第244期 #7

視線

人々から放たれた無数の視線はこちらに向かい、そしてそのどれもが私に触れることなくギリギリをかすめ通り過ぎていく。これは例えば対象となる私が位置の移動をおこなったところで同じことで、視線たちもそれに伴いまるで法則が働いているかのように有機的に追随し、私は常に、視線たちから付かず離れずの距離を保たれながら生きている。そしてこの事象は対人間においてのみならず、街や自然に生きる動物たち、命ある遍く全ての者たちが尽く私に対し焦点の合わない視線を寄越しており、このことから、森羅万象の中で私の存在を「半認識」として扱うことが理として共有されていることが理解できる。誰からも直視されることなく、且つ無視されることもない。あくまで視界の端のみで捉え認識される存在。それが私である。しかし唯一、私が毎日見るともなしに見ているミヤネ屋の司会者だけは、画面越しに必ず真っ黒な瞳をまっすぐこちらに向け話しかけてくる。テレビとは元来そういうもの、とも言えるかもしれないが、しかし私は生まれてこの方ミヤネ屋以外のテレビ番組を見たことがないため、他の対象と比較することができない。ミヤネ屋の出演者達は基本的に司会者に話しかけ、そして司会者はこちらに話しかけてくる。このことのみが私の中での真実である。ミヤネ屋の司会者は何を思い私を見つめるのか。彼も世間から半認識されているのか。きっとそうなのだろう。私たちは誰かの視界の中心に立つことはできない。しかし、私たちは一人ではない。ミヤネ屋の司会者はそれを私に伝えようとしている。あの、理性を持たない動物のような瞳。あの瞳の奥には、孤独や悲哀などでは表せない、私たちのみが共有し得る感情があるはずなのである。しかし同時にふと、ミヤネ屋の司会者はそもそもどこも見てなどいないのではないかとの疑いに駆られる時がある。人間の瞳はあそこまで黒くなれるのか。果たして私たちは見つめ合えているのか。今日も司会者はこちらに向けてアマタツーと叫んでいるが、あれは何を意味する言葉なのか。私は確かにミヤネ屋を見ている。ミヤネとは。番組内にそのような人や物はどこにも見当たらない。ただ、司会者の目は黒い。目ばかりではない。全てが黒い。いや黒くてもいい。こちらを見ていてくれ。こっちが覗いているのだから深淵もこっちを覗いていろ。目を離すな。



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