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つづきまして、#12と#13です。(全作品網羅の道行きがあやしくなってきました…)



#12 急いでる ハギワラシンジ
http://tanpen.jp/200/12.html

 まずは、会話以外の記述を見ていきましょう。

   6931。
   二階堂はスマホにpinコードを素早く打ち込む。

 パスコード、ではなく「pinコード」と書かれているので、「6931」はSIMカードに設定された暗証番号だと考えられます。スマホの記述が続きますので、残りも追ってみましょう。

   二階堂は Chromeを立ち上げて、何かしらのブックマークページを開く。

   二階堂はChromeを閉じた。そこで、じっと考えたあと再びChromeを開く。

   二階堂はtwitterを平行で立ち上げる。

   Twitter を閉じる。

 「二階堂」がスマホを操作する記述は、これで全部です。上の引用の間に挿入されている会話の進行具合を見て、「二階堂」が以上の操作をしている時間は短いだろうと考えられます。タイトルの通り「急いでる」ことが読み取れますが、どうして急いでいるのかは明らかにされません。「二階堂」が持っているのは他人から盗み出したスマホで、そこから何かしらの情報を引き出そうとしている、などといった事件性を妄想することもできますが、仄めかしと取れるほどの記述も見当たらないので、「急いでる」ことに重きが置かれていると考えるべきでしょう。
 さて、残りは会話です。見ていきましょう。

   「話聞いてる?」
   「ああ」

   「ほんとうに?」
   「本当だよ」

   「プログラミングがしたいんだ」
   「わかるよ」
   「意味わかってる?」
   「ああ」

   「なぁ、プログラミングがしたいんだよ」

   「冬だけど」二階堂はtwitterを平行で立ち上げる。「暖かいな」

   「なあ」

   「えっと?」
   「急いでるんだ」

 会話はこれで全部です。発話する人物が容易に判別できるようには書かれていませんが、上の引用の5つ目に「二階堂」の動作が挟まれているので、5つ目の台詞は「二階堂」のものと考えられそうです。そして、会話の内容を見ると、どうやら交互に喋っているらしいことがわかります。それを踏まえて、会話を「二階堂」の台詞と、その話し相手の台詞とに分けてみましょう。まずは「二階堂」から。

   「ああ」
   「本当だよ」
   「わかるよ」
   「ああ」
   「冬だけど」
   「暖かいな」
   「えっと?」

 続いて「二階堂」の話し相手。

   「話聞いてる?」
   「ほんとうに?」
   「プログラミングがしたいんだ」
   「意味わかってる?」
   「なぁ、プログラミングがしたいんだよ」
   「なあ」
   「急いでるんだ」

 「急いでるんだ」の言葉通り、「二階堂」の話し相手は急いでいるようです。こちらも「二階堂」と同様、どうして急いでいるのかは明らかにされません。ここでも「急いでる」ことに重きが置かれているのでしょう。
 地の文では「二階堂」が、会話文では「二階堂」の話し相手が、それぞれ違う理由で「急いでる」らしいことがわかりました。さらに見ていけば、地の文の塊と会話文の塊が交互に配されており、交互に喋る会話と相似形になっていることが見え、しかし、その調和が終盤にかけて乱れ、二つの「急いでる」がぶつかり、「急いでるんだ」で停止する様子が見て取れます。



#13 スキップ、スキップ たなかなつみ
http://tanpen.jp/200/13.html

 この小説は、「スキップの仕方を教えている」らしい語り手が、「おまえ」に呼びかける二人称小説となっています。以下のように分けてみます。

   1段落目から4段落目:語り手が「おまえ」と「影」に「スキップの仕方」を教える
   5段落目から6段落目:影から生まれた光が影を消し去り、続いて影に埋もれていた「おまえだったものの塊」を溶かして「断片」にする
   7段落目から9段落目:「断片」になって「軽さを取り戻した」「おまえたち」が、「もう何を手本として真似することなく、ただもう思うとおりに」「スキップ」する

 では、細かく見ていきましょう。まずは「影」について。

   影は軽々と手本を真似して跳び始め、

   影はあちらからもこちらからも集って跳ね始め、

   積み重なった黒い影を溶かしてしまう。影の断末摩の叫びもその苦しげな揺らめきも、

   かつては重たくて分厚い影だったものが、鋭い光に照らされ、どろどろと流れ落ち気化してその場から消えてしまうと、

 1つ目の引用にある「手本を真似して跳び始め」は、スキップのことを指しています。上の引用からまとめると、「影」は「スキップ」を「真似」ることができ、あちらこちらに複数存在し、叫んだり揺らめいたりすることができ、「積み重な」ると「重たく」なり、「光」に「溶」け、やがて「気化」する物質でできていることがわかります。
 続いて、「光」について見ていきます。

   積み重なった影の隙間から、小さな細い光が漏れ出てくる。生まれたての光はまだなんにも知らず、けれども、ただそこに在るだけで強い力をもちうるもの。未熟な光はなんらの意図もなく、無邪気にその明るさで、積み重なった黒い影を溶かしてしまう。影の断末摩の叫びもその苦しげな揺らめきも、幼い光にはまだその意味も痛みもわからない。光はただそこに在るだけ。そして、周囲を照らすだけ。

   光が跳ねる動作を繰り返して、意図せずスキップの仕方を教えている。

 こちらも上の引用からまとめると、「光」は「積み重なった影の隙間」から生まれ、「ただそこに在るだけで強い力を」持ち、「影」の「断末摩の叫び」や「苦しげな揺らめき」の「意味も痛みも」わからないまま「無邪気」に「意図もなく」「影」を「溶かし」、「跳ねる動作を繰り返して、意図せずスキップの仕方を教えている」存在であることがわかります。また、「未熟な」「幼い」「生まれたての光」は「まだなんにも知ら」ないようですが、照射する光は「鋭い」ようです。
 最後は、「おまえ」について見ていきましょう。

   ほら、影は軽々と手本を真似して跳び始め、肝心のおまえはよろめくばかり。
   ほら、影はあちらからもこちらからも集って跳ね始め、肝心のおまえは怖がって目を塞いでひとり蹲るばかり。
   ほら、影は上から幾重にも次から次へとかぶさっていき、肝心のおまえの姿はその下で覆い尽くされ見えなくなってしまう。

   かつては重たくて分厚い影だったものが、鋭い光に照らされ、どろどろと流れ落ち気化してその場から消えてしまうと、その下から、おまえだったものの塊が現れる。

   おまえだったものは影だったものと同じように、表面から徐々に溶解してぐずぐずと崩れ落ちていってしまう。おまえだったものはすでにもう塊ですらなく、個々に分かたれてしまった断片になりはててしまっている。

   けれども、断片は、軽い。そう、おまえたちは、軽さを取り戻したのだ。

   何にもつながらずに影さえも従えることがなくなり全く意味のない欠片となったおまえたちは、

 5つ目の引用から、「おまえ」が「影」を「従え」ていたことがわかります。しかし、1つ目の引用では、「おまえ」は「従え」ているはずの「影」のように「手本を真似して」「スキップ」することができず、集まった「影」を「怖がって目を塞いでひとり蹲」っている状態で、主従関係が転倒しています。そして、「影」に「上から幾重にも」覆われた「おまえ」は、「重たくて分厚い影」の下に埋もれて「姿」が「見えなくなってしま」います。1つ目の引用では、単に「おまえ」ではなく、「肝心のおまえ」と語り手に呼ばれています。重要な主である「おまえ」の存在が、重要ではない従の「影」に消された、ということでしょう。そこへ、「積み重なった影の隙間から」「漏れ出」た、という以外に出所がわからない「光」が登場し、「重たくて分厚い影」を「溶かし」て「気化」させ、「その場から消」してしまいます。「溶」けた「影」は「影だったもの」と呼称が変わり、「影だったもの」の下敷きになっていた「おまえ」は「おまえだったもの」と呼称が変わっています。「影」の場合は「光」を受けて「溶」けた結果「影だったもの」になったわけですが、「おまえ」の場合は「光」を受ける前に「影」によって「おまえだったもの」になっています。影響関係をあらわすと、以下のようになるでしょうか。

   光 > 影 > おまえ

 今度は、「影」によって「おまえだったもの」になった「おまえ」が「光」を受けます。すると、「個々に分かたれてしまった断片」になり、呼称が「おまえたち」に変わります。ということは、「おまえ」は個々の「おまえたち」が集まってできた存在だったということになります。さらに、「おまえたちは、軽さを取り戻したのだ」と語られていることから、「おまえ」は決して軽くはなく、「重た」かったのだろうと考えられます。「軽さを取り戻した」「おまえたち」は「スキップ」ができるようになるのですが、ということは、「重た」かったために「おまえ」は「スキップ」ができなかったのだと推測できます。「スキップ」という項目で関係をあらわすと、以下のようになるでしょうか。

   光(「意図せずスキップの仕方を教え」られる) > 影(「軽々と手本を真似して」「スキップ」できる) > おまえ(「スキップ」できない)

 「スキップ」の出来の良し悪しの関係が、影響関係と同じ形になっているのがわかります。
 では、「スキップ」の出来を左右する「重」さ、「軽さ」とは、一体、何なのでしょう。「軽さ」に関しては、以下の引用が答えになりそうです。

   何にもつながらずに影さえも従えることがなくなり全く意味のない欠片となったおまえたちは、てんでばらばらに、全くもって好き勝手に、もう何を手本として真似することなく、ただもう思うとおりに。

 「何にもつなが」っていないこと、「影さえも従えることがなくな」ること、「全く意味のない」存在であること……これらが「軽さ」なのだと考えられます。とすると、「重」さとは、何かしらに「つなが」りを持つこと、「影」を「従え」ていること、「意味」のある存在であること、になるでしょう。前者が「おまえたち」をあらわし、後者が「おまえ」をあらわしているとも言えます。「軽さを取り戻し」た「おまえたち」が、「てんでばらばらに、全くもって好き勝手に、もう何を手本として真似することなく、ただもう思うとおりに」「スキップ」するところで、この小説は終わりますが、7段落目以降の語り手の口ぶりは、どこか喜んでいるようにも読めます。「おまえ」に「軽さ」を取り戻させること、そして「おまえ」に「スキップの仕方を教え」る必要がなくなることが、語り手の望みだったということなのでしょうか。
 そもそも、語り手は一体、何ものなのでしょう。語り手と共通点を持つものが登場しています。そう、「光」です。

   スキップの仕方を教えている。
   ほら、影は軽々と手本を真似して跳び始め、肝心のおまえはよろめくばかり。

   光が跳ねる動作を繰り返して、意図せずスキップの仕方を教えている。

 1つ目の引用では、語り手が「スキップ」を「教えてい」ます。2つ目の引用では「光」が「スキップ」を「教えてい」ますが、両者の違いは、「意図」的か、「意図」的ではないか、です。「光」について、もう一度、確認しておきましょう。

   生まれたての光はまだなんにも知らず、

   未熟な光はなんらの意図もなく、無邪気にその明るさで、積み重なった黒い影を溶かしてしまう。

   幼い光にはまだその意味も痛みもわからない。

 語り手が「光はまだなんにも知らず」と語れるということは、「生まれたて」ではない「光」のことを知っているということでしょう。そして、「まだその意味も痛みもわからない」とも語っており、「光」が成長すれば「影の断末摩の叫び」と「その苦しげな揺らめき」の「意味」と「痛み」がわかるようになる、ということも知っていると考えられます。どうして語り手は、「光」について詳しいのでしょう。
 私は、語り手もまた「光」だったからだ、と考えています。「生まれたて」で「未熟な光」には「なんらの意図」も存在しませんが、語り手には「おまえ」に「スキップの仕方を教え」るという「意図」があります。つまり、「おまえ」と「つなが」りを持っていることになり、「軽さ」の条件から外れています。「生まれたて」の頃の「軽さ」を失った語り手は、「生まれたて」の「光」のような「鋭い光」も失っており、「おまえ」に「軽さを取り戻」させるほどの光も「照射」できなかったのかもしれません。そのため、「影」に「スキップの仕方を教え」、「おまえ」を「覆い尽くさ」せ、「光」の誕生を促した、とは考えられないでしょうか。



(#14へ、つづく…?)

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