第21期 #24

釜の中

 電気釜の中には五日ほど前に炊いた米がまるまる残っていた。炊いたはいいが何かの拍子に食いそびれ、そのまんま幾日も忘れてしまっていたのだ。まだ腐ってはいないかもしれないが、痛んでしまっていてもう食べることが出来ないだろうから処分しなくてはいけない。しかし、気がついたのは二日も前のことだというのに、何故だか未だに開ける気になれないでいる。
 潔癖症というほどでないにしろ、どちらかといえば几帳面な性格をしている僕にしては随分と不思議なことだった。たぶん、三合も炊いたのに、そのことをすっかり忘れていた自分が腹立たしい所為だろう。それでは尚の事、釜をすっかりきれいにしてしまい、こんなことなど忘れてしまえばよいものを、それでも何故か、釜を開ける気にはなれないのだ。
 さしあたって腹が減っている訳でもないし、蝿がたかったり匂ったりすることもなく、格別不便はなかった。 
 しかし、どうして僕は三合も米を炊いたのだろう。一人暮らしで、特別大食らいという訳でもなかったから、三合も炊いたら余してしまうのは間違いなかった。誰か来客の予定でもあったのだろうか。いや、手料理を振舞うほどの親しい友人など一人もいはしないし、今、肝心なのは電気釜の中身を始末するということであって、米を炊いた時のことなど些細なことなのだ。そう改めて思うもやはり釜を開けてみる気にはなれないでいる。
 なんとはなしにテレビをつけると、身元不明の首なし死体が見つかったというニュースをやっていた。発見場所は僕の部屋からそう遠くないと言えなくもない所で、何故だか急にドキリとして、何かよくない連想が浮ぶのだけれども、もちろんそんなはずはない。あるはずがない。何なら釜を開けて確かめてもよいと思うのだけれど、よくわからない別の気持ちが働いて、それを押し止めた。確かめるまでもないのだ。あの中には五日ほど前に炊いた三合の飯がはいっているだけで、確かに痛んではいるだろうけれど、それは何も不審なものではない。そうこう思ううちにニュースは終わっていて野球の中継が始まっていた。先程のニュースなんてきっと僕の思い違いか何かなのだ。そうに違いないと一人頷きながら、何故だか、子供の頃、誕生日に母親が作ってくれたオムライスのことを思い出した。
 そういえば、五日前は、僕の誕生日だったような気がした。



Copyright © 2004 曠野反次郎 / 編集: 短編