(横レスになってしまって申し訳ないですが)
議論というか、話が続いてもいいのですが結局収束どころか拡散していく様相なのは、揚げ足取りになっているからではないかと思います。
ここは一つどこかでまとめて確認しなければならないと思うのですが。
チキンさんの意見は
・短編では作者が強い。もう少し読者に沿った作品があってもよいのではないか。
・読者を多く求めるには、読者が一読して面白いを思える作品を書かなければならない。
・短編はどうも自己満足な作品が多い。
・掲示板を傍観している人も多いから、もっと参加すべきではないか。
・作者は感想やら意見を「聞かない」という手段を持っているので作者の方が上。
・読者のいない作品はチラシの裏も同然。
・「作者」が「読者」の目線まで降りていって、そこで楽しめるような「小説」が求められるべきだ。
・短編を盛り上げていく為には、通りすがりの読者を捕まえることが必要だ。
というのが私が捉えたチキンさんの意見です。
間違いがあったら訂正してください。
どうも意見の投げ合いっぱなしになって机の上は散らかり放題ですからね。そろそろ片付けに入りましょうよ。
〉(横レスになってしまって申し訳ないですが)
〉議論というか、話が続いてもいいのですが結局収束どころか拡散していく様相なのは、揚げ足取りになっているからではないかと思います。
〉ここは一つどこかでまとめて確認しなければならないと思うのですが。
そうですね。個人的には今回の海坂さん、ロチェスターさんの意見を聞いて大体納得できた状態なのですが、掲示板上では投げっぱなしに見えるかもしれませんね。
私の考えは(初期のタンソさんへのフォローは別にして)
・「短編」は読者数、つまり投票者数が投稿者数に比べて非常に少ない。読者数を増やす何らかの方法があるのは?
という点から始まっています。
その方法として
〉・短編を盛り上げていく為には、通りすがりの読者を捕まえることが必要だ。
と考えました。
じゃあ、そのためにはどうしたらよいのかというと
〉・読者を多く求めるには、読者が一読して面白いを思える作品を書かなければならない。
となるわけです。
〉・「作者」が「読者」の目線まで降りていって、そこで楽しめるような「小説」が求められるべきだ。
以上の2点以外にも
・「読者」に作品についての“深い理解”や“理解するための努力”を求めないで欲しい。
ってのもあります。というか、私的にはこちらの方がより強い主張だったのですが、書かれていないところをみるとながつきさんには届いてなかったようですねorz
一方で現在の「短編」での問題点として
〉・短編では作者が強い。もう少し読者に沿った作品があってもよいのではないか。
を挙げました。尤も細かなニュアンスについては、この短いセンテンスでは説明できませんので大意としてですが。また、本当はもっといろいろな問題点があると思いますが意見や議論が分散してしまうので、今回の議論の中ではこの2点に絞るよう心がけたつもりです。
〉・短編はどうも自己満足な作品が多い。
また、上の一連の流れとは異なり、議論の中で出た
〉・掲示板を傍観している人も多いから、もっと参加すべきではないか。
も、私の意見として受け取っていただいてかまいません。
〉・読者のいない作品はチラシの裏も同然。
「チラシの裏」の表現については現時点でも相互の理解にズレがあるように思っています。
ただし、
〉・作者は感想やら意見を「聞かない」という手段を持っているので作者の方が上。
については、ある一面を見ればそうなのだろうけれども……といったところで私の中で整理がついていませんので「私の意見」からは外してください。
最後に、今回の議論の中で「私の意見」として述べさせていただいてますが、「〜すべきだ」「〜でなければならない」という風に半強制的な主張をしたつもりはありませんでした。
私の表現が拙い所為で、このような強制力を感じられた方々にはこの場を借りてお詫びいたします。
で、私(+タンソさん)の意見に対する皆さんの反論を読んでの私の認識です(ややこしい)
既に睡眠時間を削っているので短めに書きます
〉・「短編」は読者数、つまり投票者数が投稿者数に比べて非常に少ない。読者数を増やす何らかの方法があるのは?
この点においては、程度の差はあれ共通の認識だと思うんです。
これ以降の方法論になると結構否定的な答えが多かったようです。
その中でも多かったのは〜〜私が最も嫌いな〜〜「自分はできないから、それを主張するタンソさんがやれば(そういう作品を投稿すれば)いいじゃない」って答えですよね。二重三重のオブラートに包んで、好意的を装っていましたが。おかげでタンソさんはキレて掲示板から姿を消してしまいました。
とはいえ、私自身も自分への反論の答えに時間を割かれてタンソさんをフォローできなかったり、一方的な終了宣言後数日ですが全く参加しなかったりと同罪ではあるのですが。
なんか、書いてて変な方向(つまり愚痴)にそれつつあるので戻します。
で、結論ですが、反論をいただいた皆さんにはとりあえず全員に噛みついたおかげで私個人としては反論をいただいた皆さん(長い><)の意見は概ね理解できたつもりですし尊重しています。というか、尊重しようと無視しようと現状を本気で変えたいと考えている人が思ったよりも少ないということがわかっただけでもヨシとしようという思いです。
混同、曲解されないように予防線を張っておくと、このことと、反論をいただいた皆さんの作品への情熱とは別次元の話ですし、反論をいただいた皆さんの作品への情熱が一様に高いことも理解できたつもりです。
といったところで今日は本気で時間切れです。しかも短くないし。
了解です。
では、一つずつ質問させていただいて、疑問点を解決していきたいと思います。
読者をお客と位置付けた場合、市場調査をするのがもっとも近道だと思うのですが、それは難しいので、チキンさんご自身は、短編を訪れる「一般的な読者」というのはどういったタイプの人たちを想定していますか?
またその経路がどういったものだと思いますか?
このあたりの認識の違いは、今回の意見の基本となるものだと思うので、時間のあるときにでも返答ください。
毎日暑いですね。この掲示板も暑さのためかお盆の所為なのか皆さん飽きてしまったのか一時ほどの活気がなくなっているようですが。
ようやく時間がとれたのでご質問にお答えいたします。ただ、こういう質問はホントに悩むんです。何せ私は出された作品を受け入れるしかない「読み手」であって読者を想定している「書き手」ではないのですから。
〉読者をお客と位置付けた場合、市場調査をするのがもっとも近道だと思うのですが、それは難しいので、チキンさんご自身は、短編を訪れる「一般的な読者」というのはどういったタイプの人たちを想定していますか?
「短編」の読者として想定できるのは
1.「書き手」兼「読み手」として参加しておられる方達
2.「読み手」として参加しておられる方達
3.一見さん
(1)これから「書き手」として参加されようとしていらっしゃる方達
(2)単に面白い「ハナシ」を読みたい。と思って訪れた方達
あたりではないでしょうか?
ご質問の「一般的な読者」というのは想定3-(2)の方々だと思います。
で、彼ら(彼女ら)がどのような人たちかというと、サイトへの参加欲は低く、面白い作品があればそれでヨシ。面白くないならばなんの未練も残さず去っていく。そんな人たちだと思います。
そんな人たちの趣味嗜好については、ハッキリ言ってわかりません。その辺が判るなら今頃ベストセラーでも書いてます。いや、書けませんが(笑)持ち込み企画に参加するぐらいはしているでしょう。
ただ、その指標として参考になるのは、ありきたりですが、リアルでの人間関係、家族、友人、同僚や同級生といったあたりではないでしょうか?
何度も書きますが「短編」は現状では「書き手」の力が強い(この表現も最近語弊が出てきたので)、言い換えれば、想定1の方々の票が最も多いので、「一般的な読者」を相手にした投稿サイトではなく、いわゆる同人誌的なサイトになっていると考えています。
〉またその経路がどういったものだと思いますか?
このサイトに訪れる経路については私に訊かれるより管理人である北村さんにお聞きになられたた方がよろしいのでは?
私はこの点についてはあまり深く考えていません。どのような経緯でココにたどり着いてもさほど変わらないと思っていますので。
こんなんでよろしいですか?
大幅に間が開いてしまいました。すみません。
今更何だか文字通り間が抜けているような気がしますが、とりあえず私の質問の意図だけ。
一般の読者について
チキンさんのおっしゃる想定3-(2)の人たちの存在を、私はどうも信じられません。読書に興味があって面白い作品を探しに、ネット上をさまよっているというのがにわかに想像できないのです。何か読みたかったら本屋にいくか、アマゾンをチェックすると思うのです。また、読書に興味のない、友人知人家族等に読ませる必要があるのかということに対しても私は懐疑的です。興味のない人に読ませてもあまり実がないように思うのです。それよりも、やはり読んだり書いたりするのが好きな人に、私は関わりたいと思っています。そしてそれが好きな人が集まっているのが、「短編」だと思うのです。
短編に到達する人たちは、まず「書きたい」人だと思っています。そして参加しているのは「実際に書いている」人がほとんどでしょう。何らかの感想や反応を欲しいと思っている、第三者が読んでどう思っているか知りたい人でしょう。だから参加者のほとんどは残念ながら、自分の作品を投げっぱなしです。コンテストサイトなので実際は困るんですけどね、そういうのは。
書き手主体になるのは、それほど悪いことだとは思えません。
書き手の多くは読み手です。より面白い作品を求めているし、それを書こうとしていると思います。そして多くの作品にふれているので、何が面白いかを敏感に嗅ぎ取る力はあると思います。短編では初参加の人がいきなり優勝するケースが少なくないので、面白いものを求める姿勢はそれほど閉鎖的でもなく、逆にとても貪欲ですね。
で、まあ結局何かというと
・タンソさんとの意見の違いは、タンソさんがどういう作品をもって
「オチ」「スピード」「創造性」があてはまるというのかが最後までわからなかったので
結局話はどん詰まりになってしまった。
・チキンさんとは「短編」の多くの参加者と趣向があわない。しかしいわゆる「一般的な」作品がチキンさんが高評価する作品であるかどうか判断つかない。
に収縮するのではないかと考えました。
また投票者を増やすには、投稿者がまず投票すべきだと思いますし、投票が多くなれば、投稿する人が増えますし、そういうサイクルで増えていくのではないかと思っています。
読書にあまり興味のない人で、偶然1000字小説の投稿サイトを発見し、それを読むというのはあまりにも少ない確率であるように思われます。
それから短編は1000字に限っているので、1000字に飽きたらここには戻らないのが当然で、参加者が定着していないようにタンソさんは感じていたようですが
別に定着しないで、もっと長いのを書くようになってそれが何らかの賞をとってという流れになるのならそれはそれでいいのではないかと思っています。
何が一般かと考えるのはすごく難しい事ですね。
私は(ここでこんなことはあまり言いたくはないですが)ラルクアンシエルを若い頃から偏愛しているのですが、相当昔から(12年位前から)好きなので、ラルクアンシエルが一般的かと言われたら、いや全然一般的でないと言います。しかしながら彼らはこの10年で一般に浸透しました。知らない人は少なくなりました。世間とはそういうものなのではないかなと思っています。
いささか散文過ぎましたが、今回の掲示板での話は以上のように受け止めました。
経路についてはアクセス解析上の結果ではなく、何か面白い作品が読みたいと言う人が短編にたどり着くのに、例えば「短編」と検索するのだろうか?と疑問に感じたからです。
長月さん、ありがとうございます。
ただ、今現在仕事が本気で忙しくて読むことはできるのですが、書いている暇がありません。些末なことは後日に改めますので今は一言だけ(と思ったのだけど・・・)
〉で、まあ結局何かというと
(中略)
〉・チキンさんとは「短編」の多くの参加者と趣向があわない。しかしいわゆる「一般的な」作品がチキンさんが高評価する作品であるかどうか判断つかない。
〉に収縮するのではないかと考えました。
えーとですね、私の場合、趣向が合わない作品が多いことはとうの昔から承知している事実でして、今更そこに収斂されても困るんです(苦笑)
また、私は「一般的な」作品を高評価します。と書いたことはありませんし、私が「一般的な」読者だと主張したこともありません。この辺は勘違いをされている方が多いですよね。私自身「一般的な」作品が好みかというとそうでもないと思います。私が主張したのは(言い方は変わっても)もう少し「一般的な」読者を想定して書いてみたらどうでしょうか?(※1)という提言です。(※2)
「一般的な」読者の定義とか、その他は次回持ち越しでもう少し時間をください。
※1 「短編」風に書くならば、「読み」の浅い人も「読み」の深い人もともに楽しめるような作品ということです。タンソさんがいらした頃は「万人受け」と書いていましたが、要は「読者を選ばない」作品ってことですね。
※2 私には書けません。と宣言した方が一名(お名前を失念して今探してみましたが見つかりませんでした。次回までに探します)、読者を選んじゃダメですよね。と書かれた方が一名(佐々原海さん)いらっしゃいますが、その他の方達は明確な意思表示をされていません。保留なんでしょうかね。
お疲れ様です。
お仕事、お忙しいようで、お体には十分気をつけてがんばってください。
私の方の忙しさは一段落しまして、胸をなでおろしているところです。
暇すぎるのもよくないですが、忙しすぎるというのもよくない。過ぎたるは何たらですね。
さてさて、やはり、私にはいまひとつわかりかねるのは
「一般」ですね。この辺を次回詳しくお願いします。
例えばチキンさんが「自分は一般的な読者」であったとしたら話は早いのです。「一般的な読者である自分から見て、こういう作品が良い、悪い」となれば分かりやすい。しかしながらチキンさんは一般的な読者ではない。
となると、チキンさんが好む作品は「読者を選ばない」作品ではない確率が高い。何だかよくわかりませんね。
この「読者を選ばない作品」というのがそもそもよくわかりません。
そういう作品がこの世にあるかどうかもわかりません。
佐々原さんは「作品の意図が正しく伝わって欲しい」と考えて書かれるけれど、皆がそれを目指して書く必要があるのかがわからないし、また読者として「作品の意図を正しく読み取りたい」と、皆が皆思っているとも考えにくい。
読書は娯楽だと思っているので、それぞれが楽しめればいいと思うし
そんなにも短編の作品達は、読者を選びますかね。
普通に読めると思うんですが…