくの」
「沈まない夕陽?」
「そう、沈まない夕陽。終らない夕焼け。始まらない夜」
その言葉は何故だかとても力強くて私は何も言えなくなってしまったのです。
私はただ黙って頷くと少女に軽く会釈してその場を立ち去ったのでした。
次の日、私は逃げさるように町を離れました。
私が町を離れて三日後のことです。
その日の夕陽はどれだけ経っても沈むことがなかったのです。時計の針が午前〇時を回っても街は夕焼けに包まれたままでした。
私はあくる日の早朝、沈まぬ夕陽の中、始発列車に乗り込むと港町へと急ぎました。
私が港町にたどり着く寸前のことです。夕陽は海の中へと沈んでいってしまいました。
あの埠頭に行くと少女が被っていた白い帽子がポツンと残されていました。
そして、霧笛がブオーと鳴るのでした。