第244期決勝時の投票状況です。6票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
7 | 視線 | アドバイス | 3 |
4 | 暁 | 竹野呉蒙 | 1 |
5 | 筑前煮でもつくるか | 朝飯抜太郎 | 1 |
- | なし | 1 |
半認識という孤独な存在の説明から、ミヤネ屋という救いについて突然かつ自然に接続して、さらに話しながらミヤネ屋に不信を覚えて、最後に懇願する。
全てが自然に接続しつつ確実な変化がある。高度な文章力を感じた。
ワイドショーの司会はみのもんたしかり、何を見ているかわからない感じになるのかも。(この票の参照用リンク)
「半認識」という妄想じみた主張が非常に分かりやすくまとめられており、それを真剣に語る語り手の「孤独や悲哀などでは表せない」悲劇的な感情も何となく伝わってきて、滑稽さと切実さの狭間におかしみを感じた。
再読すると、語り手が見ているという「ミヤネ屋」についてミヤネなんて人はいないとか、全てが黒いとか、自分のイメージを裏切る記述があり、「お前は何を見ているんだ」と突っ込みたくなるネットの都市伝説的な面白さも感じた。(この票の参照用リンク)
#7 視線
これが一番うまい。
#8 自撮り
謎の真実を知りたいという欲求を起こし、推理意欲を掻き立てることに成功できる文章だと思う。
ただその欲求を満たさせようと作者はしていないので、私はがっかりした。
#5 筑前煮でも作るか
短歌作品と短編作品が補完関係にあり、筑前煮の短歌が作品の中心に座る。
筑前煮の滋味、素朴さ、家庭的な押し付けがましさ、ノスタルジーに、テーマが少し託されている。
筑前煮を作ろうとする姿、また、作っている時の満ち足りた様子が、うまく字数を使えた簡素な短歌に現れる。
不在の妻、あるいは、家族が揃っていたかつての食卓への想いも想像しようとすればできる。
構成に狙いを感じる。この千字が作品たり得るかといえば、間違いなくYES。
懸念事項(1)レンコン〜の歌の挿入箇所。
懸念事項(2)短歌教室のリアリティ。
懸念事項(3)エピソードが王道なものなので、気が抜けた粗雑な印象を受ける言葉選びの本作は平坦に見える。素朴な語り手だとしても表現などでもっとハッとしたい。もしくはもっと解像度の高い描写希望。
#7視線と#8自撮りはどちらも、謎を与えて誘っておき、その答えを与えない、というやり方をしているが、#7を推薦した。
#7は、理知的な語り部が何者であるか、その情報を得ようとして読み進めていると、語り手の感性を通したミヤネ屋の司会者について読まされ、語り手とミヤネ屋の司会者が同じ存在であると認識させられてしまう。知性ある語り手は変貌し、感情的で狂気的な語り部になっていて怖いが、納得してしまう。結局語り手や半認識される存在がなんなのかわからんが、一読すれば、この作者はミヤネ屋の司会者ってこういう感じだよね〜って言いたいんじゃないかと思い至る。仮にそういう作品だった場合、この表現手段を選ぶことが、ちょっと面白く思ってしまう。前回、今田耕司について書かれていて、あれに、今田耕司が代替可能だと感想をつけたが、この作品を私が読む場合、ミヤネ屋の司会者は代替不可能だ。
予想や感情を何転かさせ、強引に説得させ、読後感も意外に少し良い、本作に票を投じる。(この票の参照用リンク)
二人のやり取りがハマるかハマらないかで評価が分かれそうだがリアリティを追求するのではなく「イマジナリーあの頃」を描く手法もアリだと思うのでこれを推す。(この票の参照用リンク)
予選とは受け止め方が変わりました。この三作で選ぶならこちらを推します。息子・娘との関係性が変わり、その中で前向きに生きていこうとする年配者の姿勢が、生き生きと描かれていることが素晴らしく感じられました。自作の句もいい味付けになっていますね。
『自撮り』は緊迫感を、制限の半分の 500字で描いたのは見事ではありましたが、「結局、何?」と思ってしまったのは、残念に感じられました。
『視線』は…その番組を観ないので、観ている方が分かることが分からない、だけでなく、改行なしでたたみかける文と主張が、ワケが分からず鬱陶しく感じてしまったので、申し訳ありませんが評価できませんでした。(この票の参照用リンク)
興味の惹く作品がなかったので、なしとしたい。
どの作品も、何となく前のめりというか、落ち着いて読みたい気分になれなかった。(この票の参照用リンク)